#1894 支離滅裂「碁法の谷の庵にて」風の精ルーラ氏(9)
上記に対するツッコミ。
上記に対するツッコミ。
これ、原典はtwitterで知り合った人からもらった「資料」ってなんだ?
提示していないから、下のような勘ぐりを受けることになります。(苦笑)
「ある有名な学者」の論考で駄目ってことは、ただの「もらった資料」なんて、意味不明ですね。
自分が「根拠をまともに提示できない」と批判され続けているから、やり返そうと思ったのだろうか。#1805-27 , #1808-1 , #1808-8 , #1808-21 「ただ批判したい」という意識が先走っているから、何を言ってもトンチンカンな批判になってしまう。
「大ナダレの内マガリ定石は、○○が打ち始めて、○○の本に書いてある」なんていちいち言わないだろう。それと同じ。「楕円の論理、誠実義務、真実義務」という特徴的なキーワードが並んでいるのに、「ポカーン」としてしまうのは法律を学ぶ人間としておかしい。不勉強すぎるよ。
私の場合は、自分の言いたいことを上手く表現した文章を見つけたから、それを理解・解釈して必要十分な量を伝えている。剽窃にならないように「手元の資料では」(=オリジナルではない)と断っているだけである。
彼の場合は「すごい実績のある某有名教授は ○○ と言っていた。自分はその意見を支持しないが…」という言い方をしていて、何を言いたいのかさっぱり分からなかった。某
教授とぼかしていながら、わざわざすごい実績
有名
と無用な強調を行うところが滑稽なポイントだ。詳細は #1831-15
参照。
彼は「出典が明らかでない」という表象・形式にだけとらわれているが、彼の言った「すごい実績のある某有名教授の発言」と私が言った「楕円の論理」は、全く異なる意図で引用されている。
足利事件無罪判決 「キングギドラ」はいりません
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201003260000/
「キングギドラ」というのは頭が複数ある怪獣で「意見がコロコロ変わる人」のたとえのようだ。風の精ルーラ氏はまたしても、自己反省文のような内容を他者批判にすり替えて書いている。自身が反省したのならば結構なことだが、彼の場合は鏡に映った「キングギドラ」を自分とは認識できずに批判しているだけだろう。(投影 の心理)
「弁護人の言い分を聞いて再鑑定すべき」など、単に結果論の繰り言で勝ち馬に乗っているだけであることがはからずも明らかになりました。
足利事件に関する捜査・司法批判について、風の精ルーラ氏が言った一言である。
彼は「再鑑定の必要性」および「裁判所の判断ミス」について全く理解できていなかった。明らかになったのは「彼が足利事件およびDNA鑑定という科学について何の見識ももっていないこと」である。
光市事件に関して「十分に調べた人間だけがコメントしろ」と言っていた人間が、何も知らない足利事件について「再鑑定却下を批判するのは結果論だ」と断じてしまう。こういうのを「キングギドラ」(態度に一貫性がないお調子者)と言うのだろう。彼の支離滅裂言動は枚挙に暇がない。共通するのは「自分の都合だけ」「その場の都合だけ」しか考えていないという点である。
言うことがコロコロと変わるキングギドラはいりません。というより、邪魔ですから事件について論評しないでもらいたい、というのが偽らざる私の「本音」です。
一体どの口でこういうことを言っているのか。「支離滅裂言動は邪魔、論評すべきでない」と思うなら、まず自分自身が黙ったらいい。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201003260000/
この事件における判決のもたらした教訓を噛み締めていきたいところですし、また司法界に対する言論も、この事態が起こったことを粛然と受け止める必要があると思います。さて、この件から学ぶべきことはいくらでもあります。
教訓を噛み締める
なんて、もっともらしいことを抽象的に書いているけど、一体どのような「教訓」を得たのか。
裁判官や検察官に問題があった、という言説はその通りなのだろうな、と思います。
具体的にどのような問題があったと考えているのか。「再鑑定却下は裁判所の判断ミス」ということを理解できたのか。
小学校時代の方々と同窓会 .. 今から16年ほど前の話。菅家氏が拘束されていた時間は、それよりも長いのです。その教訓が安っぽい同情に基づく一時の罵声に終わらないことを強く祈るものです。
今頃になって、よくこういう空々しいことを言えるものだ。まさに安っぽい同情に基づく一時の
軽薄なコメントだろう。DNA再鑑定を却下する裁判官がその「歳月の重み」を考えるべきだった。菅谷氏が空費した歳月の半分以上は司法関係者の過ちが原因だが、風の精ルーラ氏は権威・権力に盲従して「仕方ない」という認識だったのである。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201004020000/
自分勝手な心理分析をひけらかしてまで他人をけなすhidew氏に理解させることなどとうに諦めている(諦めるのが遅すぎたとつくづく思うが)が、こうなってはいけないのだと言う見本として、記事にしたいと思う。
諦めた
と言いつつ、ごまかしの抗弁を書く。海原氏の「もう相手にしません → やはり構ってください #1817-22
, #1732-48
」「反論するつもりはありませんが、反論します #1732-23
」というコント に近いものがある。
余計なことを書いてますます泥沼にはまるのは過去に何回も見てきたパターンだ。
これらは風の精ルーラ氏によく見られる行動パターンである。彼はそれを他者に移し替えて批判する。「オレ様」(自己愛パーソナリティ)に見られる典型的な投影(防衛機制)だ。
2.について分かりやすい事例がある。彼は「棋士は神が相手でも勝たねばならない #1808-15
, #1817-2
」の議論で、いろいろ話しているうちに「そういう世論があるはずだから従え」ということを言い出した。つまり、彼は自分の中に基準があって判断しているのではなく、「多数派は正しい」「多数派に従う」というところから思考がスタートしている。「権威」「既成概念」に滅法弱いという心性もある。
ref. #1819-39
, #1870-8
, #1805-29
, #1808-17
, #1809-5
, #1819-55
, #1831-21
自分自身の行動指針が「付和雷同、前例踏襲、現状追認、曲学阿世、寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、勝ち馬に乗る」だからと言って、他人も同じだと思わないように。
#1885-9 「橋下氏よ、この落とし前いかにつけるおつもりか」
こういうのを「勝ち馬に…」(あるいは「池に落ちた犬を…」)と言うのだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201004020000/
.. 自説を正確に理解された上で名誉が落ちるのは仕方ないが、他人の嘘解釈でけなされる理由はないからね。
どんな心理分析も、前提となる事実と違った事実の認識の下に行っては意味がない。奇しくも、光市母子殺害事件差戻し控訴審判決はそれを明言した上で、被告人の弁解も、心理鑑定も信用ならないって言ってるのだが、彼にかかればそれを無視するのもお茶の子さいさいだ。
心理分析
とは、私が風の精ルーラ氏に対して「年齢を気にする #1819-35
, #1870-14
, #1815-39
」「自分の立場が分からなくなる #1819-36
」「権威に弱い #1809-12
, #1831-15
」と言った内容のことだと思っていた。
なぜ、唐突に光市母子殺害事件の心理鑑定が出てきて、私がそれを考慮しなければならないことになっているのか。何もかも意味不明、「世にも奇妙な物語」である。
足利事件の流れで、こういう応答をするのは、また分析の対象になる。光市事件への妄執が錯覚を生むのか、ごまかし、脱線の意図があるのか。
理解された上で名誉が落ちるのは仕方ないが、嘘解釈でけなされる理由はない
と言っておきながら、自分自身は意味不明な仮想敵言論を作って、嘘解釈でさえない謎の誹謗中傷を書いているのは一体どういうことなのだろう。
前提となる事実と違った事実の認識の下に行っては意味がない
という部分は一般論としてはその通り。だからまず鏡を見て欲しい。
そういえば、私は彼に向かって何回も「『プロ棋士は神が相手でも勝たねば…』なんて世論はない、それを前提(しかも唯一の根拠)にするな #1815-6 , #1805-19 」と言った覚えがある。「前提を歪曲するな #1826-26 , #1870-1 , #1871-7 」「前提を後付けするな #1812-28 」という指摘も繰り返した。
彼の言動は「誤った前提、曖昧な前提からスタートしても、屁理屈を重ねてごまかせばよい」というものだったのだ。むしろ「後でごまかす余地を残しておくために、あえて前提をぼかしておく」ということさえやる。(#1886-10 危険運転致死のお粗末なたとえ話は一例)
言論を怪獣 キングギドラ
に喩えることについては「複数の頭・口がある」という点だけを抽象すればいいだろう。風の精ルーラ氏はそのような趣旨で言っていたはずで、私もそれに沿って引用した。ところが、
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201004020000/
ついでに言っておけば、キングギドラは、少なくとも個人的にはかっこいい怪獣なのである。大学囲碁選手権で早稲田vs立命館をゴジラvsキングギドラをはるかに凌駕すると評したこともあった。もちろん最大限のほめ言葉としてだ。
はぁ、今になってキングギドラという例えが失敗だったかなぁ。ヤマタノオロチかヒドラにしとくべきだったかな。
しかし、それでも両方とも好きだから困ってしまうし、他に頭がたくさんあるのでメジャーなのは…なんだろうか。千手観音とか阿修羅ってわけにもいかないし。
なんだこの見当外れのぶっこみは。
彼は「怪獣が大好きです」と言いたいだけではないか。
「かっこいい怪獣」とか、「褒め言葉になる」とかは、この際どうでもいい。ヤマタノオロチとか、ヒドラとか、ますますどうでもいい。
他愛もない怪獣話だから黙って読み流せばいいのだが、彼の話はいつもこのように脈絡がなく、唐突に脱線する。構成など一切考えず、自分がしたい話を自分がしたいタイミングで放り込んでいるだけなのだ。何を言いたいのか分からなくて、げんなりする #1808-22 , #1812-15 理由のひとつがこの独りよがりの態度にある。
囲碁の話から「憲法・法律の大演説」が始まってしまうのも、同じパターンである。島田紳助「行列のできる法律相談所」と似ている。 #1707 , #1841 そういえば島田紳助も典型的な「オレ様」である。
足利事件無罪判決 「キングギドラ」はいりません
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201003260000/
彼が主題として見据えていたのは「足利事件」ではなくて、「怪獣」の方なのかもしれない 「キングギドラ」について語るために、足利事件の話をきっかけに利用する。まさに島田紳助のパターンだ。
怪獣談義をしたければ、状況と相手を選んだ方がいいだろう。「キングギドラはかっこいい」なんて、足利事件をきっかけにして、怪獣に何の興味もない私への反論に放り込む話題ではない。
私は足利事件について「裁判所はなぜDNA再鑑定を却下したのか(初回鑑定を盲信したのか)」と具体的に書いた。これについて、風の精ルーラ氏が何かの拍子に「結果論で騒いでいるだけ」と言い出した。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201004020000/
hidew氏は、何を勘違いしたか、と言えば「批判されているのがhidewの出した足利事件批判」であって、「足利事件に関する被告人側・弁護人側主張全体ではない」と言うことをすっかりと忘れてしまっている。
被告人側・弁護人側主張全体
のことなど最初から問題になっていないだろう。批判の対象は被告人側・弁護人側主張
ではなく捜査関係者・検察・裁判官の判断である。全体
ではなく、一部 だ。
足利事件に関する被告人側・弁護人側主張全体
という話は一体どこから降ってきたのか。妄想を膨らませて訳の分からない仮想言論を作らないでほしい。風の精ルーラ氏の誤読は「行間を読んだ」というレベルではなくて「電波を受信した」というレベルだ。一連の論争において足利事件の被告人側・弁護人側主張全体
に話が及んだことはない。話したこともない○○について「○○ではない … 」と言われても意味不明である。
話を整理すればたったこれだけの話。
科学的検証の話と、ニュースを読んでいれば分かる程度の内容を書いたら、風の精ルーラ氏が己の無知・無能を棚に上げて「結果論」だとイチャモンをつけてきた。その理由のひとつとして当時のマスコミはDNA万歳だったらしい
という責任転嫁までにおわせている。「マスコミ情報を鵜呑みにする愚かさ」を自白しているようなものだ。「全てメディアのせい」と言っていた海原氏 #1732
と何が違うのか。
彼は恥も外聞もなく、とにかく批判したかったのである。調べない!批判したい!
というのも鏡に映った自分自身を他者に置き換えて批判しているだけだろう。
「再鑑定すべき」という批判は「手続き」「検証プロセス」の話だから、そもそも結果は関係ない。
「ある条件下で、たまたま出た結果を科学的事実として取りあげ、全く再検証しない」という態度はそれ自体が怠惰である。「鑑定」を「審理」に置き換えて考えれば法律馬鹿にも理解できるだろう。
審理を手抜きして、誤った判決を出した。
どこをどう批判する?
「きちんと審理すべき」と言うのは結果論か?
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201004020000/
「光市事件において、刑事弁護の基本すらも理解しないままに、DNA鑑定ばかりを批判する」というhidew氏の姿勢。この点を私は結果論だと批判したのである。
私がDNA鑑定ばかりを批判
した部分について一カ所でも引用してみて欲しい。
一体どこにDNA鑑定ばかりを批判
した文章があるのか?
私が批判していたのは「初回の DNA鑑定だけを都合良く信じ込み、精度の高い再鑑定を却下した司法関係者の判断」である。
風の精ルーラ氏が書いている内容は誤解と妄想に基づくデタラメだ。ここまで前提が滅茶苦茶だと、反論のしようがない。彼は科学リテラシー以前に本来的なリテラシー(日本語の読み書き能力)が欠如している。
刑事弁護の基本すらも理解しないままに、…
黙秘権 の建前をすっかり忘れて「黙っていたら不利になるじゃないか #1890-6 , #1893-1 」と言ってしまう人よりは理解していると思う。
風の精ルーラ氏は「刑事弁護の基本」を理解する前に「日本語の基本」を理解する必要があるだろう。
こういう批判者は全部敵という姿勢は、奇しくも、ネット上に跋扈する「自称被害者の味方イナゴ」のやり口に酷似している。
「弁護士は被告を守る。被告に責任を負わせるなんて弁護士の風上にも置けない行為だ #1886-7
」などと息巻いておきながら、批判されて都合が悪くなると「被告が悪いに決まっている。死刑になったじゃないか #1881-12
」と手のひらを返してしまう人の方が「自称被害者の味方イナゴ」に近いだろう。自称
という単語が「味方のフリをしているだけ」という態度をよく表している。
風の精ルーラ氏は橋下弁護士の懲戒扇動を問題にしているうちに「光市事件弁護団を批判する人間は全部敵」と思ってしまった。まさに批判者は全部敵
を体現している。「弁護団への批判は一切許さない」という姿勢がどんどんエスカレートしていき「弁護団を批判するのは、警官殺しを是認するのと同じ」(凡人には理解不能なこじつけ)ということまで言った。
彼の極端な属人思考は前に指摘した。 #1809-12 一度「敵」と認定されたら何を言っても「○○が言うから間違っている」「正しいことを言っているのは偶然、心の中では誤ったことを考えているに違いない」という噴飯ものの屁理屈が浴びせられる。
「敵」認定した橋下弁護士の過ちを針小棒大に誇張して、利害関係者でもないのに橋下氏よ、この落とし前いかにつけるおつもりか
#1885-9
と鼻の穴を膨らませてしまうのも自称被害者の味方
として調子にのりすぎだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201004020000/
… 自分を批判されにくい立場としての犯罪被害者の側において、自分を正当化したがる。
「幼い子供を殺された家庭」「濡れ衣を着せられて処罰された一般市民」に自分を重ね合わせるのは自然な感情である。しかし、共感とか情緒がない人間からは「被害者の側に立つのは批判されにくいからだ」という発想しか出てこない。精神が貧困すぎる。しかも自分が考えることは他人も同じように考えると思い込んでいる。
「弱者の立場」を利用して一仕事しようとする弁護士やマスコミとは違って、一般人の動機はシンプルだ。「明日は我が身」という危機感である。今ここで、司法や取り調べの欠陥を批判しておかなければ、明日は自分が菅谷氏と同じ場所に立つことになる。
自分を批判されにくい立場において正当化
ということを目指しているのは他ならぬ風の精ルーラ氏である。曲学阿世、付和雷同、ご都合主義、という言葉で指摘してきた彼の習性がまさにそれなのだ。
「自分の立場、意見、責任を明確化してものを言ったらどうか」というツッコミに彼は「自分は塩・コショウみたいなものだからどうでもいい #1871-16
」と答えた。つまり、その場でその場で都合の良い立場にのり換える、他人の意見にのるだけ(自身は責任を引き受けない)、という態度を自認しているのである。自己主張しないで控えめに生きるならそういうポリシーもいいだろう。ところが彼は橋下弁護士の失言について橋下氏よ、この落とし前いかにつけるおつもりか
などと人一倍強く非難する。塩・コショウの存在が突然肥大化するのである。
彼の本性は後者の誇大自己にある。「塩・コショウみたいな小さい存在」は、自分を批判されにくい立場に置くための方便なのだ。このあたりの行動パターンは海原氏も酷似している。王様気取りで「囲碁界はオレ様を楽しませてくれ、さもなければ滅んでしまえ #1737 」という妄言を吐く一方で、都合が悪い場合には「一介の囲碁ブロガーだから…」と自己を矮小化して言論の責任さえも逃れようとする。
「自分を批判されにくい立場におく」という発想が出てくる理由はなんとなく想像できる。「批判されにくいか、批判されやすいか」というのは風の精ルーラ氏にとって重要な判断基準なのだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201004020000/
たまにwikipediaその他で仕入れたらしき用語を開陳するが、その内容も的外れなものだ。
具体的に書いてもらいたい。
(光市事件について)
彼は「黙秘 → 一言も発しない」という飛躍をしているし、黙秘権と「被告に対する誠実義務」を混同している。これこそ的外れ
である。
自身が Wikipedia に書いてあるほどの知識も持っていなかったことについて「Wikipedia なんてダメ」というレッテルを貼ってごまかそうとしているようでもある。Wikipedia の記述に誤りがあるなら具体的に指摘すればいい。
仕入れたらしき用語を開陳 … 的外れ
- まさに風の精ルーラ氏が日頃やっていることだ。また鏡を見て批判してしまった。前に「昭和37年の大阪地裁裁判例を知らないの? #1808-19
」と言ったことがある。文脈的に的外れ
※ だったし、理工系の私にそういう問い方をするのも奇妙だった。何より彼は事件について考察してなかった。「判例を知っている」と言いたかっただけ。
※ 大澤弁護士の「精神異常を強調して責任回避か」という意見に反論するような体で、なぜか「昭和37年に精神異常の事件があった」と言ってしまうのだから意味が分からない。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201004020000/
hidew氏の場合、真実義務という言葉を引っ張ってくるが、その真実義務の内容は「俺様真実義務」で、判断権者の判断を無視したものだった。法律を誤解釈して、消費税を50%要求するような「納税義務」を主張するようなことを、彼は真実義務論で展開していたのである。
これも具体的に何を批判しているのか不明。
消費税の喩えも下手すぎてますます分かりにくくなっている。
私が引用した #1831-8
弁護士は真実義務と誠実義務の相克に苦悩する人間像
という表現は簡単に言えば「板挟みでたいへんだ」「弁護人と被告人は一体化するわけではない」ということである。
風の精ルーラ
真実義務と誠実義務の相克に苦悩する人間像という出所不明の資料だけでそう言える神経には敬服する。
法律系の人間なら「なにを今さら」という流れで捉えてしかるべき言明かと思ったが、彼はこのように反応した。出所不明
なのだそうだ。
彼は「ルール(期日)を守れ」という当たり前の指摘に対して「オレ様ルールを主張するな」と言ってしまうくらい #1890-14 だから、「弁護士は(被告を代弁すると同時に)社会性、公益性を考えるべき」という指摘に対しても「『周りに配慮せよ』という主張は自分勝手」となってしまう。
相変わらず笑ってしまうようなマッチポンプである。
風の精ルーラ氏は「自身の小学校時代 - 同窓会」を引き合いに出して菅家氏が拘束されていた時間は、それよりも長い
と言い出した。私はそれを受けてその歳月の重み
と言ったにすぎない。
彼は「菅谷氏の拘束期間は長い」ということを、誰に向かって、何の目的で、言ったのだろう。
それを言うべき相手は当然、捜査・司法関係者のはずだ。あるいは自己批判、自戒の意味で内省的に書いたのならば分かる。ところが、彼は「自分が反省すべき点」を全て他者に移し替えて逆ギレのように書く。(→ 自己愛パーソナリティ の 投影 )
冒頭においても、「情緒的に」何かを言おうとしたのは自分自身であるのに、それを他者に移し替えて「情緒的だ」と批判を始める。自分から「拘束期間は長い」と言っておいて、なぜか急に「拘束を受けた時間は関係ない」と逆のことを言い出す。万事がこの調子。
「自分 VS 自分II」の支離滅裂な論調
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「楕円の論理」(再)
一応、法を学んだらしい風の精ルーラ氏が「刑事弁護人の真実義務」のことに全く思いが至らなかったことの方がよほど恥ずかしい。彼は光市事件の弁護団について、一言で言えば「弁護人は被告の言うとおりに動くものなんだよ!」の一点張りだった。私は何回も「それじゃあ、単なる拡声器(機械)と一緒じゃないか」と批判した。
一方で、いくらホンネだからといっても、弁護人が被告人に向かって『弁護の余地なし。厳罰が下るべき』という姿勢でもいけない。そのあたりの矛盾、相克をうまく収める絶妙のさじ加減を「楕円の論理」というレトリックで説明した人がいる。
法曹の人間だったらキーワード(楕円の論理、誠実義務、真実義務)を出せば通じると思っていたが、彼は分からなかったらしい。そして調べる気も、勉強する気もないらしい。理工系の人間に「法学の教科書を勉強せよ」と言うのに、法律系の自分は法に関係のある話さえも学ばないわけだ。