#1805 神が相手でも勝たなければならない?
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神=全知全能・完全知・真理の記号
神とか悪魔と言う言葉にいくつもの意味があり、文章の中で意味が異なるのは当たり前の話。
こんな一般論で何かを反論したつもりなのだろうか。
「神や悪魔が相手でも勝たなければならない」という文脈での「神」は全知全能・完全知の比喩であろうと最初に確認したはずである。
これをもって文字通り宗教上の神しか浮かばないよと言うのであれば、本当に彼の目の前では故事成語一句ろくに使えない。
風の精ルーラ氏は書いてもいないことを勝手に読み取って、それに反論する。
私が「宗教上の神しか浮かばないよ」と言うはずがない。一連の議論でいう「神」は宗教的な意味ではなく、全知全能・完全知の比喩 であると何回も説明している。
#なお、日本において「神」は元々、一般名詞である。
神とて同じである。碁神道策なんて本が売り出されているが、実際道策が神だった、あるいは碁を極め尽くした人物であるとは考えにくい。少なくともあの時代においてはもはや他が全く太刀打ちできない、神のごとく強かったからだ。
私の解釈(神=全知全能・完全知)が誤解・曲解であるなら、すぐに指摘すればよかったのに、彼はそれをしなかった。というより、できなかった。
#1771 "悪魔"をどのような意味で使っているのか不明だが、"神"は「全知全能」「完全知」という意味であろう。
この部分をスルーして「まるで宗教家と話しているようだ」と的外れな反論(茶化し、ごまかし)を書く。私は一貫して「神=全知全能」という前提で文章を書いているから、彼が本当に「神=すごく強い」という程度の意味で使っていたのなら、解釈をすり合わせるチャンスはいくらでもあった。
- 『ヒカルの碁』に出てくる「神の一手」が単に「最善手」の比喩であることくらい、級位者でも分かること ..
- 「神様同士が碁を打ったら…」という話は、宗教とは関係ない。「碁が全解明されたら…」という論理的な思考実験の話 ..
- 「もし全知全能の打ち手がいたならば」という仮定に基づく思考 ..
- 「全知全能」を全く考えられないのならば、最初から「神や悪魔が相手でも..」なんて言わなければよかった。
- 「全知全能の打ち手に勝つ」ということはありえない。「神様に勝つ」というのは∞を超える」みたいな話
今頃になって神というのは「すごく強い」という意味なのだと言い出した。そういうことはもっと早く言うべきである。
以前の議論 - コンピュータ囲碁、碁の真理
実は、以前にも似たような議論をしている。
- コンピュータ碁発達と碁界の帰趨 - 碁法の谷の庵にて
- #1446 富士山にヘリコプターで登頂するようなこと
- 碁における「真理」 - 碁法の谷の庵にて
- 碁の真理は勝敗でなく盤面にある - 碁法の谷の庵にて
- #1452 光速の新幹線を求めるようなこと
- #1447 碁における「真理」と「勝敗」
だいたいの流れは今回と似たようなものである。
「勝たなければならない」と「負けてはならない」の違い
棋士は碁に勝たなければならない。誰が相手でも、神や悪魔が相手でもである。
神や悪魔が相手でも
は、本人も「表現が拙かった」と認めているとおりで、これ以上突っ込まないとして、碁に勝たなければならない
この部分も気になる。
- × 碁に勝たなければならない
- ○ 碁に負けてはならない。
この違いが分かるかどうかが、「碁が分かる」ということのひとつの指標である。
攻撃的な言説
ただ、ここまで通用している言葉を一方的に曲解し、人にも空想の話だと理解してほしいなどと言っておきながら、攻撃的な言説をいつまで経ってもはき続けなければ気が済まない彼は一体何なのだろう。
自分が批判するときは威勢のいいことを言っておいて、批判される側になった途端に文句を言うのは海原氏とそっくりである。海原
私は、次々に提供されるネタ※に反応しているだけで、ネタがなくなれば書くこともない。
※無駄に大げさで誤ったレトリック。官僚的ごまかし。
いつまでも批判されたくなければ、ごまかしの反論を書かずに、すぐに訂正するか、そのまま受け流すかすればいいだろう。
振り出しに戻る
批判されたくなければ、ネタ(テキトーな言論)を提供しなければいいのだが、わざわざ話を元に戻すのは一体どういう了見なのだろう。
「碁神道策」の話が出てきたから、「神=すごい人」という程度の意味に修正したのかと思ったら、「神=完全知」に戻ってしまった。つまり、風の精ルーラ氏が言っているのは
棋士は相手が「全知全能」でも勝たなければならない。
ということである。私が説明してきたことは、まるで理解されなかったようだ。
神(完全知)に勝たない棋士を否定的に評価するのは一部の「分かっていない」人だけである。
#官僚作文 - 主体をぼかした受動態で「みんな」を臭わせる。
神(完全)を 100 として、人間の最強者を 6 とするなら、他の棋士は 7 に到達すれば十分だ。風の精ルーラ氏は、100 を超えなければ
と言っているのだが、いろいろな意味で分かっていないだろう。とくに分かっていないのが「完全を超えることはありえない」という原理的な話だ。現実的に起こりえる現象だけが思考の守備範囲である彼に「極限」を考えることはできないのではないかと思う。思考できないのに極端なことを語るから話がややこしい。
くどいようだが、現実、現実というなら「神や悪魔が相手でも…」なんて表現は使わなければよかった。「李セドルや呉清源が相手でも…」と言っておけば、現実的な誇張表現である。
彼は普段、歯切れが悪い官僚作文ばかりを書いているのに、珍しく言い切った時に限って、とんでもない誤りを犯している。皮肉なことに、今回こそ「必ずしも○○とは言い切れない」という表現を使う場面だった。