#1812 懲りない人 - 「碁法の谷の庵にて」風の精ルーラ氏(3)
風邪の精ルーラ 氏の妄言、官僚作文、屁理屈に対するツッコミ集。
お題は何でもあり。
風邪の精ルーラ 氏の妄言、官僚作文、屁理屈に対するツッコミ集。
お題は何でもあり。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002004
私が棋士を守り弁護するために研鑚義務と言う概念を持ち出したこと、
棋士を守り弁護するために
というのは、海原氏がよく言う囲碁界のために
と同じである。いわゆる「おためごかし」だ。「棋士のために」と言っておけば免罪符になるとでも思っているのだろう。
彼が「研鑽義務」と言い出したのは、棋士を弁護するためではなく、自身の言論のためである。棋士のために
と言いながら、「棋士には義務がある」と妙なことを言っている。なんでそんなことを棋士が囲碁ファンから言われなければならないのだろうか。
YouTube - 西山茉希 外為オンライン CM 「あなたのためだから」
http://www.youtube.com/watch?v=BKpJoS2E5eY
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002004
きちんと研鑚の意味については事後的ながら説明している。もっといい言葉があるというのならともかく、説明した上での言葉使用に文句をつけられては新概念の類等一切発表できない。第一、解釈とはなんぞや。
事後的に説明すればいいというものではない。「私は '左' という言葉を '右' という意味で使いました」という説明を付け加えたら、そういう使い方をしてもいいのか。
辞書にない奇怪な解釈で言葉を使うこと自体が好ましくないが、どうしても必要なら、せめて 事前に説明すべきだろう。
結局、彼は「自分の言った内容の誤りをごまかすために、言葉の解釈を後からねじ曲げた」のである。「酒を飲んでいても、場合によっては『研鑽』と言うことができる」なんて、もう笑ってしまうような屁理屈だ。とりあえず、そういうことにしておくけど。
それとも、新しい言葉を作って、その新しい言葉を使った方がよいのであろうか。
既存の言葉を破壊するぐらいなら、新しい言葉を作った方がよい。
ただし、コギャル語や2ちゃんねるスラングなどを見れば分かるが、新語を作り出す連中というのは、ある共通の傾向がある。彼らは日本語を知らない。
風邪の精ルーラ氏が本当に分かっていない場合も考えて、私が代わりに辞書を引いておく。
学問などを深く研究すること。「―を積む」
関連 #1809-4 【謎】反論風の強い同意
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002004
実にふざけた議論の態度であり、hide-w氏のこのような発言を誘発したことに関しては私は秀行先生に謝罪したいとさえ思う。
私が「藤沢秀行ばりに謙虚な態度で、情報を収集している」と書いたら、なぜか、風の精ルーラ氏が秀行先生に謝罪したいと言い出した。彼の中で、訳の分からない妄想が膨らんでいるようだ。
#1808-8
私は藤沢秀行ばりに謙虚なつもりでいる。入手可能な全ての情報を 100 とするなら、私が集められるのは 1 にもならない。
この何気ない文章が、彼の妄想にスイッチを入れてしまうようだが、私には全く理解不能なので、怖い。
#1809-5 の流れ
私自身、一番最初に「私にも違和感のない結論」である、と書いている。
私が「自分の意見を みんな に言わせて、責任逃れをするな」と問い詰めた時、彼は「自分はあくまで代弁者」と言い張っていた。「代弁内容(みんなの意見)は代弁者(風の精ルーラ)の意見ではない」と言っていた。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002001
代弁人の代弁することと代弁人の真意をイコールにする論法。被代弁人の言っていることは間違いだと言ったり、きちんと代弁できていないという形での批判ではなく、お前もそう考えている、その上でお前は間違っているとずらす。
今「 みんな の意見は私にも違和感のない結論
」と元に戻った。結局、みんな の意見は自分の意見でもあったのだ。私がしつこく追求したとおり、彼の言動は単なる「責任逃れ」だった。
もっとも、「神が相手でも勝たねば」という「みんなの意見」も彼の妄想が作りだしたものなので、最初から「責任逃れの姿勢」は明らかだったが、彼は屁理屈の根拠さえ自ら否定した。
#1805-5
事実を捏造 - 「みんな」が言う。
#1805-16
「みんな」に自分の意見を言わせる
#1805-17
主観と客観の混同
#1808-6
みんなが言うと思いますメソッド
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一番大切なのは、私が支持することではなく、世論がどのように考えるかである…というのが少なくとも囲碁界においてはそうであると考えている。だから、世論はこうなんじゃないのと言い、私自身の立場は塩コショウくらいにしか使っていないのである。
私自身の支持などは瑣末なことに過ぎないと私は考えている。
なぜ私は棋士に研鑚を求めるのか で「私が…求める」と書いている。彼は、その理由をうまく説明できなくなって、「世論=みんなの意見」を適当にでっちあげ、それを根拠にした。
彼の論法をざっくりまとめるとこうなる。
思考停止かつ付和雷同で、彼自身は世論に従うことしか考えていないのに、なぜか「私は棋士に研鑚を求める」と言ってしまう。これは単に文章が拙劣なだけなのだろうか。
世論を作るのは各個人の持論である。「個人の意見は塩コショウ程度の些末なものだから、世論に隷従する」という認識もどうかと思うけど、本当にそう思っているなら、自分は何もしなければいい。私は世論の一部として「プロは努力ではなく結果が全て」「コミ自由設定選択、整数コミが望ましい」ということを発言していく。
風の精ルーラ氏には、無思慮にテキトーなことを口走った後、それを全く訂正できなくなる という習性がある。「神が相手でも勝たねば」、「棋士には研鑽の義務がある」に始まり、光市事件、足利事件、など、彼の専門分野を語っているのも同じ口と頭だ。
法学を学び、十分に情報を集めた結果のコメント内容である。
彼は「情報量ゲーム」に持ち込んで、懸命に自らの優位性をアピールしていたが、逆効果である。本題で反論できないものだから、付帯的な要素にこだわってしまう。囲碁で言うと「私は定石を 300 知っている。あなたは定石を 10 しか知らない。だから私の方が正しい」と言っているようなものだ。そんなことをアピールすること自体が弱さの告白である。
「神が相手でも勝たねば」のお題では、「現実的ではない」という筋違いのところにこだわって、本題への批判をかわそうとしていた。「神が相手でも勝たねば」という誇張が誤っているという指摘について、おそらく分かっているのに、それを素直に認めることができない。ごまかしの「官僚作文」を連発して、膨大なネタを提供してくれる。
風の精ルーラ氏は、J-CASTニュースにイチャモンをつけていたが、内容の問題点については具体的に言及しなかった。2ちゃんねるに跋扈するネット右翼の「朝日が言うからダメ」と発想が似ている。
「余計な予断は排除」して判断するという基本的枠組みは微塵も揺らがない。
むしろ、予断と偏見と先入観をもって物事を判断している。
正義の女神ジャスティスの目隠し を書いた本人が、その内容を理解していなかった。たぶん、何かを書き写したのだろう。
「強○したのは死者を復活させるための儀式」という供述について何が疑わしいのか。そもそも、何を疑うのか。
被告人がそう信じていたのではないかと言うこと。
そんなことは最初から疑いの対象ではない。本人が考えていたことを疑ってみても、検証のしようがないのだから、そういうことにするしかない。被告人は死者の復活を信じていた。だから何?
被告が「死者を復活させるための儀式」と思っていたら、裁判官や遺族が「それなら情状酌量の余地がある」となるのか。この釈明については「世間に通用する要素」および「被告の利益になること」が絶無だ。「言っておけば良かった」というフェイルもありえないだろう。
「強姦したのは死者を復活させるための儀式」と主張をすることが、最終絶対防衛ラインにある尊厳
を守ることなのか。
狂った認識の中では筋の通った理解
まさにその通り。
光市事件の弁護団と風の精ルーラ氏は、狂った認識から理屈がスタートしている。
1vs1億越えでも1を守るというある意味では非現実的なことを考えるのが個人の尊厳と言うものである。
再犯が強く予想される100人の死刑囚の中に一人だけ無実の人間が紛れ込んで区別がつかなければ、その一人のために再犯確実な99人も釈放し、危険は社会全体で負担すると言うのが今の日本における個人の尊重というものである。
法律家はこのあたりの発想は皆同じである
と言っておきながら、まったく内容が伴っていない。お花畑の理想論を言い続けているだけである。
『十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ』
なぜ「十人」なのか、を考えるべきだろう。
一見すると「冤罪NG」を強く言っているようで、実は逆の解釈も可能だ。
百人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ
は正しいのかどうか。
ルーラ氏もかなり怒っていらっしゃるようです(http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200907140000/)。一連の憲法や民主主義、裁判についてのやり取りは、全面的にルーラ氏を支持します。ただ、やはり氏の反論はあまり効果が無いかと思っています。
海原氏は自分の放言に反論されると、ふてくされて「もう相手にしません」と言う幼稚な人間だ。
「もう相手にしません」→「やっぱり構ってください」
というのを3回くらい繰り返している。こういうのを恥ずかしいと思う感覚はないのだろうか。
構って欲しいのだったら、構ってあげてもいいけど、もう少しネタにできるような記事を書いてくれ。全面的にルーラ氏を支持します。
と言うことしかできないのだったら、ルーラ氏にまかせておけばいい。
YouTube - もう恋なんてしない 槇原敬之
http://www.youtube.com/watch?v=_TLdcViM1vw
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002005
感想をブログででかでかと書いて、しかも侮辱的な言葉まで用いて、「自分から話題を振っておいて」等とは恐れ入る。そういうのがいやなら、mixiあたりで限定公開するかチラシの裏にでも書いておけばよかろう。
また、マッチポンプ。
光市事件の話を唐突に持ち出したのは誰だったか、もう一度よく思い出してもらいたい。
彼は「神が相手でも勝たねばならないか」「棋士に努力の義務はあるか」という2つの議論で、どうにもならなくなったものだから、光市事件、足利事件など司法の話題を持ち出した。この分野だと、お得意の「情報収集ゲーム」に持ち込めると思ったのだろう。
私は、筋違いの論点そらしにあえてのった。
案の定というべきか、彼は自分が蒔いた種だということを忘れてしまって、文句を言い出した。藪をつついて蛇を出したのは自分なのだ。いつものことだが、ここまで予想通りに展開すると笑ってしまう。
でかでかと書いて? -
1:1でドンパチやっている世界に過ぎないわけだが。
侮辱的な言葉を用いて? - 被告・弁護団が言った内容に比べればずいぶん軽い、少しは侮辱される側の気持ちが分かったか。
私は人間など愚かな生き物だと思っているが、その人間の、その上弱冠25の若造が、どうして自分の脳内ごときで真理にたどりつけるものか。私自身の体験談を語るのなどとはわけが違うのである。
でも、「神が相手でも勝たなければならない、勝てなければ否定的に判断される」ということは、自分の脳内だけで全く疑いなく分かるようだ。自分の意見でもないのに。それこそ自身の体験談を語るのなどとはわけが違う
だろう。
人間など愚かな生き物だと思っている
と言いながら、彼は時々勘違いをしている。#1808-20
にんげんだもの
その若造なりに真理がこうだと判断するにいたった過程を明らかにするためにだらだらと色々なことを書く。そして、知らない所についてはその地位の第一人者の意見を参考にし、彼らの意見を採用する。それでも変だと思うならそれに対抗するだけの理屈を曲がりなりにも組み立てる。
自分の意見が定まっていないのに、なんで他者の意見を評価できるのか。
結局のところ、複数のスタンダード(立場、意見)を使い分けて、その場その場で姑息な言論を書いているだけである。後から言い逃れをするために、自分の立場を表明できない。
Hide-wが言うからダメなどとは言っていない。正確にいえば、彼は十分に勉強せずに物事を語っていますから、言っていることを信用すると痛い目遭うかもしれませんよと言っているのである。
誰に向かって言っているのだろうか?
こういう態度で、げんなりする、つまらない文章を書いておいて、一応まだ、ギャラリーがいることを期待しているのだろうか。
彼の文章は、もう、私しか読んでいないと思うのだけど…
#1809-1 この件(=プロ棋士には研鑽の義務があるか)に関しては、実はずいぶん前に決着はついている。
と私が書いたことについて、彼はよく分からないことを言った。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002003
それにしても、勝利宣言や慇懃に相手をほめる発言をしたがるのはどういうことなのだろう。勝利宣言って、悪質なネット論客のやる典型行動だと思っていたのだが…
また、「決着」の意味を間違えているのではないだろうか。一応調べてみた。
結論・結果が出ること。物事のきまりがつくこと。「―をつける」「―がつく」「交渉はやっと―した」
「決着がつく=勝利宣言」という短絡もおかしいが、「決着」に異議を唱えることがそもそもおかしい。彼の言うとおりに決着したのだから。
彼のコメントを箇条書きにした。これならば私に異論はない。つまり、決着したのである。「研鑽」「義務」という言葉の解釈に大きなズレがあるものの、本旨では同意見ということだ。
一体何が不満なのだろうか。
事件について知る気もないくせに、人を侮辱するだけは一人前という ..
事件については嫌でも知ってしまう。だから、批判している。
被告・弁護団が「強姦したのは死者を復活させるための儀式」と言ったのはひどい内容だ。どれだけ被害者遺族を愚弄して、傷つければ気がすむのか。それが弁護士の仕事だというなら、弁護内容について激烈な非難を浴びるのも弁護士の仕事である。
被告弁護のためには被害者遺族がいくら傷ついてもいい、でも、弁護士は非難されると傷つく?
何をふざけたことを言っているのか。
侮辱されて傷つくだけの人間性が残っているのならば「強姦したのは死者を復活させるための儀式」を言ったらダメなことぐらい分かるだろう。
「弁護士が誤って判断したらどうする?」なんて言うのは、「弁護士は知性がないので、裁判官に判断を丸投げすべき」と同じ意味だ。話を聞いているうちに、確かにその通りかもしれないと思い始めてきた。
弁護士に知性や人間性を期待するからおかしなことになる。最初から「被告の言うことを一言一句漏らさずに話す機械」だと考えておけば、腹も立たない。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002006
少なくとも、法律家的世界では既存の言葉に新たな意味を持たせる程度のことは普通に行われる。
全く新しい言葉を作った人というのは見ない。
既存の日本語を、既存の解釈に基づいて組み合わせるだけで、ほとんどのことは表現できる。新しい概念を導入する時には、海外から輸入した言葉をカタカナ語として使う方法がある。それでも不十分な場合にかぎって新語をひねり出す必要がある。
ただ、現状を追認することしかしない法律家の世界で、新しい言葉が必要になることはない。もちろん解釈を歪める必要も全くない。
彼らが既存の言葉に新たな意味を持たせる
と言っているのは「ごまかしのテクニック」として、それが必要なのだ。偉そうに告白するようなことではないだろう。
勝手に意味を足して、日本語を破壊するな。
光市事件に関しては、珍しく感情的なコメントが目立ちますね。
「弁護内容が正当である」と書いている人はまだ見たことがありません。
「弁護をすること自体は正当で、妨げることはできない」というのはいろいろなブログで読みました。
今の制度では弁護人をつけずに裁判をすることはできないと聞きます。
あんなことをしでかした被告人であっても、必ず誰かが弁護しなければなりません。
そして弁護人になった以上、被告人の利益のために動くのが職務です。
職務に忠実であればあるほど、世間の感情と反していかざるを得なかったのだと思います。
どのような弁護内容だったら世間は納得したのでしょう?
高裁までの主張を繰り返しておけばよかったのか?
差し戻しとなった以上、それでは何もせずに死刑を受け入れるに等しい。
認められるかどうかは別として、殺意を否認する主張をしなければならなかった。
しかも何も事実のないところから捏造することもできない。
物的状況や、警察の事情聴取のときに出てきた内容を解釈して主張を組み立てなければならない。
(そこででてきたのがいわゆる「蝶々結び」「ドラえもん」「復活の儀式」)
今回の被告人の行動は、はじめからまともな弁護ができるわけがなかったのです。
しかし裁判を成立させるために、誰かは弁護に立たなければならない。
囲碁ならとっくに投了するところですが、裁判ではそうはいかない。
無理な理屈を組み立てて(予定通り?)認められなかっただけのことです。
弁護内容は確かに不愉快なものでした。
しかし私は、弁護人にはhidewさんほどの非難を浴びせる気持ちにはなりません。
あえて汚れ役を引き受け、世間から後ろ指を指されることを顧みず、職務を忠実に果たそうとした安田・足立弁護士には、むしろ同情します。
少なくとも、法律家的世界では既存の言葉に新たな意味を持たせる程度のことは普通に行われる。
私の経験だが、
「その問題については別途協議に応じてもよい」
私がそのように書いたのを裁判官は判決文にこう書いた。
「協議に応じるとしたのは、お金を支払うことを約束したことと同じである」
この裁判官は、言葉の常識もへったくれも無い恐ろしい存在だなあ・・どうしようもないバカか・・と思った。
何事も限度があります。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002003
この局面は黒勝ちだ、そう決まっている、白投了しろと騒いでいる
これに関連して言うと、光市事件の弁護内容は「亀の甲に手を突っ込む」がごとき悪あがきで、もはやクソ粘りの限度をはるかに超えています。
[19]
どのような弁護内容だったら世間は納得したのでしょう?
高裁までの主張を繰り返しておけばよかったのか?
文字通り「救いようがない」被告をどのように弁護するのか。
犯行の事実を認めるなら、被告に残された道は反省と謝罪しかありません。それが無理なら弁護士としてできることは限られます。
「蝶々結び」「ドラえもん」「復活の儀式」
これらの物語は必要ですか。
「パニックになった」という程度には翻訳できるでしょう。それが弁護士が人として介在することの意義です。
弁護内容は確かに不愉快なものでした。
凶悪犯を弁護する以上、不愉快な内容になるのは仕方ありません。ただ、光市事件に関しては必要以上に不愉快です。
囲碁で「手抜きより悪い手」というのがありますね。光市事件の弁護はまさにそれだと思います。打つ手がないのは分かるけど、よりによってそこに打つか!? と言いたくなるひどい手でした。
しかし私は、弁護人にはhidewさんほどの非難を浴びせる気持ちにはなりません。
この件について私が文句を言うことになった経緯は、だいたい以下のようなものです。
私が光市事件についてコメントする強い動機になったのは、3.の風の精ルーラ氏の態度です。非難の矛先は「法律馬鹿」なんです。今回の流れを見ても、同じことの繰り返しです。
職務を非難するのはありか?
それはなしでしょう。
しかし、弁護士の職務とは何か、という問題があります。単なる「スピーカー」だというなら、私の非難が筋違いだったことを認めます。
[20] 「協議に応じるとしたのは、お金を支払うことを約束したことと同じである」
すごい解釈ですね。
一般的な意味で「協議に応じてもよい」と言いたいとき、
「協議」に応じるかどうかについて、協議してもよい
と書かなければならなくなります。
国語辞典とは別に「法曹の辞書」が必要です。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002006
秀行先生は6しか分からないのに、10知っている相手がいたとして、それにあのクローズアップ現代でやっていたような説教をかましたというのであろうか?そうではあるまい。
Hide-w氏は1しか知らないくせに2,3を知っている人に説教をかますのである。
「自分の考えることはみんなも同じことを考えると思い込む」=「主観と客観を混同する」というパターンはよく見るが、風の精ルーラ氏は「主体と客体を混同する」という奇妙な習性も持っているようだ。
話を分かりやすくするために、私(ヘボ碁打ち)が「李セドル(世界最強の碁打ち)になったつもりで碁を打っている」と言ったとしよう。
「アタリも分からない奴 が何を言っているんだ」というツッコミなら分かる。ところが風の精ルーラ氏は「ヘボ碁打ちがそんなことを言ったら李セドルに失礼じゃないか」と展開してしまう。まるで「世界最強・李セドルが、私の言及に引きずられて、ヘボ碁打ちという不名誉にまみれてしまう」という奇妙奇天烈な解釈をするのである。
さらに面白いことに、彼は「発言を誘発したことを謝罪したい」とまで言い出す。それなら風の精ルーラ氏の妄言を次々に引き出してしまった私はどうなる? いろいろな方面に謝罪しなければならないのだろうか。(風の精ルーラ氏の心ない発言を誘発してしまったのは私の責任かもしれません。光市事件の本村氏と足利事件の菅谷氏には、深く深くお詫び申し上げます、って。)
これは「ヤバイ」でしょ。
彼の主張が時々意味不明になるのはこれが原因のひとつだろう。
hidew
今「 みんな の意見は私にも違和感のない結論」と元に戻った。結局、みんな の意見は自分の意見でもあったのだ。私がしつこく追求したとおり、彼の言動は単なる「責任逃れ」だった。
風の精
本当に大切なのは、私が言っているかどうかではないというそれだけのことなのだが。
そもそも自身の立場を旗幟鮮明にする必要などない立論なのだから、たまたま自分の立場とみんなの意見が一致していたところで何の問題があるのだろう?
私が批判しているのは「みんなの意見を代弁しただけだから、自身に言論の責任はない」という態度をとるな、ということである。
#1808-6 みんなが言うと思いますメソッド
- 風の精ルーラ氏は囲碁が分かっていない、…… とみんなが言うと思います。
- 風の精ルーラ氏は司法が分かっていない、…… とみんなが言うと思います。
- 風の精ルーラ氏は人間が分かっていない、…… とみんなが言うと思います。
私が言うのではなくて、みんなが言います
この皮肉を見て、何も気づかなかったのならば、相当に鈍いな。…… とみんなが言うと思います。
情報量が足りない、というのは、全く関係ない情報を集めているというのでない限り致命傷である。
マスコミ報道を知っていれば十分だろう。なんで一般人が法学の教科書まで開かなければいけないのか(#1809-21 ) 風の精ルーラ氏は国語辞典さえ開かないというのに。
一般人が法律家と同レベルの知識を持ったら、知識偏重、前例踏襲、付和雷同で地頭力の弱い法律家なんて用無しになるよ。
…… とみんなが言うと思います。
衒学趣味のげんなりするような悪文を書き散らすのではなく、たまには専門家らしい見識を示したらどうか。そうしたら、周りの認識も「正しい判断を下すには、やはり情報収集が必要だ」となる。残念ながら、風の精ルーラ氏の態度は「色眼鏡を集めているだけ」に見える。
…… とみんなが言うと思います。
せっかく資料を教えたのにもかかわらず、読んでいないことがばればれの文章を書き散らして、だから何?という。
自分の意見を言うときに裏付けとなる資料を示すのは当然だが、今までそれすらもできていないお粗末な言論だった。ようやく資料 URL の提示ができるようになったと思ったら、せっかく教えたのに
などと言ってしまう。
せっかくの資料だが、相変わらず「どこかに書いてある」というレベルの提示で、どこをどう読むと「強姦は生き返らせるための儀式」が正当な弁護として解釈できるのか、を示していない。もしかすると自分でも読んでいないんじゃないのか、と疑われるほどのお粗末なプレゼンだ。
法律家というのは、げんなりするような悪文(長文)を書いて、人を説得できると思っている連中だから、言論(プレゼン)のイロハが全く分かっていない。
…… とみんなが言うと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002006
心身耗弱説も違うといったし、死刑廃止論説も違うと言ったのに、人の言うことを読まない。
それはどこに書いてあるのだろうか。読んだ記憶がない(私が読んだ後に追記したとか。)
とりあえず、証拠 URL を示してほしい。
昭和37年の精神異常者
を持ち出して、暗に心身耗弱
を臭わせるようなことは書いている。「臭わせただけ」と言い逃れしてもいいけど、偉そうに人の言うことを読まない
と言えるほど明快な論旨ではない。
口先だけ「心身耗弱も、死刑廃止も、違う」と言っても、やっていることは「精神異常を装って、死刑を逃れる」というだけの弁護なのだから、なんの弁明にもならないだろう。万引きの現行犯が「私は盗んでいません」と言うくらい見苦しい。
事前に提示すると書いて「前提」だ。
こういう当たり前の手続きを(意図的に?)省いていて、都合が悪くなると後から条件を足す。「最初からそのつもりでした」という顔をして開き直る。いうなれば「後付けの前提条件」というごまかしだ。
風の精ルーラ氏は「'右'という言葉を'左'という意味で使いました」という荒唐無稽な例はさすがに、おかしいと理解できるようだが、「'研鑽'という言葉を'飲酒も含む'という意味で使いました」がおかしいということは認めない。
と言って開き直っている。
棋士には研鑽の義務がある
- 何回も指摘しているが、表現がいちいちおおげさなのだ。「無用にややこしい表現」という批判に対して、彼は「複雑なことを簡単に言うのは詐欺師の所業だ」と言うが、彼の言動は、簡単なことをわざわざ難しく言おうとして間違えるという「まぬけな詐欺師」の所業だ。
ちなみに、現場の実務家は十人逃がさない、一人も罰しないを目指してやっている。
交通事故も犯罪も冤罪もゼロになればたいへん良い。素晴らしいね。
別に「十人」のことわざで支配される世界を作りたいというのなら、それはご勝手にである。
また、マッチポンプか。
「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」を一面的に読んで、自分の文章に都合よく使っていたのは、風の精ルーラ氏だ。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002002
10人真犯人のがしても1人の無辜を罰しないという論理はここでだってしっかり当てはまるのである。
それはご勝手にである。
ただ、そんな彼が北朝鮮をボロカスに非難するのは今なお解せないが。
北朝鮮は「楽園」だし、素晴らしすぎる理念を実践した国でもある。ボロカスに非難
という見方は一面的だ。
彼は私に北朝鮮をどうして欲しいのだろうか。藤沢秀行のくだり [4] , [23] と同じで、へんてこりんなイチャモンなので、どう対応していいのか分からない。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002006
第一、殺人で殺されるか傷害致死で殺されるかで人の生命の価値に差などでないと私は思うのだが・・・
さすがに法律家は言うことがぶっ飛んでいる。傷害致死と、惨殺事件では、被害者遺族の気持ちが違うということが理解できないらしい。だから「強姦は生き返らせるための儀式」ということを被害者遺族の前で言っても平気なのだ。これを聞いた被害者遺族や傍聴者が、どういう気持ちになるかを全く考えられない。
刑事弁護のためだから仕方ない? - 「強姦は生き返らせるための儀式」という主張が何を弁護しているのか。
光市事件については、まるで私が先制批判をしたかのように言われているが、そもそも風の精ルーラ氏が論点ずらしのために持ち出したことである。北朝鮮のミサイル発射に経済制裁したら「宣戦布告とみなす」と言って逆ギレされたようなものだ。先に非難される原因・きっかけを作ったのはどちらなのか。
北朝鮮と同じで、光市事件弁護団弁護団も、相手にするからつけ上がるのだろう。
厳密な議論は、法律家としては立派な見識をお持ちらしい専門家に任せる。人間らしくない冷静な議論をするといいよ。
hidew
でも、「神が相手でも勝たなければならない、勝てなければ否定的に判断される」ということは、自分の脳内だけで全く疑いなく分かるようだ。自分の意見でもないのに。それこそ自身の体験談を語るのなどとはわけが違うだろう。
風の精
私は疑いようもないほど確かだと考えている。
Hide-w氏がそれに乗らないというのなら、それは自由。
ひとりで勝手に妄想して、確信するのは結構だが、その妄想を論拠として使うのは反則だ。
結局、彼は神が相手でも勝たなければならない、勝てなければ否定的に判断される
が誤っていることも理解できなかったのだろう。
比喩的に強調すれば「棋士に無限の重荷を負わせ、できなければ鞭で叩く」という妄想世論+自分の意見を疑いようもないほど確かだと
是認しておいて、一方で「棋士のために」ということを平気で言う。[2]
一体どういう思考回路をしているのやら。トホホホ…
[23] 主客転倒
hidew
自分の意見が定まっていないのに、なんで他者の意見を評価できるのか。
風の精
他者の意見が考慮すべきところを考慮していないからである。考慮すべき点が多数あるのに、それをすっ飛ばした言論など、内容面でも評価に値しない。これは「手続論の常識」である。
これらを設定することは相当に重要な意見表明だ。当然「何が手続きとして必要か」を考えるところからして「立場」は重要だ。
「死刑はベルトコンベアのように」という話を、井戸端会議で言うのと、法務大臣が言うのでは全く意味が違う。
総論でフワッと考慮すべき点が多数ある
と言って何かを言ったような気になっている言論は、単なる官僚作文なのだ。世の中のありとあらゆる場面で、考慮すべき点は多数ある。当たり前だ。むしろ、考慮すべき多数の点を整理して、絞っていくのが知性というものだろう。囲碁でもヘボ碁打ちほど、いろいろな手をふらふらと考えている。文章が無駄に長い人は「問題を整理することができない人」だ。
風の精ルーラ氏が妄想している「手続論」によれば、彼自身の見解も考慮すべきところを考慮していない
、自分だけはできているつもりだったのだろうか。
「神が相手でも勝たねばならない。勝たなければ否定的に評価される ※」ということについて、立場を明らかにしないから、「みんなの意見を代弁しただけ、自分の意見ではない」と言ってみたり、「自分にも違和感のない意見である」と言ってみたり、言動が迷走してしまう。
結局どっちなのか。(どっちにしても ※が間違っていることには変わりないが)
彼は途中で具合が悪くなって「みんなの意見を代弁しただけ、ということにして言い逃れをしよう」と考えた。しかし、私が「付和雷同のネットイナゴか」「私は(棋士に研鑚を)求める と書いているが?」と突っ込んだら、「自分の意見でもあるんだけど」と認めた。
自分で自分の立ち位置が分かっていないから、こういう醜態を晒してしまう。
彼はこの2つを交互に主張して、ごまかそうとする。まさに姑息。その場さえごまかせばOK.
#1761-2
ごまかしのレトリックばかり使っているから自分まで目が回って、
#1805-23
自分の毒に自分がやられてしまって、何を読んでいる・書いているのか自分でも分からなくなってしまう
彼は「あとで都合良く立場を使い分けよう」と姑息なことを考えているうちに、自分が落とし穴にはまってしまう。「策士策に溺れる」と言うとなんか格好良いけど、実際は まぬけな詐欺師[28] みたいなもので、同情の余地はない。単に嘲笑の対象だ。
まだまだ続いているお2人の論争。おかげで私と彼らの立ち位置の違いが明らかになりました。そのことを書いて、一応このシリーズの締めくくりとしたいと思います。
海原(囲碁お見知り置きを)
そもそも人間には、他人を攻撃したい、しかも無責任に自分は傷つかずにやりたい、という欲求があります。
何を血迷ったことを言っているのか。
他人を攻撃したい、しかも無責任に自分は傷つかずにやりたい、という欲求
があるのは海原氏本人だけだろう。そんなことをわざわざ自分から語ってどうするのか。しかも、彼は私生活が充実すると、その欲求がなくなるとも自白している。(ref.#1754-12
海原氏の私生活が充実することを祈ります)
相変わらず、自分に当てはまることは他人にも当てはまると思い込んでいる。主観と客観の区別が全くできていない。(ref.#1770 )
もちろんこれが正しいものか、また唯一のものかは分かりません。しかしながら、少なくとも、人間がどうしようもなく持っている欲求となんとかうまく付き合おうという姿勢だけは、絶対に正しいと思っています。
カルト宗教、悪徳商法、似非科学、に騙される人もみんな同じことを言う。絶対に正しいと思っています。
あとの話も(冒頭に引用した海原氏の)妄想を根拠に進んでいる。論じるのも馬鹿馬鹿しい内容だ。
海原
私も一応法学専攻として、hidew氏の民主主義や司法に対する無理解は分かりますし、
海原
まず、ルーラ氏が指摘しているように、hidew氏の民主主義や司法に対する理解は、ハッキリ言って滅茶苦茶です。
具体的に指摘したら、少しは説得力が増すかもね。
#1500 匿名批判者の習性
食い違いや矛盾を、いちいち指摘することが議論の肝なんだから、具体的に指摘できないのに印象だけで、"食い違いや矛盾が散見"と言うのは全く意味がない。「バカ」とか「くだらない」とか言うだけなら子供でもできる。「どのようにバカか」、「どのようにくだらないか」をいちいち説明するのが大人の議論である。
最近は固定名でも同じことをする人がいる。「愚かさ」の自覚さえないのだろう。
海原氏や風の精ルーラ氏が「法学専攻」という看板を堂々と掲げていることで、他の法律家は迷惑しているかもしれない。
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シーズン V
風邪の精ルーラ氏が
のは、このしょーもないやりとりが発端だ。海原氏を非難するうちに、自分でも訳が分からなくなって「尊厳」とか「研鑽」とか「義務」という言葉を使ってしまった。
「一介の囲碁ファンが、プロ棋士の研鑽の義務を言うのはおかしい」と私がツッコミを入れたら、何かには気づいたらしく、言葉の解釈をねじ曲げた。
この定義によれば、彼は「勝てるように頑張りましょう」ということを言っていたにすぎない。
言葉の解釈を事後的に変えるのは、インチキ論法の一種だが、素直に訂正できないのだから仕方ないだろう。
ただし、彼は「神」という言葉について
と解釈を再変更することまでやってしまっていたので、今後も注意が必要だ。