#26 学習の高速道路で考えること
将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています(羽生善治)
この話はつまり「どんなに情報社会が進んでも 勝負・競争の本質は変わらない」ということである。文明の進歩は全体のスピードを上げるだけで、個々の相対的関係は変わらない。このことは「動く歩道の上で歩くスピードを競っている」と考えてみれば分かりやすい。
多くの人が指導法、勉強法については熱心に考える。要するに高速道路や車の性能のことばかりを考える。でも一番重要なのは、運転者(=人間)だということを忘れてはならない。
米長邦雄は『人間大学』の中で次のように語っている。
「便利なデジタル機器が次々に現れるが、アナログである人間の部分は変わらない」
羽生善治と米長邦雄はともにITの凄まじい威力と利便性について認識しつつも、それは単なる道具に過ぎないという本質をしっかりおさえている。
そうやって皆で到達したところで直面する大渋滞を抜け出すには、どうも全く別の要素が必要なようである(冒頭のサイトより)
ここで言われている「全く別の要素」は、新しい未知のものではなく、最も古くて最も身近なもの、要するに「自分自身」である。
文明の進歩は環境的充足をもたらすが、努力量を軽減するものではない。
そして実は充足の中で努力する方が、欠乏の中で努力するより難しい。