#1798 誤解学(2) 仮定と現実の混同 - 「碁法の谷の庵にて」
今までの流れ
勝負としての碁が現在プロであるのに芸術論を持ち込む不思議 - 碁法の谷の庵にて
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200906070000/
この記事は プロ棋士には研鑽の義務があるか に対する反論のように書かれているが、タイトルからして、いきなり的を外している。
私は以前から プロは勝負(の結果)が全て。努力など問題ではない と言っている。
碁は神様同士が打てば書や絵画のようなもの という部分が「芸術論」という誤解につながっているのだろうが、これは極端な仮定に基づく比喩である。「神様同士が打った棋譜は円周率 3.141592 .. のようなもの」という別の言い方もできた。その場合「.. 数学を持ち込む不思議」と言われるのだろうか。
仮定と現実の混同
風の精ルーラ氏は「もし全知全能の打ち手がいたならば」という仮定に基づく思考(数学、哲学)が苦手なようで、仮定と現実をしばしば混同してしまう。「神様」という言葉を使っているのだから、非現実・仮定の話(極論)だと理解してほしいものだ。
そもそも「プロ棋士は、相手が神や悪魔でも勝たねばならない」と極論に振った(比喩を使った)のは、風の精ルーラ氏なのである。自分で言い出したことに、自分でケチをつけている。相変わらずのマッチポンプである。
まるで宗教家を相手にしているよう
- 風の精ルーラ - 棋士は碁に勝たなければならない。誰が相手でも、神や悪魔が相手でもである。
- hidew - 神様には勝たなくてもいい。神様同士が打ったら引き分け。
- 風 - まるで宗教家を相手にしているようである。 ※
- hw - 神、悪魔、精霊と言う方が宗教家みたいだ。
- 風 - 私は本文で『精霊』とは言っていない。
- hw - まるで宗教家のような名前の人が ※と言う。
こういう経緯をふまえて、
仮にも4年以上このHNに親しんできたのである。事ここに至って人のHNを茶化すとは低級ギャグも極まれりだろう。
私はまるで宗教家
という発言をお返ししただけである。鏡を見て文句を言いたくなるのなら、自身の言動がおかしいのだ。
.. 公序良俗に反するHNではないと自負はしている。
「宗教家のような名前」と言われただけなのに、この発言はなんだろう。もしかして彼の中で宗教は「公序良俗に反すること」なのだろうか。
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つづく
誇張のレトリック
誇張のレトリックならば「相手が李セドル(道策、呉清源)でも勝たねばならない」と言えば十分である。もっと誇張したければ「誰が相手でも負けてはならない」と言えばよい。
何度も言うが「全知全能の打ち手に勝つ」ということはありえない。「神様に勝つ」というのは、「∞無限を超える」みたいな話だ。
言葉の綾とはいえ、理屈に合わないことを言ってはダメだろう。私がツッコミを入れたときに、すぐ訂正するか、受け流せばいいのに
と言って、ごまかそうとするからおかしなことになる。