#1912 支離滅裂「碁法の谷の庵にて」風の精ルーラ氏(10)
上記に対するツッコミ。
上記に対するツッコミ。
1年身柄拘束された人と15年身柄拘束された人で、再審認容の厳格性に差が出るなんてことはなにをどうやってもありえないからだ。(時間が経ったので証拠が劣化している、というのならありえなくはないが、厳格性には変更はない)
何をぼけたことを言っているのだろう。
私が「歳月の重み」と言ったのは「濡れ衣を着せられて拘束されることの重大さ、深刻さ」という意味である。
前述 #1894-16 の通り、最初に「菅谷氏の拘束期間は長い」と言い出したのは風の精ルーラ氏で、私はその流れで「不当に長く拘束した責任は裁判所に…」と付け加えたにすぎない。
そもそも、DNA再鑑定は「上告」の時から問題になっている。再審認容の厳格性に…
なんて言っている時点でダメだ。事実認識からおかしい。
要注意裁判官一覧
http://www.rikkyo.ne.jp/web/araki/chikanenzai/saiban.htm
http://www.youtube.com/watch?v=Nz3lsDpWZow&feature=related
裁判官教育はいったいどうなっているのか?
この無責任ぶりにはあきれ果てる。
重大な業務上過失をおかして、これで済まされる職業があるのだろうか。
仕方なかったと平然と居直れる神経が理解できない。
まるで天気予報がはずれたかのような無責任意識のようだ。
亀山継夫(元最高裁判事)のインタビューを見ると、足利冤罪が発生した理由がよく分かります。と同時に、司法には何も期待できないような気がしました。
「DNA鑑定をやり直したらよかったのでは」という指摘に「全ての事実認定をやり直すのか」と勝手に飛躍させて、憤慨しているところなどは風の精ルーラ氏とそっくりです。#1826-28
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201004020000/
今回において裁判所が批判されるべきなのは、それ以前の証拠評価の方法や、その際に用いた理由づけの点である。
それで裁判所に問題ありという結論が出て初めて、その問題がもたらした結果をどうしようと言う話が出てくる。
証拠評価
や理由づけ
について、具体的に何も論評できていない。要するに「問題ありという結論が出たら、問題なのだ」という馬鹿みたいな言明になっている。※
この程度の言及しかできない人間が「結果論で騒ぐな」「勝ち馬に乗っているだけ」「いろいろ教訓がある」などと言い出すから、いちいち滑稽なのである。
※ふと、バカリズムのネタを思い出した。
「贈るほどでもない言葉」
http://www.youtube.com/watch?v=b3FIiE8INEw
[3]
に引用があったYouTube、何度か見直しました。
うーん…
記者会見等で紋切り型の記者質問をぶつけても聞き飽きた建前の返事しか得られないでしょうから、ああいった“突撃インタビュー”の形を取らざるをえなかったのは分かります。しかし、インタビュアーが致命的にヘボだった、そんな印象が拭えません(もっとも、今まさに自家用車を出庫しようとしていた亀山さんを捕まえて、チョロチョロっと質問して、マジな答えを得ようとすることそのものに問題があるのかも)。
周防正行監督の「それでもボクはやってない」に出ていた、前任から引き継いだ室山裁判長(小日向文世)の姿が頭をよぎりました。前任が直に被害女学生から聞きとって書きあげた申し送り資料だけを元に、冷徹な被告尋問を淡々と続けるさまが寒々しさを呼び覚ます。
たぶん、上の裁判所に行けばいくほど、これは一般的な光景なのでしょう。
最高裁ならその権化。判事はどんな事件も“ルーティーン・ペーパーワーク”の一つとして、次から次に突き上げてくる案件を片っぱしから片付けなければならない。しかもその手元にあるのは、「コイツは反省の色も見せない、極悪非道な輩なんですよっ!」と叫ぶ検察側資料が圧倒的に多いはずです。
これが言い訳になるはずはありませんが、それを付加譲歩として添えることなく、“素顔の元・判事”の本音コメントが取れたぞ!ばかりに、世間の代弁者を気どるマスコミにも疑問符を付けざるを得ません。
これにまた、裁判員制度が被ってくる…うまく機能するはずないじゃないか…。
菅谷さんの長期間にわたる服役は(断じて許容できるものではありませんが)、現行システムの限界をクッキリと浮き彫りにしたもの、と思います。
心情的には「無責任な裁判官だ」と視聴者が憤る気持ちは理解できますが、彼はあの場で「はい、私は自分の判決を大変後悔しています」とは口が裂けても言えない、と思います。それを言ってしまったら、これまでの判決はほとんど全部チャラになってしまうでしょう。
稚拙なインタビュアーも、クルマをバックさせながらそれに片手間のように応えていく亀山さんも、どっこいどっこい。
「足利事件」は個人的にはハラワタが煮えくりかえる判例ですが、判事さんたちの立場もお察しします。
インタビュアーが致命的にヘボだった、そんな印象が拭えません ..
手法は多少強引ですが、亀山氏には黙秘(ノーコメント)の選択肢があります。取材意図も「批判を黙殺する元判事の画を撮影すること」にあったと思います。
期待以上の結果でした。
インタビュアーが下手だったら、あのようなコメントはとれません。
きゃぶさんはどのような基準、価値観でヘボ
とか稚拙
とか言われているのでしょう。「事前に質問を文書で送付して、行儀良く、建前を語ってもらう」というのが良いインタビューだと考えていますか。
菅谷さんの長期間にわたる服役は(断じて許容できるものではありませんが)、現行システムの限界をクッキリと浮き彫りにしたもの、と思います。
「足利事件」は個人的にはハラワタが煮えくりかえる判例ですが、判事さんたちの立場もお察しします。
http://www.youtube.com ..
足利事件はこの番組で大谷氏が数度にわたって特集放送し、この判決はどうみてもおかしい、冤罪ではないのか?と
裁判所を大批判したから、世論を気にする裁判所がやっと重い腰を上げてDNA再鑑定に踏み切り冤罪とわかったのです。
菅谷さんのように冤罪で服役している人が何人いるのか見当もつきません。
たぶん物凄い数ではないかと想像しています。
死刑執行されてしまった無実の人も何人もいるのではないかと思っています。
私は裁判官ではないのでそのご苦労や限界などわからないのですが、だからといって裁判所、裁判官批判をしないわけにはいかない。
批判しないと変わらないし、絶対に放置できない問題だと思いますよ。
●あまりに忙しすぎるため、真面目に裁判を見ていない場合がある。
これは裁判官を1人増やすと書記官、事務官なども同時に増やさねばならないので月額1000万円は必要と思われる。
10人で1億円、100人で10億円、年額120億円の予算増額、1000人増やせば1200億円必要。(これは私の推測)
●日本の裁判官の人事は最高裁判所によって行われ、さらに最高裁判事の人事は内閣総理大臣が握っている。
ユーザーの企業に対する評価のようなチェック機能が働いておらず、出世したいがために国や権力者に都合のよい判決ばかり出している裁官が目立つという批判がある。
●検察庁と裁判所の癒着を指摘する意見もある。
●本来、訴訟は、訴訟当事者間の主張およびその認否、証拠の積み重ねにより、裁判官が心証を得て事実認定を行い、判決の結論を導くべきものであるのに対し、一部のエリート意識の強い裁判官は、雑多な一般事件については、訴訟処理の効率性優先のために、自らの価値観に基づく事件の印象から結論を先に決め、裁判官の自由心証主義の名の下、その結論に合わせて恣意的な事実認定を行うことがしばしばあるとして、「結論ありきの裁判」と揶揄されている。
●キャリア裁判官(職業裁判官)はさまざまな立場を実体験として経験する人生経験に乏しいことから、「裁判官は世間知らず」であると揶揄されることがある。
●他人からの批判を受ける機会に乏しい裁判官は「世間知らず」と指摘する意見がある。
●労働事件においては、行政事件と同様、強者側(権力を行使する側)のものの見方に偏った価値判断が行われることが比較的多いとも指摘されている。
●一般に、職業裁判官が使用者など(権力を行使する側)に有利な判決を出すことが多いとされるのは、政治的・人事的な背景に基づく要因の他に、職業裁判官は大学卒業後他の職業を経験することなく任官し、その職業自体が司法権という権力の行使そのものであり、権力を行使される側の立場を経験する機会に乏しいため、権力を行使される側の立場に共感することが困難であることが指摘されている。
●日本の刑事裁判における有罪率は99%を超えており、裁判官が 予断や偏見を持って裁判に臨んだり 、検察官の判断に依存していたりして、推定無罪の原則に従った裁判をしていない とする批判がある。
「コイツは反省の色も見せない、極悪非道な輩なんですよっ!」と叫ぶ検察側資料が圧倒的に多いはずです。
裁判官が検察側資料を鵜呑みにしてはいけません。弁護側が疑問点を指摘したら、それも重要な判断材料です。
参考図書 #1793-11 を裁判官も読んだらどうでしょうか。「極悪非道な輩だ」と叫ぶ検察側資料の正体が分かります。
彼はあの場で「はい、私は自分の判決を大変後悔しています」とは口が裂けても言えない、と思います。それを言ってしまったら、これまでの判決はほとんど全部チャラになってしまうでしょう。
そうです。司法関係者はある種の勘違い( All or Nothing )によって、誤りを一部でも認めることができません。#1819-16
「最初に間違えたら、最後まで間違え続ける」
という恐怖のレールが敷かれています。
これこそが足利事件冤罪の本質です。
世間の代弁者を気どるマスコミにも疑問符を付けざるを得ません。
「権力の監視、批判」はマスコミの重要な役割です。しかし、最近のマスコミはどちらかというと「権力の代弁者」(記者クラブへの情報漏洩をそのまま書くだけ)になっています。本来の役割を果たすジャーナリストが世間の代弁者を気どる .. 疑問符
のように言われてしまうのは何とも皮肉な話です。
菅谷さんの長期間にわたる服役は(断じて許容できるものではありませんが)、現行システムの限界をクッキリと浮き彫りにしたもの、と思います。
クッキリと浮き彫りにしたものは現行システムの限界
ではなく「裁判官の能力的限界と傲慢さ」でしょう。
「足利事件」は個人的にはハラワタが煮えくりかえる判例ですが、判事さんたちの立場もお察しします。
その「個人的な怒り」は誰に(何に)向けられているのでしょうか。
「無実の人を10年あまり不当に服役させた裁判」について「10分たらずのコメント」を求めた場合、後者の方をわざわざ問題視するという感覚は異様だと思います。
足利事件の冤罪を生んだ原因のひとつに菅谷氏の供述もあります。判事の立場だけを極大に「お察し」して「被告が嘘の供述をしたのが悪い」と言いますか。
ご指摘の「サンデープロジェクト」を何度も見直しました。
菅谷氏:「この私の目の前に現れて、話を聞いてほしい」
木谷氏:(菅谷さんは何もできないんですか、の問いに)「……、できません、法的には…」
この二つの発言を生み出した(発信した)番組に感嘆しました。
ごく当然の市民感覚を、最少の言葉で言い表した菅谷さん。
菅谷さんに同情しつつも、安易にその場逃れの慰めで逃げることなく、数秒の沈黙と「できません」と言い切った木谷さん(ええ格好しいの評論家なら「賠償請求ができるじゃないか」とか口走って、後で集中砲火を浴びるところ)。
あの亀山元判事・窓越しインタビューを“狙って得た”成功例だとは考えてもみませんでした。言われてみればその通り。マイクを突きだす女性リポーターの強引さにばかり目が行って、真の取材目的にまで気が回らなかった。盤面全体が見えてない級位者の碁みたい。「ヘボ呼ばわり」は撤回します。
(司法関係者の)ご苦労や限界などわからないのですが、だからといって裁判所・裁判官批判をしないわけにはいかない。批判しないと変わらない。
本当ですね。
人は同時期に二通り以上の人生経験を積むことはできません。「経験したこともないヤツに言われたくない」…気持ちは分からんでもありませんが、そんなこと言ってたら誰からもツッコまれず腐りきってしまいます。
“自分が切られた痛みを思い出して手術に踏み切れない外科医”に執刀されるより、「痛いだろうけど治りたいんだろ?」とメスを握ってくれる先生の方がいい。
優れたジャーナリストを抱えたマスコミは、名医と呼んでもいいのでないでしょうか。
安田好弘 弁護士 , 亀山継夫 元最高裁判事 , 風の精ルーラ 氏ら司法関係者の態度を見ていると、内容が正しいかどうか以前に、猛烈な違和感、嫌悪感を覚える。何よりもまず「オレ様が正しい。シロートが何を言っているのか」という尊大な態度が全面に出てしまうのである。
自分を正当化することが全てで客観的な視点、周囲への配慮を持たない。
足利事件 ひどい!裁判官の職務怠慢
http://www.youtube.com/watch?v=LxSoK7Jk2ZI
この番組における木谷明氏(元東京高裁判事)の応答はひとつの模範になっている。
誠実であり、謙虚である。司法関係者にもこういう人がいる。
菅谷さんに同情しつつも、安易にその場逃れの慰めで逃げることなく、数秒の沈黙と「できません」と言い切った木谷さん
数秒の沈黙
の中に膨大なメッセージが含まれている。この「間」の意味を理解できるかどうかが重要だ。
木谷明氏(元東京高裁判事)は足利事件が冤罪であったことを明らかにした最大の功労者だと思います。
この番組で数度に渡って、大谷氏が足利事件の菅谷氏の供述と多数の目撃者の証言が一致しないことを問題にし、
裁判所がDNA再鑑定を命じないことを問題にしたとき、
木谷氏は「DNA再鑑定を命じない裁判官の姿勢は全く理解できない!、やるべきだろう!」という強い口調で裁判官を批判しました。
木谷氏のあの異例の痛烈な批判が裁判所を動かしたに違いありません。
司法関係者が司法関係者を痛烈に批判する。この木谷氏の前例のないような言動に非常に感銘を受けました。
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それこそ「結果論」
私が言っているのは裁判で事実関係を争っていた当時(2000年頃)の話である。つまり「無期懲役の判決によって失われるであろう未来の時間の重み」を裁判官が慎重に考えるべきだったという意味である。
難しいことを言っているわけではないし、情緒的なことを言っているわけでもない。要するに「裁判官は慎重に判断すべき」と当たり前のことを言っている。
「DNA再鑑定」は冤罪を回避する最大のチャンスだった。他にもいくつかあったはずだが、たいして能力の高くない裁判官に過大な責任を負わせることは、それこそ「結果論」になってしまう。
迷走した供述から嘘を見抜けたか?
裁判官 には無理だろう。