#1788 「地合計算要求」という奇妙な制度
リアル囲碁において「終わりましたね」終局の悪しき慣習が、少しずつ改善されつつある中で、わざわざ、これを制度に取り入れたネット碁会所がある。
この地合計算要求を受けなければ私は不良登録されるのですか - ひろさわの人生ダメ詰まり--No Liberty--
地合計算要請というのは、「終わりましたね」という言葉と同等で、 こちらが、「いいえ終わってませんよ、だってここが」などといえば、 ヒントを与えるのと同じになってしまいます。 ですから、黙って拒否するしかないのですが、それが向こうの方には、負けを認めたくないがための故意の行為 とうつったらしく、ヘルプさんを呼んでしまったのです。
2回双方連続パスで地合計算のKGSなら、この問題は起きなかったはず。
「『地合計算要求』廃止~!! 終局はパス2回で!!」
「地合計算要請」などという奇妙なシステムが諸悪の根源である。
「最終的に取れる石は取れたものとみなす・・・って、その判断はどうするのさ~」
「日本式の省略計算法」を級位者にも強いることで、囲碁の敷居を無用に高くしている。「最終的に取れる石」や「手入れ」を全て正しく判断するにはアマ初段程度の棋力は必要だ。つまり、ルールを理解するために、相当高い棋力が必要なのだ。これではダメだろう。
中国, AGA, NZ ルール(要するに日本ルール以外で、石と地を等価と見なすルール)なら「死活」「手入れ」の判断を双方が納得するまで打ち続けることができる。「どこが手になるか」というのは、双方の棋力に依存するから、実戦解決する方が合理的だ。
強いヘルプ(審判)が出てきて勝手に判断するのは、極端な喩えをすれば、碁の中盤で李昌鎬審判が「これは黒勝ちですね」と言って勝負を終わらせてしまうようなものである。「小ヨセに入ってからも勝敗が揺れ動く」「ダメを詰め終わってから逆転を狙う」というアマの碁を「最善を打てば」という視点で審判することの無意味さを認識すべきだろう。
審判が裁定を下すべきなのは「その人ならば当然分かるはず」と断言できる悪あがき、つまり「有段者が亀の甲の中に手を突っ込む」という類のものだけである。
ひろさわさんの図、「黒地に手なし」を断言できるレベルはどれくらいの棋力だろうか。私 4d@KGS は全く自信ない、というかむしろ「手あり」の方に乗りたい。
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(整理中)
制度の設計は「性悪説」で考える。
ナゾ さんから goxi の方へメッセージをいただきました。
とのことですが、当ブログのエラーの原因はよく分かりません。(スパム対策として、JavaScript を無効にしていると投稿フォームが表示されないようになっています。思い当たるのはこの点だけ)
本題について、この場でいくつか補足します。
「スッキリ」という観点からは、
『地合計算要求』を廃止して、パス2回連続で終局というのが最善手です。
『地合計算要求』を廃止することが、何らかの事情で難しければ、これを実質的に「パス」と同じにしてしまう(相手方に手番が渡る)のは次善策かと思います。
私が考える理想のネット対局場というのは、KGS でほぼ実現されていて、東洋囲碁について、感想や要望を言うとおそらく全てのことについて「KGS のように」と枕詞がついてしまいます。そんなわけで、東洋囲碁は疎遠になってしまい、KGS でひっそりと対局してまいりました。
一言アドバイスのようなことを申し上げるなら、
制度の設計は「性悪説」で考える。
ということです。審判も含めてです。「中国人の審判」と聞くと私は「中東の笛」を連想してしまいます。そもそも碁に審判は要らないでしょう。