#1841 「裸の王様」島田紳助
島田紳助 のしゃべりを聞いていると、なぜか嫌な感じになる。その嫌悪感はかつての細木数子を見たときの感じに近い。思わずチャンネルを変えたくなる、ほぼ唯一のタレントである。
企画は良い。「クイズ・ヘキサゴン」も「行列のできる法律相談所」も開始当初はまあまあ面白かった。しかし、島田紳助の番組は視聴率だけを追い求めて内容をいじりたおす。どんどん劣化していく。最終的に原型をとどめないほどに改変された無惨な番組が残る。「変えるなら終わらせる」「安易な大衆迎合はしない」という態度で臨むビートたけしやタモリとは対照的だ。
変化(劣化)が始まる前から何かがおかしい。「行列のできる法律相談所」や「まさかのミステリー」(放送終了)に見られるように、番組テーマと関係ないトークコーナーがある。東野幸治、磯野貴理といったメンバーと島田紳助のくだらないトークが延々と続く。
当初は「法律相談」という堅い話を和らげるための「箸休め」的なトークを挟んでいるのかと思っていたが、逆のようだ。島田紳助は本当はトーク番組をやりたいと思っている。しかし、さんまのように上手くはない。そこで自身のトークの弱さを補うために「法律相談」のようなコンテンツを利用する。「トークコーナー」は箸休めではなくメインなのだ。
まさに「羊頭狗肉」であろう。「法律相談というテーマ」を看板に掲げて「島田紳助のトーク」を売るのである。スタジオに呼ばれた弁護士はほとんど傍観している。芸人でもないのに島田紳助のおもちゃのように扱われることもある。
島田紳助のトークはただ面白くないだけではなくて、嫌悪感まで引きおこす。
- まず第一に「自分の型にはめよう」とする意識が強すぎる。「こうやれば人は笑ったり、感動したりする」という「笑いの定石」「美談の定石」のようなものが凝り固まっていて、その狭い型の中でしかトークを展開しない。
- 話題を「引き出す」のではなくて「押しつける」。自分が信じている「定石」を対局相手にも強要するような嫌味がある。話題も「お金」「男女関係」「容姿」に偏っている。
- 「他人の不幸は蜜の味」を露骨に演出する。視聴者(消費者)の優越感をくすぐるというのは商売の重要なスパイスだが、島田紳助は他人をだしに使う。(後述)
- 笑いの内容が「弱者を嘲笑する」という方向に向いている。「笑い」ではなく「嗤い」である。
- 容姿のこと(ハゲ、ブスなど)は本人(および相方など親しい人)以外がネタにすることではないが、彼は全くそういうことを気にしない。「容姿をネタにされる方はオイシイ(芸人用語で面白い、好ましい、嬉しいというような意味)」と本気で思っている。
- 自分自身はピエロ(道化師、芸人)になるつもりがなく、他人を落として自分の笑いに利用しようとする。「私はバカだから…」と本人が言うのは良いが「こいつはバカだから…」と島田紳助が勝手に代弁してオチまで持っていこうとする。他人の自虐ネタを「おまえが言うな!」
- 漫才のツッコミは相互信頼が不可欠だ。島田紳助の場合は後輩芸人に対して、無思慮、無神経な悪口を浴びせることがツッコミだと勘違いをしている。それはパワハラに近い。
島田紳助は狭量で横暴で相方もいないため「裸の王様」になってしまった。共演者の気の遣いようを見ていると気の毒になってくる。
生放送番組『オールスター感謝祭09』(TBS / 10月3日18:30~23:48放送)で、司会進行の島田紳助さんがお笑いトリオの “東京03” に恫喝したのではないかと噂になっている件で ..
東京03 のコントは職人的な上手さがある。「お調子者」「KY」「傲慢」「弱気」など日常における人情の機微をよく捉えている。逆に言うと本人たちはそういうことがよく分かっているのである。島田紳助に対してうかつなことを言うタイプではないだろう。
真相は分からないのだが、島田紳助の人間性を考えると、叱責ではなく「恫喝」と言いたくなる。東京03 が キングオブコント2009 の優勝者であることも様々な憶測を呼ぶ要因になっている。
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