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hidew 2009.02.20

#1730 「囲碁お見知り置きを」海原氏の支離滅裂

「囲碁お見知り置きを」の海原氏は7年前の第26期棋聖戦第5局(王立誠VS柳時薫)のダメ詰め騒動を今頃になって蒸し返し、王立誠プロに対して筋違いの批判をしている。

  1. ボンヤスキーと王立誠
  2. 棋聖戦駄目詰め事件追記
  3. 棋聖戦駄目詰め事件?終幕?
  4. 棋聖戦ダメ詰め事件補足?囲碁ファンのお子様メンタリティー?

http://igo-omishiriokio.at.webry.info/200902/article_25.html

.. 「結論にいたった筋道」にきちんと反論がこないんです。要するに、論点がズレてるというわけでして、なんとか分かってもらおうと詳しく説明しなおしても、それについてお礼の一言の無く、またつまみぐい的な反論が繰り返される。礼儀もリテラシーも欠如してます。

唐突に「王立誠の行為(アタリになった石を打ち上げた)はみっともない」という感情論をぶちあげ、終始「ルール上問題はなくても、道義的には問題がある」の一点張り、批判の根幹に関わる部分(終局要請の応答義務)のツッコミには、基準も示さず「場合による」と片付けていた。自分に都合の悪い論点はズレていることにして逃げる。挙げ句の果てに、自身が新たに提示した論点(この点も支離滅裂→後述)に同調するのは後出しジャンケンということにする。

ブログ上の議論というのは同時に発言するわけではないから、常にどちらかが後出しになるわけで、それをジャンケンに喩えるとはお粗末な比喩である。そもそも、海原氏は「比喩は好きではない」と言っていたはずだ。

自身で勝手に終了宣言をして打ち切ったはずの議論に対して、本文よりも長い補足(という名の愚痴、恨み節)を後出ししたのも、言動が迷走している。

規範の対称性、言動の一貫性がまるでない。「これで最後」とか「後出しジャンケン」とか「比喩は良くない」とか「礼儀もリテラシーも欠如」とか、余計なことを言わなければいいのに、自分でそういうことを言っておいて、自分でそれを破っているのだから呆れる。

海原氏の論は万事がこの調子だ。

「王立誠の行為はルールの明確化という好ましい結果を招いた」という意見に対して、海原氏はなんと答えたか。

http://igo-omishiriokio.at.webry.info/200901/article_7.html

王プロの行為によって「合意」という悪習が無くなったのだからいい行為だったのだ、という理屈もナンセンスです。.. その部分は何の関係もありません。

「(王立誠の行為によって)結果的にどのような影響があったかは関係ない」と言った同じ口で「王立誠の行為が道義的に許されないのは、悪影響があるからだ」と言ってしまう。しかもこの後、得意気に「自分は後の影響まで考えた。王立誠擁護派はそこまで考えたのか。今頃になって言うとしたら後出しジャンケンだ」と続く。ご都合主義、支離滅裂もここまで来ると呆れを通り越して、何か心配になってくる。

そもそも「悪影響」というのは具体的に何のことか。他にも「道義」とか「筋」とか、言葉だけが踊っていて内容がない。

自己矛盾(自虐、ブーメラン)的な言明はまだまだある。

クレーマーの方が第2のレベルについて思いが至らないというのは、実に納得できる現象なんです。つまり、「自分の個人的な好悪を、普遍的なものとしてゴリ押ししょうとするメンタリティー」が根幹にあるという点で、分かりやすく共通しています。

海原氏が自らを分析したものならば、この一節は実に的確だ。

棋聖戦のダメ詰め騒動において、普遍的に採用すべき要素はルールであり、立会人の裁定である。碁界の(公的な)見解は、石田裁定から今に至るまで

  • ルールに不備があった。
  • 好ましくない慣習があった。
  • 加えて柳時薫にミスがあった。

というものである。個人的好悪にすぎない「王立誠の行為が不愉快」という心情をひきずって、クレームをつけているのは海原氏なのだが、自身こそがクレーマーであるという自覚はあるのだろうか。

個人的な好悪をそのまま公共圏に持ち込もうとするのは、お子様のメンタリティーです。まあ言っちゃなんですがネットユーザーにはこういう方がすごく多いので、クレーマーの方なんてのはそういうアレな方と思っておけばいいのかもしれませんが、恐ろしいことに現実世界で会う囲碁ファンにも、こういうメンタリティーの人がものすごく多いんですよね。

皆さんも経験ないでしょうか?わけのわからん「マナー」を押し付けてくる人。そう言う人に限って、人の対局に横から口出したりするんです。やれやれ。

私も結構色々な趣味をやってきましたが、はっきり言いまして囲碁ファンほどこういうメンタリティーを持っている人たちはいませんでした。なぜそうなのかについてはそれ自体興味深い話なんですが、いずれにせよ、それは囲碁界にいい影響を与えません。

海原氏には鏡が必要だ。

類は友を呼ぶ」と言うけど、海原氏の周りにはそういう囲碁ファンやネットユーザーが集まるのだろう。

「(王立誠が)アタリの石を取り上げるのはダメ」というのは、まさにわけわからんマナーの典型である。海原氏はそれを「みんなが不快に感じている」と普遍化しようとする。せいぜい2、3人の「みんな」を「正当性の担保」として使おうとすることがまさに「お子様メンタリティ」である。「(王立誠の行為も立会人の裁定も)個人的に嫌いだ」で止めておけばいいのに、なんで「普遍的に間違っている」というところまで言ってしまったのか。

正直に言っちゃいますと、いい年してお子様メンタリティーを捨てきれない方は、駆逐すべきかとも思ってます。

王立誠を「俺様マナー」で非難したからと言って、駆逐されなければいけないほどとは思わない。自分の気に入らない人間を排除して「理想的な囲碁界」を創ろうとするのは、お子様メンタリティより害悪のある「金正日メンタリティ」である。国家にしても、宗教にしても、囲碁界にしても、「全体を一様な理想に導こうとする思想」にはろくなものがない。

関連

「棋聖戦駄目詰め事件について」
http://star.ap.teacup.com/abudoira/318.html

勝負事に向かない日本の気質 - 碁法の谷の庵にて
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200607010000/

『みんなが不快だ』は俺が不快だ!
http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-40.html

資料


1730.sgf

*

curren 2009.02.20 [1]

お元気そうで。

当時囲碁のことすら知らず、今もほとんど知らない私ですが、
システム屋目線で言うと、やはり、
勝敗という明確なものを決定するゲームのシステムが
曖昧なものだったことが全ての原因と思います。

hidew 2009.02.20 [2]

柳時薫のミスも原因のひとつ

囲碁の場合は他の勝負事(たとえば野球)と異なり、曖昧さをゼロにできるのに、わざわざいい加減な運用をしていました。あの騒動の原因はシステムの曖昧さが半分ですが、あとの半分はアタリにつがなかった柳時薫のミスです。

**** 2009.07.05

正直ここで一人の人をあげつらって批判している文章は揚げ足を取るばかりで見るに耐えないレベルです
人の話を聞けない、聞かない、自分の意見を押し通すという姿は醜いものです。

**** 2009.07.05

hidew
具体的に指摘してください。

何かを言いたければ、具体的に指摘してください。

hidew 2009.08.14 [5]

つづき

きゃぶ 2010.04.06 [6]

「パス」という一手

私が最初にここにお邪魔したのは、#1902 「台湾のボトル茶CMでの碁盤面について」だったと思います。
囲碁を始めて一年くらいという初心者“もっもさん”のサイト「へいほう!」に載っていたトラックバックから辿りつきました。
私自身も、意識して碁に取り組み出して半年くらい。ようやく「ド」が外れた程度のヘボです。
すぐ近所に小学生をメインにした碁会所があって、親切な講師にも素直な同級生(?)たちにも恵まれて熱中しています。「ま、Just a Game(by 羽生善治)ですから楽しんでってください」とは言われていますが、なかなか上手くなれなくて悔しい。

囲碁のややこしさの一つに、上のお題の「終局の合意」「どこからがダメ詰めか?」が含まれています。件の棋聖戦しかり、矢代×謝の女流本因坊戦しかり(矢代は30子が消えてなくなり茫然自失だったとか。それでも揉めなかったのは、問題提起してくれた王立誠のおかげ?)
強い人たちにとっては何でもない「終局」でしょうが、ヘボの我々から見ると、「こんなにスキマだらけなのに終わり? まだ打つトコいっぱいあるじゃない?」といつも消化不良状態。また逆に、ヘボ同士が打って「じゃ、そろそろ整地しようか…」と死石を取り揚げようとすると、師匠から「待った、よく見てみなさい…」と断点からの切り取りを指摘され、「あ!?」と真っ青になることも日常茶飯事です。

この「終わりですね?」について、「囲碁普及研究所」(http://www11.ocn.ne.jp/~igo-298/index.htm )の“いくべ先生”が面白いことを述べていました。
手番を持っている方からの「終わりですね?」との問い(中押しの確認ではない)に対し、相手が「いいえ」と答えたら、それはつまり、“まだ逆転可能な着手点があるのだが、あなたはそれに気付いていないのだ”と教えてやっているようなもので、勝負を賭けた対局ではふさわしくない。「私はパスします」とハッキリ言うことも“一手”としてカウントするルールが必要だ、と。(←これってもう規定済み?)

強い碁打ちさんたちには、こういう「ヘボたちは何に悩んでいるのか」に気付いてほしいものです。他にも、「十九路盤での本碁は初心者にとってトホーに暮れるゲームに感じられる」とか「30,000種類もある打ち方のどこが“定石”なのよ」とか。上記の先生はここに着目して、コツコツと地元で指導活動なさっているようです。

hidewさんはどうお考えですか。

hidew 2010.04.06 [7]

重要な問題提起「暗黙の日本ルール」

ルールに関しては私も同じ認識です。

重要な問題提起が多すぎて簡単には語れませんが、とりあえずいくつか要点を書いておきます。

  • ダメ詰め前の「終わりですね?」は論外。理由も解決策もいくべ氏と同じ。着手権を保持したまま「終わりですか」と聞くのは、対局相手に助言を求める愚行。ネット碁のように「パスという一手を打つ」ことによって意思表示をすればいい。
  • 「パス」の発声で言った言わないのトラブルが予想されるので、なんらかの明示が必要。「何も打たずに対局時計を押す」など。
  • 囲碁において着手は義務ではなく権利。「パス」は自由。
  • ダメ詰めも立派な着手。ダメが詰まると意外な妙手が生じる。ダメ詰まりこそ囲碁の醍醐味であり、ダメ詰めこそ本番といっても過言ではない。本番を「終わったような気分」で打つべきではない。プロ碁界では上記の棋聖戦事件のあと改善された。
  • 19路盤は級位者には広すぎる。できるだけ少路盤(9路, 13路)を活用すべき。この点に関して多くの指導者は分かっているが、初級者が背伸びをして広い碁盤を使いたがるので「無理に止めない」だけだと思う。
  • 19路盤で途方に暮れるときは、逆に38路盤 巨大碁盤 で打ってみるのもひとつの方法 38路盤で打つとますます途方に暮れる。後に 19路盤で打つと「なんだこんなに狭いのか」と不思議な錯覚を覚える。(高速道路から降りた後の 60km/h が遅く感じるのと同じ現象) 極端に広い碁盤を使うことで「囲碁が本質的には『地を囲う』ものではなくて『空間を支配する』もの」だと理解しやすくなるかもしれない。
  • 定石は「流行のファッション」と捉えるくらいでちょうどいい。弱い人ほど定石を絶対視する傾向にあるが、「自分に合った服装」があるのと同様に「自分の身の丈に合った定石」というものがある。迷ってしまう人、自分で判断できない人は石倉昇プロのような「決め打ち」してくれる人のアドバイスを聞くのがいいと思う。「この春はピンクで決まり!」「この局面ではこの一手!」

こんなにスキマだらけなのに終わり? まだ打つトコいっぱいあるじゃない? - 私も入門の時に悩んだ経験がある。囲碁のルールは5分で理解できるほど簡単なのに「暗黙の日本ルール」は理解するのに5ヶ月かかるほど難しい。図解が必要なので、また改めて書きたいと思う。

きゃぶ 2010.04.08 [8]

ホンキの十三路盤棋戦

前述のもっもさんから、「張栩の名を冠した賞金付き十三路戦がある」と聞いて、早速のぞいてみました。

http://lgs.tw/qwcjrga

これですよ、これ。ヘボ碁打ちにはグッと敷居が低く感じられます。かと言って九路盤ほどチャチ(失礼!)には感じられない。
「地」が分かって「布石」が分かって「目算」「整地」も練習できる。時間を取らないからたくさん打てて場数も踏める」…。

こういうの、流行してほしいですねー。

※ ↑ 「敷居が高い(低い)」の用法が本来とは違って正しくないのですが、他にしっくり来るコトバがなかったので今回はご容赦を(笑)。ここでは、「一太郎」×「Word」論戦もあって面白いですね。いつか参加させてください。

hidew 2010.04.08 [9]

9路、13路が敬遠される理由

私はなんとなく 9路、13路が敬遠される理由も分かったりします。

  • 最初から最後まで全力疾走するような激烈さがある。対局中休憩できないのでかえって疲れる。
  • 下から上へのパンチが入りやすい。ウッカリすると3子くらい下の相手に簡単に負ける。

形勢判断、死活、ヨセなどの「鍛錬」に関して少路盤の効率が良いのは間違いありませんが、絵を描くような「楽しさ」「気楽さ」がないですね。

張栩杯というのは「19路盤でのんびり打つのではなく、13路盤で戦って自分を鍛え上げろ」という張栩のメッセージが込められているような気がします。

BK 2010.04.12 [10]

13路大好き

hidewさんの言われる通りと思いますが、
以前は19路だけでしたが、私はここ数年はほとんど13路で打っています。

19路は時間がかかりすぎて他のことをする時間が無くなる、かといって超早打ちすると充実感が薄い。
13路なら、しっかり考えて打っても30分以内に終わるし、激戦になりやすいので充実感も味わえる。
短時間決戦なので、負けてもそうストレスは無い。

19路は内容によっては(地味な地の囲いあい)長い時間を浪費しただけという感じもあるが、13路は
例え地味になっても長時間浪費は無いので安心。

観戦したり棋譜並べも、19路は長手数で「漠然として、どういう展開なのかなんだかよく分からない」
感じもあるが、13路なら展開が分かりやすい。

少路盤を打つ人が少ないのは、打った経験がほとんどなく、楽しさや難しさを知らず狭い碁はチャチと
思い込んでいる人が多いせいでもある、と思っています。

そういえば、私は走るのも長距離は苦手で、幼稚園から大学まで100、200mが大得意だったなー。

きゃぶ 2010.04.12 [11]

理解者が…

「ほとんど十三路」! ウレしい同好の士ですねー>BKさん

ついこの間 goxi に入会して、ひとの少路盤局を観戦しまくっています。
まだ他のメンバーと打つ度胸がなくて、機械(ごきぼっと)相手に終始していますが、慣れてきたら対人局申し込みに踏み切ろうと思っています。

やっと10級切ったくらいのザルですが、いつかチャンスがあったらお手合わせを m(__)m(笑)。

ヘボには、身の丈に合った広さの盤と、1,2級差くらいのヘボライバルが必須。相手をしてくれそうな方を探して彷徨っているところです。

BK 2010.04.12 [12]

13路でバリバリ打ってください(^^)v

王メイエン九段

碁の勝負強さは接近戦ですべて現れる、九路盤である強さに到達していれば、基本的には十九路でも同じぐらい打てると僕は考えている。いまのところ、モンテカルロ囲碁が十九路で弱いのは、まだやり方がよく分かっていないだけではないでしょうか。スポーツでたとえれば運動能力がすでに備わっていて、あとはテクニック覚えればいい、そういう状態に見える。

私も王九段の意見に賛成です。
私の子供にも碁を教えましたが、13路までしか教えませんでした。まあ、19路を教えるほど私に時間が無かった、余裕が無かったというのもありますが、13路で楽しく打てるほどになれば趣味としては充分ではないかな?と考えていたというのもあります。

13路で初段ほどの人と同等に打てるようになった時には、試しに19路で打たせてみても初段で打てるようになっていました。

私は19路で打つときは2段~4段で打っていますが、今は13路で充分に楽しんでいます。

きゃぶ さんも13路でバンバン楽しく数多く打って力を付けていれば、例え19路で打っても同じように強くなっていると思いますよ(^^)

hidew 2010.04.13 [13]

短距離走を積みかさねる練習

KGS では19路盤で超早打ち(10秒/手)する人をよく見ます。気楽な短距離走を積みかさねる練習は張栩棋聖も本 #1897 で書いていました。

メイエンさんの囲碁観は共感するところが多いです。モンテカルロ囲碁についての見解はやや異論がありますが、人間の場合、「囲碁の基本」は少路盤に凝縮されています。(19路盤の)定石・布石を学ぶより、死活・ヨセを体得する方が重要です。

ヘボには、身の丈に合った広さの盤と、1,2級差くらいのヘボライバルが必須。

指導者よりもライバルが大切です。goxi~囲碁SNS で「13路盤同好会」みたいなサークル活動があればいいんですけどね。

私は以前「38路盤同好会」をやってみたいと思ったことがありますが、キワモノすぎました。

BK 2010.04.16 [14]

棋聖戦駄目詰め事件について

事件後は改定もされたし、現在は考えも変わっていますが、
この事件が起きた時、私は王立誠九段の行為を非常に奇妙で不快な行動に感じました。

それまで王九段を含めて誰もそのような行動を起こした日本棋士がいなかったからです。
なぜ今突然そのような主張をやるのか?
相手が誰であってもあのような主張をやるのか?
柳氏に何か特別な悪感情でも持っているのか?
これまでも同じような場面を体験したことは無いのか?その時どのような行動を取ってきたのか?

疑問だらけでした。

それに新囲碁規約を作ったという酒井猛九段本人の次の意見もありましたので、なおさら釈然としませんでした。

第26期棋聖戦第5局勝敗の疑義

棋聖戦第5局は終局時においてトラブルが発生し、日本碁界前代未聞の逆転により王棋聖の勝利と発表されている。
これは対局者による対局停止の確認が行われていないことから、次の日本囲碁規約の条文に基づく石田芳夫立会人の裁定により、白番王棋聖の着手有効を認めたことによるものである。

第9条(終局)1
「一方が着手を放棄し、次いで相手方も放棄した時点で「対局の停止」となる。」

しかしながら日本囲碁規約には、当規約条文を制御する次の前文が規約冒頭に記されている。

「この規約は対局者の良識と相互信頼の精神に基づいて運用されなければならない」

また、次の条文から対局停止までの間「両者の技芸を盤上で競う」ことが記されている。

第1条(対局)
「囲碁は、「地」の多少を争うことを目的として、競技開始から第九条の「対局の停止」、までの間、両者の技芸を盤上で競うものであり、「終局」までの間着手することを「対局」という。」

上記における規約冒頭の規約運用文および第1条から、棋聖戦第5局の対局停止は明らかに293手の時点であり、それ以降の着手は技芸を競う範囲外における駄目詰め手入れに該当するものであります。
以上から棋聖戦第5局は293手を以て対局の停止であり、従ってその後の王棋聖の黒石六子の取り上げは無効であり、その着点は黒の手入れとして終局処理が行われるべきものであります。
更に、日本古来からの終局の慣習に照らし、棋聖戦第5局は柳時勲七段の三目半の勝ちであります。

今回の終局時に於ける王棋聖の有効着手を認めることは「地の多少を争うことを目的とする」日本ルールそのものの否定に繋がる重大な問題を孕んでいるだけでなく、この裁定による一般囲碁界に対する甚大な悪影響から、棋聖戦第五局における裁定の見直しを要望します。

なお、王棋聖の主張は囲碁規約第9条1に即したものであるだけでなく、彼の対局に対する毅然とした考え方、そして常時からの一貫性ある行為であり、何ら非難されるものではありません。

hidew 2010.04.17 [15]

勝負は下駄を履くまで分からない

事件の前にもいろいろありました。

王立誠「私はふだんの対局でも、終了宣言はしないで最後まで駄目を詰めるよう心がけています。」

囲碁という勝負を正しく認識すれば「ダメ詰め前の終了合意」が傲慢で誤った慣習であることは理解できます。王立誠は日頃から問題意識の高い人だったのだと思います。

酒井猛は自分が神様にでもなったつもりなんでしょうけど、「終局点および駄目詰め・手入れは一意に定まる」という考えは根本的に誤りです。人間は弱いし、ミスをします。棋力によっても、精神状態によっても、終局図は変化します。最後まで駄目を詰めてみなければ勝負は分かりません。

  • 対局者の良識と相互信頼の精神に基づいて - こういう一文をルールに書き込むことがそもそもおかしい。(関連 #896
  • 駄目詰め手入れが全て「簡単な作業」とは限らない。難解な手入れ問題が発生しても対応できる一貫した原則で臨むべき。
  • 外野の勝手な裁定(293手で終局)よりも「パス(着手放棄)が連続したら終局」という規定を優先すべきなのは明らか。
BK 2010.04.17 [16]

異論なし

外野の勝手な裁定(293手で終局)よりも「パス(着手放棄)が連続したら終局」という規定を優先すべきなのは明らか。

全く異論ありません、その通りと思います。ネット対局で行われている方式が最善だと思っています。

あの時はビデオ録画録音があったから終局合意の有無の検証ができたけども、それが無かったらどうなったでしょうねえ・・・

検証できないから「打ち直し」とでもなったんでしょうかねえ・・・

hidew 2010.04.17 [17]

ダメ詰めの手順

ビデオ録画がなくても結果は同じです。(立会人が一番大事な時に席をはずしていたことは問題になるかもしれません)

双方の意思が明確に示されている場合に限り「合意が有った」と言えます。はっきりしない場合は「無し」ということになります。

柳時薫は事件の2手前(黒297手目)にもおかしな手を打っていました。ダメ詰めといえども「大場、急場」(将来、手が発生するところ)を優先的に打つのが正しい手順です。

BK 2010.04.17 [18]

なるほど

双方の意思が明確に示されている場合に限り「合意が有った」と言えます。はっきりしない場合は「無し」ということになります。

なるほど。そういう規定ならば問題は起きませんね。

私の記憶では、日本で行われた国際戦で武宮VS中国のとき、武宮勝利目前の終局間際ダメ詰め段階で武宮の大石がアタリになった。
ダメ詰め段階で武宮は気を完全に抜いていたのか、大石のアタリに全く気付かずソッポを打った。
中国人は即座に武宮の大石をさっさと打ち上げてしまった。大逆転である。

武宮は「アレッ!?」と言って手を挙げて立会人を呼んだ。
立会人は「これは日本ルールですから」と言って打ち上げた大石を盤上に戻させて、武宮の勝ちとなった。

まあ、そのような事例もあったことから、酒井九段のような解釈をしていたプロもアマも多かったのではないかな?と思います。
石田芳夫九段が裁定に30分もかかったのは、やはりかなりの迷いがあったのだと推察します。

ダメ詰めといえども「大場、急場」(将来、手が発生するところ)を優先的に打つのが正しい手順です。

そうですね、今ではダメ詰めも気を緩めずプロも打っているようですね。

小林光一九対中国常の対戦で、ダメが詰まって小林の大地に手が生じ常がそれを読み切り手を付けて行き、小林は大逆転負けをした。
しかし小林は「全く気がついていませんでしたから仕方ないですね」とサバサバと負けを認めた。

考えれば当たり前のことなんですけども、ダメ詰め段階も対局実践中という認識は今では常識になっているようですね。

hidew 2010.04.17 [19]

ゴールを意識しない

「勝負は下駄を履くまで分からない」という箴言は、一般的には「最後まで油断するな」と解釈されますが、脳科学的にはもっと重大な意味があるようです。下記の話を思い出しました。

ダメ詰め前の合意をゴールとする「もたれ合い」「甘え」があった時代に、ゴールを遠く設定していた王立誠が一枚上手だったということでしょうね。

武宮正樹は囲碁の天才ではあるけども勝負師としてはどうかと思います。

小林光一は解説者としても全く手抜きがありません。(NHK杯の自爆事件の後、形勢判断の目数を明言 #1208 ) 些事に全力投球する姿勢が勝負強さにつながっているような気がします。

きゃぶ 2010.04.19 [20]

碁はヒトが打つんだから…

[18] で言及のあった「アゲ石を戻させる」には驚きました。
理由が「日本ルールだから」???
国際戦なのに?(この辺り、ヘボはよく分かっていません)

ルールに明文化してしまえばいいだけのように思えますが、なぜ出来なかったんでしょう?
ネット対局のように、スキマが無くなるまで打って「パス」「パス」で終局、にすると何かデメリットが発生しますか?

「誰が見ても終局」の盤面まで作って損する人はいないはず。あ、投げ時を逸したプライドが傷つくかな(苦)。

高校野球では「凡打でも全力で走れ」と命じられます。精神論ではありません。理由は簡単、野手は人間だからです。
最終回2アウトでの簡単な内野ゴロ処理で泣き崩れた選手たちの何と多いことか。それも含めて「ゲーム」。
(ゆえに私は“最後の打者”が一塁にヘッドスライディングするシーンが大嫌いです。キモチは分かりますが、駆け抜けた方がセーフになる可能性が絶対に高い。イチローの内野安打はヘッドスライディングでは生まれません)。

何が起こるか分からないから“ゲーム”。分かってたらタダの“作業”。

BK 2010.04.19 [21]

事件当時の日本の常識

[18] で言及のあった「アゲ石を戻させる」には驚きました。理由が「日本ルールだから」???国際戦なのに?(この辺り、ヘボはよく分かっていません)

国際戦が始まった当初は、日本で行う対局は日本ルールで、中国で行う対局は中国ルールでと
決まっていたのです。

日本では、ダメ詰め段階に入ったら事実上対局停止で、相手がアタリに気がついてない場合は
「お継ぎください」と手入れを促し終局していたのです。

相手がアタリに気がつかなかったからと言って石を取り上げる日本棋士は誰もいなかったわけです。
それが日本古来からの慣習だったわけです。

梶原武雄や藤沢秀行のように序盤早々に形勢が悪くなると「もうオワだ!いつまでもダラダラ打つな!」と弟子に怒鳴る極端な棋士もいたわけです。

もしも、王立誠が藤沢秀行相手に同じことをやったら、その場で怒鳴りまくられたことだと思われます。

ですから、あのダメ詰め事件当時では、立会人によっては勝敗が逆になるような非常に微妙な問題だったのだと思います。

hidew 2010.04.19 [22]

つまらないプライド

ルールに明文化してしまえばいいだけのように思えますが、なぜ出来なかったんでしょう?
ネット対局のように、スキマが無くなるまで打って「パス」「パス」で終局、にすると何かデメリットが発生しますか?

問題の核心ですね。

「分かって当然、省略することが美しい」「強さを気取ってみせる」というつまらないプライドです。どうせダメ詰めを最後までやるのに(笑)

省略するなら、ダメ詰め・手入れ・整地を全て省略してほしいものです。お互いの目算だけで「白の半目勝ちですね」「はい、そうですね」と合意、終了に至るならば「プロの特別な終局」(目数を明記する「中押し」)として理解できないこともありません。

高校野球では「凡打でも全力で走れ」と命じられます。精神論ではありません。理由は簡単、野手は人間だからです。

まさにその通りです。

かつての日本囲碁界は「内野手がゴロを捕球したらアウト」みたいなことを平気でやっていました。「一塁まで送球するのは簡単すぎて、真剣にやる価値がない」とでも思っていたのでしょう。

「当たり前のことを当たり前にできるか」

そこに勝負の本質があります。

一塁にヘッドスライディング

「頑張っているように見えるけど、危険なだけで合理的な意味はない」という点で日本社会の縮図を見る思いです。

BK 2010.04.20 [23]

小林光一の失敗談

以前、日本の名人と中国の名人が対決する日中名人戦3番勝負が年に一度行われていた。

日本の名人小林光一は中国名人馬暁春と中国で対決した。

小林勝勢のまま終盤を迎え、馬名人が淡々とダメ詰めまで打っていた時、(中国ルールでは当然のこと)

負けの碁を投げないでダメまで詰めていることに小林名人はイライラが爆発したか、突然馬名人に向かって
君は中国の名人だろうが!! (早く投げろの意味と思われる)」と怒鳴りあげた。

中国立会人は「中国ルールでは、小林名人のこの言動は対局負けとなるが、日中友好を考慮して今回は特別に負けにしない」

と言って小林の勝ちとなった。

あの真面目な小林光一でさえ、これであったのだから当時の日本棋士のダメ詰めに対する意識がどれほどのものかわかる。

hidew 2010.04.20 [24]

残念なエピソード

私は事実関係を全く覚えていませんが、本当だとすれば残念な出来事ですね。小林光一という人は泰然自若としていて「盤上の着手、勝負の結果が全て」というタイプかと思っていました。

運営者の事務連絡がおかしいのか、棋士の対応力・柔軟性に問題があるのか、「中国ルール」について全く理解していないのも気になります。

BK 2010.04.20 [25]

負けるはずないけど負ける・・・アセリ

日中スーパー戦、日中名人戦、日中天元戦などが企画された当時は、
日本の棋士は中国の棋士を素人に毛の生えた程度と軽く見ていたのだと思います。
日本のタイトル保持者が本気になれば中国の生まれたての棋士など赤子の手をひねるようなものと。

ところが・・・日中スーパーではまさかまさかの負けで、藤沢、加藤、小林光一が約束通り頭を坊主にさせられた。

その後もいくら本気になっても負け続けて、とうとう日本側から白旗揚げて止めることに。

日中名人戦もそのようなアセリのようなものがあって、負けるはずないけど・・・・負ける・・・

小林光一は本来はそのような人ではないけども、心理的に相当なアセリ、追い詰められてるような心理があったのだと思います。

「中国ルールを全く理解していなかった」というのも「日本が実力は上のはずだ」という思い上がった意識が当時は物凄く強かったせいだと思います。

hidew 2010.04.21 [26]

中国の足音

ちょうど、中国の足音が後ろから聞こえてきた時期です。

終局の前に「(格下の相手に)勝ちきれない。逆転負けするかもしれない」という緊張に晒されたストレスがあったのかもしれませんね。

きゃぶ 2010.04.21 [27]

ルール差、何目?

手近な資料で読んでもピンと来ない中国ルール。

教室の講師に訊くと、「そう大きな差にはならない、最近コミが[5.5→6.5]になった前と後とで、黒の打ち方が若干キビしくなったくらいの違い」と説明してくれました(ま、これでもハッキリとは分からん 苦)。

向こうにも当然、「中押し」があるんでしょう? 投げる場合は日中のルール差は影響を与えないですよね、数目ではなく大差がついてるんですから。

ダメを詰めているうちに「こりゃ足りん…」と気がついたら、そこで投げても中押し扱いですか。

BK 2010.04.21 [28]

後ろかと思っていたら前にいた

ちょうど、中国の足音が後ろから聞こえてきた時期です。

そうですね、藤沢秀行が「中国の馬蹄の響きが聞こえる」と言っていましたが、
まだ自分より後ろにいると思っていたら、すでに並ばれていた。もしくは少し抜かれていたと思いました。

日中スーパーが始まったとき、日本が負けると思っていた棋士は一人もいなかったと思います。
プロ制度を作って、いきなり九段、八段など高段を作ったことに藤沢は「生意気なやつだな、目にもの見せてくれる」と思っていたようでした。(酒に酔ったときそんなこと言ってたと当時の記事にあった)

ところが、のっけから悪夢を見るような負け続け。

大竹が主将になったとき「私が主将になったんだから山城君までで終わらせなければ、私が主将になった意味がない」とまで大言壮語したが、大竹が何度主将をやっても負け続け。

やはり、すでに抜き去られていたのだと思いました。

BK 2010.04.21 [29]

Re:ルール差、何目?

http://sowhat.ifdef.jp/igo/chinese/#1
私も詳しくないのでここ参照

中国ルールでは盤上の生き石を数えるので、ダメも1目の価値がある。

小林VS馬戦が何目の差だったか覚えていないですが、馬名人は中国ルールで淡々とダメまで打っていた。
もちろん大差の中押し勝負もあるでしょう。

hidew 2010.04.21 [30]

中国ルール

「そう大きな差にはならない、最近コミが[5.5→6.5]になった前と後とで、黒の打ち方が若干キビしくなったくらいの違い」

うーむ、この説明は本質を大きくはずしているような…。

中国ルールで重要なのは「石を置いた場所も数える」という点です。

国土の大きさに喩えると

  • 日本ルール - 人の住んでいない空地のみ測量する。
  • 中国ルール - 居住地を含む全ての土地を測量する。

花見の場所取りに喩えると

  • 日本ルール - 杭とロープで場所を囲む。
  • 中国ルール - ビニールシートや段ボールを敷いていく。

ダメを詰めているうちに「こりゃ足りん…」と気がついたら、そこで投げても中押し扱いですか。

ダメ詰めで「こりゃ足りん…」と気がついて投了したら中押し扱いです。プロの対局でそういうことはありません。

余談ですが、KGS では地を数え終わった後に投げることもできます(笑) その場合も中押し扱いです。

きゃぶ 2010.04.22 [31]

Re:中国ルール

ありがとうございます>hidew さん。
「花見の場所取り」か…言い得て妙(^^)

でもこれじゃ、かなり大きなズレが生じませんか。僅差の場合、和式だと勝っているけど中華(?)だと負け、またはその逆、とか…。

野球とソフトボールくらい、は違わないですかね?
(誰でしたか、「ヤキュウ」はもはや「Baseball」ではない、とまで言った人がいましたっけ。競技に対するスタンスの違いまで含んでいた発言だったと思います。期せずして、日本碁界と大陸系との比較に近いものが…)。

hidew 2010.04.22 [32]

中国ルールと日本ルール

かなり大きなズレが生じませんか。僅差の場合、和式だと勝っているけど中華(?)だと負け、またはその逆、とか…。

ダメ詰めの関係で「最大1目」のズレが生じますが、ほとんど同じ結果になります。東京ドームとナゴヤドームの違いよりもさらに細かい違いです。

BK さん、ご紹介のサイトに詳しくまとめられていますね。
http://sowhat.ifdef.jp/igo/chinese/#1

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