#1769 広島・厳島神社の海に散骨
囲碁・棋聖6連覇、藤沢秀行さんが死去 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
本人の希望で、遺骨は広島県・厳島神社の海に散骨されるという。
人が死んだら自然に帰るのが一番だ。
お墓など無用の長物である。この世に何かを残すなら、子孫と記憶(記録、無形の情報)だけでいい。記憶というのは徐々に薄れていくが、藤沢秀行の場合は「棋譜」という形で、数百年間は保存されるだろう。
もちろん「何も残さない」という生き方があってもいい。体を構成する炭素、窒素、酸素、水素、などを自然に返して終わり。後に残るのは「虚無」
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- 徳留佳之
- 2006/2
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余談 - 広島・厳島神社
札幌・時計台に代表される「日本ガッカリ名所」というのがあるが、広島・厳島神社はその逆だろう。写真では伝わらない何かがある。波の音、磯の香り、鳥居との距離感、。
私は信心もなければ、霊感もないのだけど、この荘厳な海上神殿の現場に立ち、敬虔な気持ちになったことを覚えている。
宗教的には自由な散骨という形式をとりながら、その場所に厳島神社を選ぶというのは、すごく共感できる。
人間は二度死ぬ
一度目は肉体が死んだとき、
二度目は誰もその人を思い出さなくなったとき。
― 映画『ガマの油』役所広司監督