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hidew 2006.03.15

#1176 囲碁は勝負、野球は演劇

http://plaza.rakuten.co.jp/nipparat/diary/200504260002/

むしろ勝ち負けがはっきりしているからこそ、ストレスは溜まりにくいのである。負ければストレスは生じるが、自分の能力の問題だからスッキリしたストレスである。これに対して実社会では、邪道が通って王道が引っ込むような、理不尽な事態が生じることは頻繁にある。有無を言わさず結果が出る勝負事と違って、仕事などの実力や成果の評価も単純なものではない。悩み深いストレスが生じやすいのである。勝負事でも、実力以上に口が達者な人はいるが、メッキは簡単にはがれるので心配はない。

http://www.pietsch-companion.com/igo_talk/archives/2005 ..

それから「事件」が少ないのもラグビーと囲碁の共通点。つまり、「強い方が必ず勝つ」のが双方に共通する点なんです。
.. 略 ..
少なくともラグビーと囲碁には「十割」というものを認める感覚がある。

碁には「勝った方が強い」「強い方が勝つ」と断言できる清々しさがある。

持ち時間、煙草の煙、扇子の音、冷暖房、などで多少盤外の要素が作用することはあるけど、少なくとも盤上において邪道が通用することはない。

ハメ手やクソ粘りに屈して相手を非難する日本人は少なくないが、そんなものを通用させた自らのお粗末さを嘆くべきなのだ。

野球の場合は違う。

審判のさじ加減ひとつでいくらでも勝敗を操作することができる。仮に審判が清廉潔白であったとしても、あれほど神業的技術を要して、体力的にも精神的にもきつい仕事の中で誤審を無くすというのは不可能。だから、野球というのはそもそも勝負事などではなくて、ある種の 演劇 だという認識が必要である。

WBC は 日=のび太、米=ジャイアン、というキャスティングだから、どういうストーリーになっているかはだいたい想像がつく(下記参照)

ジャイアン家でのゲーム大会
http://d.hatena.ne.jp/moleskin/20060314/p1

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