#1819 懲りない人 - 「碁法の谷の庵にて」風の精ルーラ氏(6)
風の精ルーラ 氏の妄言、ごまかし、インチキ、を暴く。
お題は何でもあり。
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私は「他者の意見を予想・分析するな」と言っていたわけではない。
囲碁の中級病には「定石通りに打たず、無理筋ばかりを打つ相手とは対戦したくない。」という症状がある。本当に強い打ち手なら、定石外れの無理筋に余裕をもって対応できるはずだ。ところが、中途半端に定石を理解している中級者は「定石ハズレ」を打たれたときに、どうやって咎めていいのか分からない。余裕を失って、無理に咎めにいって逆にハマってしまう。
これらは彼の言論における基本姿勢である。


風の精ルーラ氏が、しばしば「主観と客観」「主体と客体」を混同してしまうのは、上記で言われている
風の精ルーラ氏の言論を批判する場合、彼の生い立ちや思想傾向などを詳細に調べる必要はない。彼がブログに書いた文章だけを見れば十分だ。顕在化した一部分を取り上げておかしな点を批判する。批判が局所的で誤解が生じた場合は、それを具体的に指摘(詳細な情報を提示)してひっくり返せばよい。ギャラリーを信用するならあえて反論する必要もなく、無視してもよい。
シーズン X
という彼の文章は、日本語として成立していない。「何を言っているのか、さっぱり分からない」と突っ込んだら、また、ずれた反論が返ってきた。
と彼が言うのは全然構わない。私はギャラリー向けに文章を書いているから、その他大勢に通じればよい。彼に日本語が通じないということは一連の議論で徐々に分かりつつある。
「懲りない人」の説明はシリーズの一番最初に書いてある。#1808-0 彼は前の議論(囲碁・勝負の話)で泣き言ばかり言っていた。にも関わらず、屁理屈だけは一人前に書いてきて、ますますネタにされるという悪循環に入っていた。その状態から、さらに司法の話題に脱線させてインチキ論法を継続しようとする態度を「懲りない人」と言っている。泣き言を言うくらいなら最初から下手な反論をしなければいいだろう。
「懲りない人」シリーズに入ってから、私の主眼は彼のインチキ、ごまかし論法を徹底的に暴くことにある。囲碁・勝負の話は、もはやおまけだ。光市事件の話は、これをやめてしまうと、彼の話すことがなくなってしまう。光市事件弁護団の批判についても、彼は「攻撃だ。侮辱だ。やめてくれ」と、泣き言のようなことを言っているが、この話題を蒸し返したのは彼であり、この話題をやめたら困るのも彼だ。