風の精ルーラ氏のことが気になる理由
hidewさんはなぜ風の精ルーラさんのことがそんなに気になるのですか?
それとも何か個人的に深い恨みでもあるのですか?
ブログ上のやりとりが全てです。個人的に深い恨み
があるわけではありません。以下の理由によって関心はあります。
私は詭弁、屁理屈、官僚作文(自己保身、責任逃れ、言い逃れに終始する無駄に長いだけの文章)が嫌い(逆に好きでもある)なので、そういう文章を読むと突っ込まずにはいられません。
「オレ様」(自己中心、自分勝手、誇大自己、自己愛)の考え方も気になります。風の精ルーラ氏に限らず(たとえば島田紳助 、海原氏 など)何回か言及しています。
「屁理屈ばかり言っている人」「言い逃れが目的化している人」は法学部出身者を中心にたくさんいますが、その中でたまたま風の精ルーラ氏とは縁(囲碁ブログつながり)がありました。
過去、私は BK さんとも同じ調子で論争しています。 #1856 #1924 #1929 風の精ルーラ氏だけが目立つ理由は単純に量の問題でしょう。彼は「疲れた」とか「相手にしたくない」とか言いながら #1871-27 息をするように「自己正当化のための屁理屈」を吐き続けています。ネタは無尽蔵です。
度を過ぎているのでは?
そういう文章を読むと突っ込まずにはいられません。
風の精ルーラ氏に限らず(たとえば島田紳助 、海原氏 など)何回か言及しています。
その中でたまたま風の精ルーラ氏とは縁(囲碁ブログつながり)がありました。
風の精ルーラ氏だけが目立つ理由は単純に量の問題でしょう。
そうでしょうか?
hidewさんの風の精ルーラ氏への執拗とも思える攻撃は、ネット上とはいえ度を過ぎていると感じています。
私は「強い者」(警察、検察など)に対して強烈な批判をすることにはさほど違和感や疑問は持ちませんが、
最近のhidewさんの風の精ルーラ氏に対する攻撃は「弱い者イジメ」の印象を持っています。
私は「弱い者イジメ」は大嫌いですし、そのような行為をする者に強い嫌悪感を持ちます。
意外
最近のhidewさんの風の精ルーラ氏に対する攻撃は「弱い者イジメ」の印象を持っています。
そういう印象になるのは意外でした。
- 囲碁や法律に関して風の精ルーラ氏は
弱い者
でしょうか。 - ブログ上で1対1の論争をすることが
イジメ
でしょうか。
風の精ルーラ (2010年07月19日 14時07分28秒)
「要領よく説明できない無能批判」って世の中舐めてるの?死ぬの?
価値観の転換もクソも、それって世の中の基本でしょ?
しかも、自分はシロートだって言ってるのはそっちでしょ?何が分かっていて何が分かってないかもわからないし知らないことに基づいていちゃもんつけるから一から説明したら今度は長いのはごまかしってふざけてるの?100点の答案以外読みたくないってるのと同じじゃん。
大量だから、説明が悪いから文章読みたくない、だから前提知識から足りないけどいいよね、とか言って言い訳になるの?私の説明が悪いっていうなら、少なくとも法学系に関しては世の中に資料は余るほど出回ってるよ?wikiなんかに頼らないでさ。
大学入試でも資格試験でも、そんなのどこでも教わってないしどこの本にも書いてないって証明したら、点数上げてくれるわけ?
それでまかり間違って合格しちゃったとして、いちいち自分で調べることもしないで上司や教授に聞きに行って、説明が悪いとか自分で調べていないことや自分の無知は棚上げして開き直るわけ?
そう言う舞台に相応しくない人間をふるい落とすのも入試や試験の一つの意義でしょ?
私の説明が要領よくないのは認めるけど、「読めない無能」は社会人として致命傷でしょ?要領が悪いならどうしてこの点が分からないとか言ってこないで、先に罵倒文を書くの?
(#1923-11 に対する)こういう幼稚な反応を見ると、たしかにもう批判の対象ではないのかもしれませんね。
弱い者イジメというよりは
囲碁や法律に関して風の精ルーラ氏は「弱い者」でしょうか。
ブログ上で1対1の論争をすることが「イジメ」でしょうか。
もちろん囲碁や法律に関しては風の精ルーラ氏は「強者」です。
「光市事件」のときの弁護団のあり方などの論争は大変有意義で勉強になると思いました。
しかし、最近のhidewさんの風の精ルーラ氏への攻撃は、弱い者イジメというよりは「人格攻撃」になってしまっているところが大いに問題だと感じました。
人格攻撃とは
BKさんが人格攻撃云々を言うのも、「放火魔が防火活動を…」の類だと思いました。
小泉氏は一見、人間的に好感の持てるさわやか人物のようですが、実は非常に激昂しやすく、どこまでも執念深い、恐ろしい危険人物という印象です。
この後に「超一流経済エコノミスト植草氏を社会的に抹殺したのは(小泉氏の命を受けた)私的秘密警察だ」という陰謀論が続きます。
つまり「恐ろしい危険人物だから → 謀略を企てたに違いない」という構成です。これがやってはいけない「人格攻撃」の代表例です。
論証の補強材料として(因果関係の薄い)人格の要素をほのめかした場合を「人格攻撃」と言います。少しずれますが超一流経済エコノミスト
私的秘密警察
という安易なラベリングで、小手先の印象操作を試みるのも同根です。
私も反省
はい、そうですね。私も問題発言や失敗は多いと思いますので偉そうなことは言えません。
小泉政権批判、小泉・竹中政策批判、植草氏事件などでは、ネット上でない例えば飲み会などで話題が出たときなど、白熱して周りの人たちが慌てるほどの本気の喧嘩になりそうになった・・という苦い想い出もあります。
私も反省したいと思います。
具体的に
どの部分が弱い者イジメ
だったり、人格攻撃
だったり、度を過ぎている
のでしょうか。具体的に指摘して欲しいと思いました。
論旨を逸脱し、度を過ぎた発言は風の精ルーラ氏にこそ散見されます。
風の精ルーラ「 .. って世の中舐めてるの?死ぬの?」#1930-5
風の精ルーラ「大人ではないどころか赤ん坊である。」#1817-25
風の精ルーラ「またモンスタークレーマーhidew氏からイチャモンが。」#1923-4
たとえば、包丁を振り回す暴漢に、木刀を持って対峙する人がいたら、BKさんは「木刀を振り回すな」と言うのでしょうね。
読まれないほうがいいかも
まあ、私の印象ですけどもね、風の精ルーラ氏はhidewさんが攻撃しない限りもう応戦はされないと思いました。
このままhidewさんが風の精ルーラ氏のブログ記事を読まなければ平穏になるのではないでしょうか。
法律家に法律の話を尋ねるのは普通お金かかりますし(30分5000円、1時間1万円)
自分に参考になると思った記事を読む、という態度でいいんじゃないでしょうか?
ケンカの流儀
「ネット論議」って本当にやり方がいくつもあるんですね。
私はてっきり、一枚の掲示板で思い思いに書き綴っていくか、ブログのコメント欄で管理人と読者がやりとりを重ねるのだとばかり思ってました。
(#1748
で「NHKの小正アナの美人度」について、hidewさんと茶々入れさんが延々とコメント・パンチの応酬を続けていたのを横で見ていて感心したことがあります)。
自分でブログを書いている人々は、論争相手のサイトにコメントを入れるよりも、自らのサイト内で反論することの方が多いんでしょうか。
でも売った論戦に相手が気付いて読んでくれなかったりしたら、ちょっと悲しいですね(ウェブサイトは星の数ほどあって、しかも増え続けていますから)。
ルーラさんのサイトを定期的に覗いていない私としては季刊的にここで取り上げてくだされば、「どれどれ…」とやおら閲覧しに行くいいノーティスになりますので、続けていただけるとありがたいです(笑)。
事なかれ主義
内容はともかく、黙っておけば平穏
だ。
BK さんの話はこういうことなんでしょうか。
そもそも誰が「平穏を目指す」なんて言いました?
ご自身の人生哲学として「言うべきことを言わず、平穏に暮らすことが一番だ」と考えるなら、自分だけが黙ればすむことで、他人に押しつけることではないでしょう。
BK さんは「見なければ平穏」と言う割には「植草教授の痴漢は冤罪(謀略)だ」「中川財務相酩酊会見は薬が混入された」「メキシコ湾での原油流出は核戦争以上の災厄」などと、見なくてもいいものまで見て、言わなくてもいいことまで言っているわけですが。
もし私が書いている批判の中に不当な点があるのならば、それを具体的に書いてもらえますか。風の精ルーラ氏の言論に正しさを見出すなら、それを支持する内容でも構いません。
法律家に法律の話を尋ねるのは普通お金かかりますし(30分5000円、1時間1万円)
自分に参考になると思った記事を読む、という態度でいいんじゃないでしょうか?
私が「碁法の谷の庵にて」を読むのは、島田紳助ウォッチングと同じ目的です。法律の参考
のために読むわけではありませんよ。高いものには高い理由があり、安いものには安い理由があります。「生兵法はケガの元」です。
これは本当だろうか
見なくてもいいものまで見て、言わなくてもいいことまで言っているわけですが。
ついでにこれも言っておいたほうがいいかも。これ興味おありでしょうか?
私が現場で見ていたわけではないのでどこまで本当かわかりませんが、
韓国軍艦「天安」沈没の真相
北朝鮮の魚雷攻撃により沈没したことにされているが、米原子力潜水艦の誤認魚雷攻撃により沈没した。
まず韓国軍艦「天安」が極秘に潜水していた米原子力潜水艦を敵と誤認、魚雷発射!
魚雷接近に驚いた米原子力潜水艦は魚雷迎撃で応戦!
魚雷は両艦艇に命中、両方とも沈没した。原潜乗組員全員死亡。
米韓合同軍事演習中に発生した誤爆事件だったというのである。
米原子力潜水艦の行動は極秘中の極秘、北朝鮮のせいにするほかないと判断し、濡れ衣を着せた事件である。
我田引水 - 結局 「陰謀論」を書きたいだけ
- BK「風の精ルーラ氏への批判は弱い者イジメのよう」[4]
- hidew「弱い者? イジメ?」[5]
- BK「弱い者イジメというより、人格攻撃だ」[6]
- hidew「人格攻撃とは、具体的に言うと?」[7] [9]
- BK「何もしなければ平穏になる」[10]
- hidew「自分がそのように行動したらいい。人に要求することではない」[12]
- BK「韓国軍艦沈没は米原子力潜水艦の誤爆」[13]
度を過ぎた
脱線です。全くお話になりませんね。
BK さんの脱線癖は、風の精ルーラ氏と根底ではつながっているような気がします。「自分の書きたいことを唐突に放り込む」という態度です。風の精氏は「自分は法律を勉強しましたアピール #1826-16 」や「怪獣談義 #1894-7 」を書きたいだけですが、BK さんの場合は「陰謀論」を書きたいだけです。主題や話の流れも少しは考えてください。いつも強引すぎます。
WWWのボトルメール
でも売った論戦に相手が気付いて読んでくれなかったりしたら、ちょっと悲しいですね
誰に向けて書くかといえば「第三者的な立場の読者」です。ボトルメールのように WWWの大海に意見を放流して「誰かが読んでくれればよい」という程度に考えればいいと思います。
仮に批判の当事者が気付いたとして、反論するのもよし、無視するのもよし。
面白いのは「相手にしない」「スルーします」ということをわざわざ言ってしまうタイプです。 #1817-22
#1871-21
反論になっていないし、無視にもなっていない。要するに「うまく反論できないけど、何かを言い返さずにはいられない」という態度です。(彼らは相手が読んでくれなかったりしたら、ちょっと悲しい
という意識の裏返しとして「相手にしない」という発言が何か意味を持つと考える)
人のつながりに至上の価値を見出す人(mixi的価値観)と、ブログで淡々と批判を書く人は、価値観のすれ違いがあると思います。ちょうど、茶々入れ氏との論争 #1748 でこんな話がありました。
- 茶々入れ「ひとりでテレビを見るなんて …」
- hidew「見たくもないテレビを見るなんて …」
話が次々に飛んで恐縮ですが、島田紳助 #1841 のようなタイプには、タモリ #1774 のようなタイプを理解できません。逆に、タモリは島田紳助の臭みも嫌みも分かっているでしょう。私はタモリに近く、「絆」とか言われると暑苦しく感じます。批判に対するリアクションはあっても、なくてもいいんです。
批判の対象が・・・
「私は言うべきことを言うんだ」というhidewさんの信念で風の精ルーラ氏特集を組むぐらいなら、そんないち個人を延々と批判などせず、hidewさんの大嫌いな「公権力」「官僚」批判大特集すればいいのに、と思います。
例えば
「政治とカネ」問題を偉そうに批判し続けている政治評論家やマスコミが受け取った国民の税金である「官房機密費問題」はどうなってるんだ。
警察や検察の暴走を止めるはずの取調べ可視化法案はどうなってるんだ。
官僚の天下り根絶問題はどうなってるんだ。等等
人それぞれ
いち個人を延々と批判などせず、hidewさんの大嫌いな「公権力」「官僚」批判大特集すればいいのに、と思います。
例えば「政治とカネ」 .. 取調べ可視化法案 .. 官僚の天下り根絶問題はどうなってるんだ。等等
そういうことは BK さんが勝手にやってください。
なんで私が書くブログの内容を他人から指図されなければならないのですか。
BKさんの提言は、吉野家の牛丼ばかり食べている人に「料亭で懐石料理を食べればいいのに」と言うようなものです。
「自分の世界(価値観)が全て」というのは海原氏 #1812-35
と同じ病理です。
何を書きたいかも人それぞれ
#1929
だということを理解されていますか。
「自分は平穏に暮らしたい」「自分以外の誰かが改善を」
[16] [17] の関連で、このやりとりを思い出しました。
hidew
#1899-28 裁判員になることで「拘置所」や「東京湾」のことまで心配するなら、裁判には関わらず静かに暮らしたらいいんじゃないですか。..
「取調べ可視化」が実現していなくても、裁判員に「密室でとられた調書は証拠として認めない」と言う気概があれば事態は改善します。BKさんは自分では言う勇気がないから「誰かが何とかしてくれ」と言っているだけなんですか。
「自分は何も言わず、平穏に暮らしたい」「誰かがなんとかしてくれ」という身勝手な生き方の延長で、自分以外の誰かが政治や司法の話題に言及するよう焚きつけているということなんでしょう。
前提を明確にすること
罪刑法定 とは平たく言えば「予めルールを明記すること」つまり「前提を明確にしておく」という、ある意味では当たり前のことだが、それを言っている風の精ルーラ 氏の論法は下記のとおりひどいものである。
前提を後付けしたり、解釈を歪曲したり、世論に流されたり。
「法律分野ではとくに、そういうことをやってはいけない」とあらためて強調したのが 罪刑法定主義 である。
風の精ルーラ氏が「罪刑法定が云々」と講釈を垂れるのは、放火魔が防火活動をするようなものだろう。