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hidew 2010.10.23

#1949 坂田栄男(二十三世本因坊栄寿)逝去

二十三世本因坊坂田栄寿死去

二十三世本因坊坂田栄寿が10月22日正午過ぎ、日本赤十字社医療センター(東京都渋谷区広尾)にて胸部大動脈瘤破裂のため、逝去されました。享年90歳。通夜・告別式は近親者のみで執り行われます。喪主は、妻 鐵枝様。なお、ご遺族のご意向により弔電・生花等はお断りさせて頂きます。

「芸」を代表する碁打ちが藤沢秀行なら、「勝負」を代表する碁打ちは坂田栄男である。

坂田先生の身も蓋もない実戦主義や、えげつない打ち回しには共感するところが多い。碁は「正しいかどうかではなく、勝つかどうかである」このように考える勝負派の代表であった。

藤沢秀行の追悼番組に出演したときのコメント #1872-1 は最高である。現役時代から建前を言わず、常に本音 100% で生きているような人だったが、久し振りにテレビカメラの前で語った藤沢秀行への憎まれ口は衰えるどころか、パワーアップしていた。碁打ちは年齢を重ねても頭脳明晰であり続ける人が少なくない。

たばこを吸いまくって90歳は長く生きた方である。さわやかな風が通りすぎていったような大往生であろう。

坂田栄男

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hidew 2010.10.25 [1]

昭和のライバル物語

昭和のライバル物語 【2010年10月23日 産経新聞「産経抄」】

勝負ごとの世界では、心血を注いで競い合ったライバルでも引退したり年を経れば、仲が良くなるということが多い。私見ながら、野球の長嶋茂雄氏と王貞治氏、相撲の栃錦関と若乃花関などそう見えた。囲碁や将棋の世界にも多いようだ。

だが、坂田栄男さんと藤沢秀行さんの場合だけは違った。ともに第一線を離れた後も「和解」などしようとはしなかった。互いに「自分の方が強い」とがんばっていたらしく、囲碁の新聞が正月用紙面で対談を企画しても実現しなかったという。.. 昭和38年の名人戦七番勝負、藤沢名人に5歳年上の坂田さんが挑戦し、最初の2番を連勝した。坂田さんが「鎧袖一触。もう4連勝だ。まるで芸が違う」と胸をはれば、藤沢さんも「これで五分の勝負になった」と応酬する。結局は坂田さんが4-3で名人位を奪取するが、ピリピリした関係は終生続く。性格的にも藤沢さんが開けっぴろげで、酒や賭け事、何でもござれだったのに対し、坂田さんは「カミソリ」の異名のごとく「寄らば切るぞ」の孤高を漂わせていた。

hidew 2010.12.23 [2]

坂田先生お別れの会 趙治勲弔辞

坂田先生お別れの会

趙治勲
「坂田先生と初めて対局したのは、日本棋院選手権ですが、僕が二連勝した後に、坂田先生に本気を出されて、その後3連敗して負けてしまいました。その後全く坂田先生に勝てなくなって、13連敗しました。
坂田先生はよく、『治勲が強くなったの、俺が鍛えたからだ』と話をされていたそうです。
坂田先生に鍛えられて、僕は強くなりましたが、性格は少し悪くなりました。」