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hidew 2009.02.22

#1731 「囲碁お見知り置きを」海原氏の支離滅裂(2)

jpg 12968 byte 前回(#1730 )の記事に対して当人から返答があった。

棋聖戦ダメ詰め事件応答 / 囲碁お見知り置きを
http://igo-omishiriokio.at.webry.info/200902/article_31.html

http://igo-omishiriokio.at.webry.info/200902/article_31.html

応答義務について。.. 「お前の言っていることは不適切な終局要請の場合も応答義務があるのと同じだ」と言った人がいたので、私は「いや、私は、『あの場面では』、という留保をつけている。他の場合はまた別だ」と説明した。 しかしその後いきなり別の人 .. が、「私は場合分けの基準を訊いたのだ」などと言ってきた。いや、訊かれてないから。

終局要請に対する応答義務について海原氏は「場合による」(とくに棋聖戦における王立誠は終局に合意すべき)という意見だった。それならばその「場合」の内容を説明すべきだ。「序盤と終盤でルールがねじ曲がるのはなぜか」と質問しても全く答えがなかったので、その質問の趣旨を分かりやすく補足したのが「(応答義務がある場合とない場合の)場合分けの基準は何か?」というものである。いずれかの質問に答えたのならばともかく、何も答えないで逃げている。枝葉末節の表現にケチをつけていないで本質的な答えを少しでも書いたらどうなんだろうか。本来、そんなことは質問される前に「場合による」という主張の裏付けとして提示すべきなのだ。

だから私は「場合分けの基準」ではなく、「場合分けをすること自体はよくあることなんだよ」という説明を展開した。にもかかわらず、「私はその基準を訊いたのだ」などと言ってきたので、相手にしないことにした。論点もズレてるし、リテラシーも無いというのは、つまり例えばこういうこと。

「場合分けをすること自体はよくある」という説明だけで何かを言ったような気になっているところがすごい。そんな説明は「プログラミングでは if - else - 構文を使うことがよくあるよねー」と言っているに等しい。内容がからっぽである。

  • A : 王立誠の場合は終局要請に合意すべきだった
  • Q : それはなぜ? 合意しなくてもよい場合との違いは?
  • A : 場合分けをすること自体はよくある

こんな有様。誰の論点がズレ、誰のリテラシーがないかは明白であろう。

.. 「仮に、『行為によって』結果的に良い効果が生まれたのだとしても、'彼がそれを意図して行為に及んだのでない'以上は、それをもって『行為』が良かったということにはならない」という主張を、第二のレベルとして展開したのである。

根拠もなく、自らの妄想で勝手に決めつけている。王立誠がルール改善を意図していたか、純粋に勝ちたいと思っていたかは分からない。「柳時薫の手離れ打ち直しに怒っていたから」という説もある。だとするなら「ルールの厳格運用」に対する疑問があったかもしれない。

「動機が云々」のくだらない話は悪行を裁く法廷で(情状酌量の材料として)やればいい。「勝利を希求する」「アゲハマを打ち上げる」のは碁打ちとして当然の行為であり、その動機を問題にすることがそもそもおかしいのだ。この調子だと「悪いことを考えて歩くのは悪で、良いことを考えて歩くのは善」とでも言いかねない。あーあほらし。

 ああした行為をすれば、少なくとも不快に思う人がそれなりに現れるであろうことは、よほどの馬鹿でない限りは簡単に予測ができたはずで、それなのにあえてああした行為に踏み切った点で、やはり行為の悪さというのは肯定できるのだ。

「初手天元に打つのは不快だ」と思う囲碁ファンが現れたら、それを打ったプロ棋士は悪いことになるのか。クレーマーが現れたからと言って、その行為の善悪とは関係がない。どんなことにもケチをつける「よほどの馬鹿=モンスター」はいるけど、そういう馬鹿に配慮していたら何もできなくなる。

海原氏は自分を何様だと思っているのか知らないが、自分が不快だからと言って、プロ碁界がそれに合わせて行動すべきなんて道理はない。

.. これは「普遍的」の意味が問題になってくるのだけど、氏と私とでは込めている意味が違っている。

言葉の定義の問題に逃げるのもよくあるパターンである。海原氏の普遍性の範囲はせいぜい「2,3人」だから、まぁ確かに違っている。

ふへん【普遍】

(1) 広く行き渡ること。
(2) すべてのものにあてはまること。すべてのものに共通していること。⇔特殊「―の原理」

http://igo-omishiriokio.at.webry.info/200902/article_31.html

私は、「論理的に正しい」という程度の意味で使っている。

四季の素材 十五夜 「普遍的=論理的に正しい」という思い込みは非論理の錯覚にすぎない。

たとえば、全ての人が何かを誤っている場合もあるわけで、それを「普遍的」と言うことはできるが「論理的に正しい」というのはまるでとんちんかんな言明になる。定石というのは普遍的ではあるけども、正しいとは限らない。「普遍」とはそういうことだ。

「理由と結論があり、反論できる」という点がポイント。言葉と論理によって正しさが客観的に検証されたものが普遍的なもの、と私は考えていた。

海原氏の主張は

  • 結論 - 王立誠の行為は普遍的に非難されるべき。
  • 理由 - 俺様を含めて一部の囲碁ファンが不快だから。

これのどこが「論理的に正しく」「客観的に検証され」「反論可能」なのか。「不快」と言うのは個人の主観の問題で反論できることではない。自分の定義した意味にさえ、当てはまらないことを書いている。

これらの勝手論理が海原氏の言う「リテラシー」の正体だとするなら、海原氏の奇怪な文章を読み解くリテラシーなど一体誰が持ち合わせているのだろうか。

 あと、私はクレーマーです。ただ、囲碁界や棋士という、ある種の公的な存在に対して色々言うのと、私ごとき一ブロガーに対して書き捨てする人とはだいぶ違うと思っている。

クレーマーという言葉に含まれるネガティブなニュアンスは「公私」の別に由来するわけではない。内容の理不尽さが重要な要素である。

「一部の囲碁ファンを不快にするような言動は悪」という規範に従うなら、王立誠に対する筋違いのクレームを撤回すべきだ。このクレームが一部の囲碁ファンを不快にすることくらいよほどの馬鹿でない限りは簡単に予測ができたはず。自ら定めたその不可解な規範にせめて自分だけは従ったらどうか。

あなたの言っていることも、「『全体を一様な理想に導くのは良くない!』っていう理想に全体を導こうとする思想」なんだよ。

わざわざ「一様な」という言葉で修飾した意味を読み取れていないようだ。言葉遊びをしているだけ。

私は「戦う民主主義者」に近いかな。

自分の気に入らない人を駆逐すべきなんて言う人は民主主義者ではありえない。やはり「朝鮮民主主義人民共和国」と同じにおいがする。

関連記事

*

囲碁お見知り置きを 2009.05.01 [1]

色々応答

忙しくてきちんとした返答ができずにいる間に、色々と返事すべきことが溜まっていた。コメント欄にも返事をしておいたが、ブロガーからの批判にも応えたい。まずこちらから。

hiro-t 2009.03.14 [2]

昔の記憶から

こんにちは。ごぶさたしています。

「柳時薫の手離れ打ち直しに怒っていたから」という説もある。

この棋聖戦第5局直後のジャンボ大会でも、OB仲間で当時話題になりました。
確か小生がF美氏と「何でやったんだろうね。(特殊な状況でなければ)普通は行わないもんだが。」と話していたところ、g-max氏が「リアルタイムで衛星中継見てたけど、柳時薫がヨセで待ったをした、(少なくとも)相当疑惑の手があって、そのときは許したんだけど、もう一回やった(やろうとした?)から、さすがに王立誠も怒った。俺にはそう見えた。あれ(ポン抜き前の局面)一回目だったら見逃したと思うなあ」
と説明されて、F美氏共々納得したのを覚えています。

怖いものみたさに当時の録画映像をみたい気もしますが、さすがに無理でしょうね。
1次史料(になるのかな。週刊碁、碁ワールド、棋聖戦七番勝負記録本)は持っているから、
資料整理の動機付けにしようかな(苦笑)

hidew 2009.03.14 [3]

1回目のマッタ疑惑

貴重な参考意見ありがとうございます。

「あの対局は、1回目のマッタで柳時薫の反則負けにすべきだった」という過激な意見も目にしたことがあります。映像が YouTube とかニコニコ動画にあればいいのですが、残念ながら見つかりませんでした。

加藤一二三のはありました。何回見ても面白い。png 422 byte
YouTube - 加藤一二三 待ったの瞬間
http://www.youtube.com/watch?v=lJdtdulPK58

疑惑のマッタがなければ、王立誠に「見逃す」という選択肢はあり得たかもしれません。ただ、そういう人情とは別に筋は「抜くべき」かと思います。

そういえば、大学時代、マッタやグダグダ終局のトラブルは絶無でした。まぁ棋聖戦の件も周りが騒いでいるだけで、当事者は淡々と処理して、納得済みなのでトラブルとは言えないかもしれませんが。

1次史料(になるのかな。週刊碁、碁ワールド、棋聖戦七番勝負記録本)は持っているから、
資料整理の動機付けにしようかな(苦笑)

私も平岡さんの打碁集を作ろうと思っていたのに、資料整理をしないままうやむやになってしまいました。今となってはどこに何があるのやら… png 1035 byte

hiro-t 2009.03.15 [4]

資料発掘

へー、加藤一二三の件は笑えるね。

ただ、そういう人情とは別に筋は「抜くべき」かと思います。

「一連の対局状況の流れ(部分的に切り取るのではなく)」からは、「抜くべき」なのは同意です。

以下、資料発掘しました。
「第二十六期棋聖決定七番勝負激闘譜」より

第5局 観戦記は佐野真

第11譜(P134) 

柳は黒93(引用者注 293手目のこと)と半コウをついだ。もう盤上には、一目の手も残されていない。
しかし囲碁規約では「終局」の定義を「両者の合意をもって」と定めている。
この時の柳は、かすかなアクションを起こしただけで、言葉にして「終局」の同意を求めてはいない。従って当然、王は「合意」をしてはいなかった。
白98のアタリに黒99―。以下の模様は第1譜でお伝えした通りである。
(後略)

第1譜(P114)

「あっ、いいんですか。僕は何も言ってない!」
すでに"ダメ詰め"の段階。突然、王が声を発した。
柳「えっ...」
王「僕は"終わった"とは言ってない」
柳「......」
あとは黒の三目半勝ちを確認するだけだった対局室の空気が一瞬にして険悪なものに変わる。
険しい表情の王と、戸惑いを隠せずに言葉を失った柳。
王「立ち会いの先生を呼んでください」
(後略)

また、第10譜(P132~P133)にも伏線の待ったの描写があります。(疲れたので引用はパス)
第12譜(P136)には「前々譜でお伝えした「伏線」が無ければ、おそらく王も黙認したのではないかと思う」と多分、佐野真記者の見解を表わした一文もあります。
もっとも第12譜冒頭には、「石田芳夫立会人の裁定に異論を差し挟む余地は無い。」とありますから、これは(主催者としての)読売新聞の立場の表明でしょう。

プロの世界では、「アタリにつがないのが、そもそもみっともない。ついどけば防げるし。」
という空気だった気がしますね。

#石田芳夫は第5期名人戦第4局(大竹ー趙)でも立会人だったはずだから、よくよくトラブルに巻き込まれるな。

hidew 2009.03.15 [5]

石田芳夫九段の周りでハプニングがよく起きる

資料提供ありがとうございます。

王立誠の対応は毅然としてますね。

図書館にあると思うので、今度読んでみます。

「アタリにつがないのが、そもそもみっともない。ついどけば防げるし。」

そんなものでしょうね。柳時薫だって納得しているわけだし。

石田芳夫は第5期名人戦第4局(大竹ー趙)でも立会人だったはずだから、よくよくトラブルに巻き込まれるな。

両方とも石田芳夫九段が対局相手です。
この人には周囲を惑わせる何かがあるんでしょうか。

そういえば、顔が似ている出○屋さんの周りでも面白ハプニングがよく起きました。そういう顔相なのかも(笑)

Voice of Stone 2009.05.01 [6]

第26期・棋聖戦(王立誠-柳時薫)- 事件の遠因と伏線

『第26期・棋聖決定七番勝負激闘譜(王立誠-柳時薫)』(読売新聞社)より第5局のダメ詰め-打ち上げ事件に関する記述を抜粋。

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