#1891 支離滅裂「碁法の谷の庵にて」風の精ルーラ氏(7)
上記に対するツッコミ。
上記に対するツッコミ。
上の話では検察の立件があまりにお粗末(口で言っているだけ #1808-1 )だから「危険運転致死罪は成立しない」というのが明白だ。
検察が証拠すら出さずに、ただ口だけでいっているだから成立しないのが明白・・・笑えない冗談である。
検察が口だけ『危険運転』を主張したら立件できるのか?
それこそ笑えない冗談
だろう。
彼は冷静さを失って自分でも何を言っているのか分からなくなっている。
証拠を書かないと、検察が口だけでいっているということになると言う読み方がすごい。
「危険運転致死罪」なんてややこしい単語を出しておきながら、それが本質的には全く意味のない「ごまかしの脚色」だから笑えるのである。中途半端にリアリティを出そうとして失敗、分かりやすさのかけらもない、何から何までダメな「創作たとえ話」だ。
彼が言いたかったことはこの程度のこと。
要素を捨象するなら、きっちり刈り込め。
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素材がどうしようもないほど品質が悪ければ、どんなに趣向を凝らして料理した所でまともな味は期待できない。
そういうことである。よく分かっているではないか。
風の精ルーラ氏は別のところでも(*1 , *2 )「凶悪犯罪者だって更正させて社会復帰させるべき」という空々しいことを言うが「物事には限度があり、どうしようもない場合がある」ということを本音では分かっているのである。
それなのに「専門家として料理するなら責任がある」。
それはつまり、外したら責任取る奴を絶対に作れと言う幼稚な思考をそのまま維持しているか、自分の言っていることを証拠ではないか。
もしかしたら、彼にとっては無茶な要求に対して、結果を出すこともまた責任なのだろうか。無茶な要求から逃げられる世界ではないと言うのに。
「専門家として料理するなら責任がある」というのは「素材の味を引き出す」という責任である。素材が悪ければ、料理人の責任は軽くなる。腐りきった食材を与えられて料理が不味くなるのは料理人の責任ではない。#1885-14
光市事件に当てはめて考えるなら、素材→被告人、料理人→弁護人である。
腐りきった食材に対して『美味しく料理する必要がある #1886-7 』とくだらない建前(かつ無茶な要求)を言い張って、グズグズと料理をした挙げ句 #1819-34 、案の定失敗して『素材が悪いに決まっているだろ #1881-11 』 と遅ればせながら当然のことに気づいて逆ギレする。
風の精ルーラ氏が今まで発言してきた内容を「素材と料理」にたとえて言うとこうなる。
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自分で事例を作りかえるhidew
こういうのをウソツキ
と言う。#1870-14
風の精ルーラ氏は前述の通り、危険運転致死罪に関してまともな「たとえ話」を作ることができなかった。作りかえるほどの事例がそもそも提示されていない。彼自身は頭の中で妄想していたのかもしれないが、それを全く説明できていないのである。
こういう展開になることが目に見えている。彼は広辞苑に書かれている日本語の意味さえ「私はこういう意味で使った」と書き換えてしまうのだから。#1812-3 , #1812-28 , #1812-3 , #1815-44 ,
日頃、彼自身が事例を作りかえる
ということ(トホホ論法「前提を曲解・歪曲・誇張 → 得意気に否定」 #1871-7
, #1871-19
, #1886-6
, )をやるから、他人も同じことをやると思ってしまうのだろう。「泥棒の心理は泥棒が一番よく知っている」と同じこと。私はそんな下手なことをしない。
なお、意味もなく難しい話(上の例でいえば危険運転致死罪)を持ち出して、煙に巻こうとするのは前に指摘した「バカに見える話し方 #1817-3 」でもある。
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天災だから責任があると言うことを認めると言うが、人災にも責任がない場合を認められないのは、やはり幼稚なものでしかない。
人災にも責任がない場合
というのはたとえば?
誰か「人」に責任がある「災い」のことを「人災」と言う。文字通りの意味だから間違えようがないと思うのだが、風の精ルーラ氏は相変わらず日本語が不自由だ。
人間の不注意・怠慢などが主な原因で起こる災害。
私はたとえば自然災害などで … 誰も悪くない場合がある
と書いており、そもそも論理的に人災にも責任がない場合を認められない
という解釈になるのはおかしい。
天災だから責任があると言うことを認める…
の部分も何をどう読解したのか分からない。私は「天災だから(誰にも)責任がない…」と言ったのだが。
もし仮に「誰にも責任がない人災 」というものがあったとして、「光市事件のドタキャン」もそれと同じく「誰にも責任がない」と言えるのか。
彼は(光市事件のドタキャンについて)「裁判所が悪い」とは明言できない。もちろん「弁護団が悪い」ということは絶対認めない。「誰にも責任がない場合がある」という回りくどい言い逃れ(ごまかしにもなっていない)に終始する。
「光市事件のドタキャンは誰にも責任がない」と明言できるのか。できないのか。
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私は既に書いた通り、最高裁も、遅延工作を疑うなど、こういった判断に至った理由には相応の理由があった可能性があると思っているのである。
またやらかしている。
「誰の言動か」によってのみ○×を判断している。極端な属人思考で権威・権力には滅法弱い。#1886-13
最高裁が悪かったのではないかという感想なら持っているが、あくまでもこれは抽象的な可能性でしかない。
最初から素直に最高裁が悪かったのではないか
と含みを残しておけば何も問題はなかった。結局のところ、彼自身はほとんど何も分からないまま、「弁護団は悪くない」「最高裁も悪くない」という法曹関係者の正当化だけを言い張ったのだ。
自分たちの正当化は言うけど「ドタキャン騒動は誰が悪かったのか」という答えを用意していないから、突っ込まれてしどろもどろになってしまう。「誰も悪くない場合がある」なんて腰の引けたごまかしを書けば「何も考えていなかった」ということがバレバレだ。せめて「誰も悪くない」と明言してもらいたい。
「弁護団は悪くない。最高裁が悪かった」これでようやく筋の通った主張になる。
本来ならここからスタートだが、もう終わったような気分になった。元々、どっちでもいいし。要するに「法曹関係者の手続きがお粗末で、被害者遺族が振り回された」ということである。
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裁判所の判断に原因があると言うことなら言っている。しかし、裁判所が「悪い」という結論まで持っていくにはもう1ステップ必要である。裁判所だって、故意も過失も無関係な結果責任を問われなければならない理由はないからだ。
麻雀や双六をやっているわけじゃない。裁判所の判断に原因があって災いが起きたのならば、そこになんらかの「過失」が認められるに決まっているだろう。
風の精ルーラ氏は「20分前に国選弁護人を選任して、一気に公判を開いて結審
これぐらい無理な要求を聞けというのか! #1870-1
※」と息巻いていた。その要求をしたのは最高裁判所である。風の精ルーラ氏が分かる程度のことを最高裁判所が理解しなかったのは「重大な過失」ではないか。
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彼はこの1ステップをまるまる飛ばす粗雑な思考をしてしまうので、なんで悪いと言わないんだゴルァといういちゃもんをしてしまう。
ごまかしの1ステップ
を付け加えただけである。
相変わらず逃げ腰だ。明確化すると「裁判所が無理な期日(※彼はその非常識さを何回も強調していた)を設定したのは故意も過失も無関係
」という趣旨か。精密に考えたらしいこの言明は大間違い、全体としても筋の通らない支離滅裂な論調になっている。
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「捜査報告書」とか表題だけ見たって、どれが必要でどれがそうでないのかなんて分かるはずがない。
風の精ルーラ氏の能力では分かるはずがない
のである。そこを勘違いしている。
表題だけ見て
なんて制限はない。自縄自縛だ。初っぱなから情報の取捨選択を間違えている
自分で書いた文章の根拠(引用,URL)は示せない、反語表現をいちいち誤読する、一般的な日本語の意味も間違える、という人だからその情報処理能力は推して知るべしだろう。
「自分に分からないことは他人にも分かるはずがない」 - こういう考え方を以前から「オレ様」と称している。自分だけが唯一絶対の判断基準になってしまっている。
事件記録を読んだこともないであろうhidew氏が、ここまで大きな態度に出られる理由が知りたいものだ。
(私は法科大学院などで、守秘義務を課せられた上で見た経験がある)
そんな私に向かって「事件記録は1万ページもある(たいへんだろう!)」と言って通じると思っている。そして、事件記録を読み尽くしている最高裁判所の判断(期日の設定)には盾突く。二重に勘違いをしている。
大学院で参考資料を見た程度の知識で「最高裁判所が無理な要求をした。弁護団にそれをさばく能力はない」と言ってしまう。それこそ大きな態度
である。まず鏡を見てもらいたい。
囲碁は(物事を抽象化する知性があるならば)様々な「モデル」「思考パターン」「シミュレーション」として用いることができる。
「局面さえ見れば」とりあえず必要な情報を全て手に入れられる碁と一緒に並べる思考など、粗雑の極みだ。まあ囲碁と重なる部分があるにしても、それは後付け的に似ていることに過ぎない。
法律の話を説明するのに法律のたとえ話を作ってしまう法律馬鹿 #1886-10
にありえない囲碁万能思考
などと言ってほしくない。私は風の精ルーラ氏が理解できるであろう話題として「囲碁」を選んだだけのことである。
彼は囲碁の高段者であるが、それを他に生かすことは全くできないようだ。もったいない。
私が言っていたのは「情報の入手困難性」ではなく「与えられた(すでに入手済みの)情報をどのように処理するか」という問題である。「ゴミのような情報」ばかりなら読む必要はない。逆に1ページの重要な内容を読むのに3日かかるかもしれない。
彼はそれらの要素(密度、難易度)を考慮せず、ただ「1万ページだから!」という量だけを言い張った。彼も「何がたいへん」か具体的に分かっていないのである。ただ漠然と「たいへんそうだ」と思っているだけ。
そして、自分がたいへんだと思ったことは他人にも伝わると勘違いをしている。
彼の思考こそ粗雑の極み
だ。
#1886-15 不要な部分を捨て、重要なところだけを念入りに読む
要領の良い人は Google Earth のように情報を処理する。(このたとえは彼に通じるかな)
これらをうまく調節しながら、メリハリをつけて考える。
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「調べない!!批判したい!!」あるいは自分の勝手な弁護人ルールで批判を浴びせる人間が愚かであるということはいささかも揺らがない。
調べない!批判したい!
というだけでは足らなかったようでビックリマークの含有量を増やす。しかし、そもそも根本の認識が誤っている。
光市事件の被告・弁護団に関して私が興味・関心を持っていない(調べない)のは事実だが、実はそんなに「批判したい」とも思っていない。元々「被告・弁護団が荒唐無稽なことを言っている(怒)」という感想を(彼のブログのコメント欄に)述べた程度だ。「批判したい!!」と思っていたら、まず自分のブログに独立した記事として書くだろう。
風の精ルーラ氏は自分が光市事件について書きたいので、私の感想を仮想敵言論にするために調べない!批判したい!
という的外れなレッテルを貼る。
いささかも揺らがない
なんて言っているが、これはいつもの「口先補強」であって、だいたい「大きく揺らいでいる」と自覚される時に使う傾向がある。彼に言わせると「プロ棋士は神や悪魔が相手でも、勝てなければマイナスに評価されることは全く疑いようがない #1805-8
」そうだ。 言葉を強めたときほど間違えている。むしろ「間違えていることをごまかすために強めている」と言ったらいいだろう。実に幼稚で分かりやすい態度である。
一連の論争における私の思惑は「光市事件の被告・弁護団批判」とは別のところにある。
本当に批判したい対象は、資料に目を通したというだけ(それ自体も本人が勝手に言っていること)で全てを知ったつもりで息巻いている「中級者気取り」「虎の威を借る狐」の風の精ルーラ氏だ。
右から突っつけば左に傾き、左から突っつけば右に傾く、フラフラ、ヨレヨレの言論を見ていたら、彼は司法関係(光市事件)についてさえ、まともな見識、筋の通った意見を持っていないということが分かってきた。教科書のパッチワークはできるようだが、いかんせん、それらを統合して自分の考えにする力がない。何を言っても支離滅裂になってしまう。
彼の「トホホな言論」については、「調べる!!! 批判したい!!!」 である。
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これは理ではなく情に基づくものだから、「強堅なる言論」でどうにかできるものではない。情でかかってくる相手に「理」でもってどうにかできる世界ではないし、と言って情で勝つのなど無理だ。
激怒する感情に対峙するのは、ある種の「苦情処理」だ。具体的な対応も示したはず。#1871-15
「苦情処理の基本」を風の精ルーラ氏は全く分かっていない。学校では教えてくれないのだろう。彼はしばしば「実務家」を引き合いに出して知った風な口をきくが、肝心のところで「実務経験のない青臭さ」を露わにしてしまう。弁護士は他のサービス業に比べても「苦情・クレーム」に接する機会が多いはずだ。
情で勝つ
という表現には笑ってしまった。そもそも「勝ち・負け」の話ではない。こういう発想だからダメなのである。#1890-13
これは理ではなく情に基づくものだから、「強堅なる言論」でどうにかできるものではない。
「強堅なる言論」でどうにかできるものではない
ということは、それを身につけている人が言うべき台詞だ。「貧困なる言論」の風の精ルーラ氏が言うことではない。彼の態度はラーメン屋で言ったら「美味しいから繁盛するとは限らない」と言って、不味いラーメンを出し続けるようなものだ。
正論だから相手を説得できるとは限らないが、「言論に筋が通っている」「説得力のある理屈」というのはとりあえず必要な条件である。
弁護士に要請されているのは「与えられた時間で最大の努力をする」という話なのに、風の精ルーラ氏は「いい加減な弁護活動でいいのか!」と勝手にハードルを上げて、遅延行為を正当化する。それを批判されると「じゃあ誰も引き受けないよ」と拗ねてしまう。
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誰も引き受ける人間がいない刑事弁護ボイコット状態の完成…
最悪ですね。
自分で勝手にハードルを上げておいて、「こんなもの飛べるか!」とボイコットするのだから呆れ果てる。
最悪なのは、口ばっかり達者で自分では何もしない弁護士もどきだ。
明らかに不当な期日設定(最高裁判所の過ち)なら、それを世の中に訴えて、国民審査で×にするとか、国会を動かすとか、それが正しい「民主主義の手続き」というものだろう。
オレ達弁護士は「正しい」から、面倒な「手続き」を飛ばして、結果を出してやる。
これが風の精ルーラ氏の本音である。彼の場合は「手続きは大事!」という建前をさんざん強調した挙げ句に、こういう本音が出てくる。しかも、いつのまにか本音の方を強調していたりする。まさにマッチポンプ。
いい加減な手続を当然と思う感覚
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200911100000/
いい加減な手続を当然
と思っているのは彼自身のことだった。
結局、また「(他者を批判した風の)自己反省文」を書いたのである。
おはようございます。私は見城徹という編集者に興味があるんですが、幻冬舎からこんな本が出ました。
『早大院生と考えた 文章がうまくなる13の秘訣』
早稲田の大人気文章教室が本になった!
伝わる表現のテクニックが満載。
なんといいますか、声の大きさと説得力は無関係ですね。政治家の演説って、もっと抑制を効かせた方がいいのに・・・と、いつも思います。
声の大きさと説得力は無関係
- 同感です。むしろ「説得力のなさを声の大きさで補う傾向がある」とさえ言えるかもしれません。#1831-15
小沢一郎民主党幹事長や風の精ルーラ氏のように、「こんなことも知らないの!?」と「丁寧に説明を申し上げれば…です」という両極端な側面を使い分けるタイプは深層の揺らぎがそのまま表出してしまっています。あるきっかけで居丈高な態度に豹変するのは裏に何かがあるんです。「嘘をつくと饒舌になる」「浮気をすると優しくなる」という人たちにも共通の心性があります。うわべの演出(声を大きくして恫喝したり、急にやさしくしたり、)だけを変えるのは逆効果だと知らないのでしょうね。
「すごい」「とても」という類の言葉はできるだけ省略するように心がけています。「何がどのようにすごいのか」をいちいち説明することが「文章」「表現」ですから。
「接続詞を削れ」というのは、囲碁に通じる考え方です。そこに 透明の石 があるかのように打つのが囲碁の「利き筋」ですが、そこに透明の接続詞があるかのように書くのが文章の要諦です。あえて省略する、あえて透明にしておく、というところがミソです。
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予想通り?の誤読
すぐ近くに
と書いてあるのに、その通りに誤読している。注釈をつけても無駄だったみたい。
「十年かかってもいいわけだ(いや、そんなにかかっていいわけないだろ!)」という反語なのだが、彼は本当に「反語」という表現形態が読解できないようだ。これがゆとり教育世代の国語力なのか。
私が書いたのは「『準備が足りないから出廷しない』と言うワガママは通らない」という意味だ。
まさに光市事件の弁護団が
で たのである。関連