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hidew 2009.05.18

#1776 「友愛」を連呼する鳩山由紀夫・民主党代表

民主党の鳩山由紀夫代表が「友愛」という単語を連呼しているのは、何か違和感がある。安倍晋三元首相が「美しい国」を連呼していた時と同じ感覚である。

「友愛精神」とか「美しい国」とか、それ自体に反対する人はいない。誰も反対しない抽象的なきれい事を連呼して、何かを言ったような気になっているのは政治家としていかがなものかと思う。

防腐剤 政治は端的にいえば「利害を調整する」という仕事だ。現実には汚いところに手を突っ込まなければならないし、矛盾した(すっきりした解決法がない)問題でも、なんとかうまく収めなければならない。

「友愛」を連呼して解決するような問題は政治マターではない。政治の場合は「具体的な行動としての弱者救済」が問われる。そしてそのために金が必要だ。弱者を救済することに反対する人はいないから、どうやって金を工面するか、を考えるのが政治だ。鳩山代表にはその視点がない。

「友愛」という言葉を現実的かつ具体的に敷衍すれば「大きな政府を志向する」ということだろう。社民党や共産党のような方向である。しかし、鳩山代表はそれも口ごもってしまう。「高福祉・低負担を実現するために、友愛の精神をもって…」ということをごにょごにょ言っていた。


民主党は小沢、鳩山、岡田、菅の誰が代表になっても「外交」に大きな不安が残る。国民が政権交代によって望んでいるのは「内政」の変革であろう。しかし、民主党政権は既得権である「極楽公務員」には手をつけず、「外交」の方を改悪しそうだ。小沢民主党ならば内政で「破壊」を期待できたが、鳩山民主党ではそれも難しい。

政界再編しないまま選挙に突入したら、選択肢がない。「外交で変なことをしない」という程度の安心感で、案外、自民党の方に票が流れるのではなかろうか。

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hidew 2009.05.18 [1]

国家の友愛

保守主義の危機 - 池田信夫 blog

大きな内戦や植民地支配を経験しなかった日本では、権力としての国家を疑う意識がなく、国民を守る家父長として国家をイメージする傾向が強い。特に山口二郎氏や五十嵐仁氏に代表される万年野党は、政府を「大資本に奉仕する悪い奴」として批判するくせに、弱者を救済するときは同じ政府を「慈愛に満ちた保護者」として描く。鳩山由紀夫氏の「友愛」が、そういう家父長的な国家をめざすものだとすれば、霞ヶ関の改革は闘わずして敗れたも同然である。