#1809 懲りない人 - 「碁法の谷の庵にて」風の精ルーラ氏(2)
あらすじ
努力することなど誰もプロには求めていない。 の内容が発端。
- 「プロは結果が全て」という派(hidew、東方腐敗氏、茶々入れ氏)
- 「プロは努力が重要」という派(風の精ルーラ氏、海原氏)
風の精ルーラ氏が「努力は義務」「神が相手でも勝たなければならない」とまで言い出したから、話がややこしくなった。
その後、神様の碁、光市事件、足利事件、北朝鮮、民主主義、など、スタート地点がどこにあったか分からなくなるほど話が飛んで、今回に至る。
シーズンIII
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002002
タイトル戦の前夜祭に出るとか、ファンサービスに関する「努力義務」はスポンサーとの関係で発生しているかもしれない。しかし「研鑽」という言葉で連想される一般的な「囲碁の勉強」について、棋士は自由である。義務などない。プロなんだから方法も時間も好きなようにやればいい。そして、結果(勝敗)の全責任はプロ棋士個人が引き受ける。
この件に関しては、実はずいぶん前に決着はついている。
なぜ私は棋士に研鑚を求めるのか - 碁法の谷の庵にて と彼が書いた内容は、「要は勝てばいいんだ」という私の意見と全く同じだったのだ。普段、酒を飲んで、勉強しなくても、本番で勝てばいい。
ここにひとつ、風の精ルーラ氏の大問題がある。
言い逃れとは言え「研鑽」という言葉をこれほど拡大解釈することが許されるのか。彼は一応、法律分野ということを公言しており、言葉は商売道具でもある。