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hidew 2009.04.27

#1761 努力することなど誰もプロには求めていない。

東方腐敗 2009/04/17 12:35

どんな怠惰であっても勝てばいい。
努力することなど誰もプロには求めていない。

明快だ。

一連の議論で、海原氏や風の精霊氏がズレているのはプロ棋士の「努力」を問題にしている点である。

負けました。でも頑張りました。


こういう言い訳がプロの世界で通るのか?

プロは

勝って魅せる

これだけでいい。

努力に関係なく、
結果が良ければ賞賛され、
結果が悪ければ批判される。

これが「プロの掟」である。

負けた場合は「負けたという事実」だけをもって非難される。

  • 負けるな!
  • 下手くそ!
  • バカヤロー!

シンプルな野次の方が分かりやすい。

努力の質・量を具体的かつ詳細に問うような批判は、ピントがずれている。野次としてはむしろ「低級」だ。

努力そのものを評価するなら、どこかの役所みたいに(研究会・勉強会等)出席するだけで手当が出るようにしたらいい。 プロ棋士の努力が云々と言っている人は、そんな無能人間のセーフティネットみたいなものを望んでいるわけではないだろう。求めているのは「結果」なのだから、余計なことを言わずに、結果だけを評価すればよい。

日本勢惨敗! 情けない。マジ頭にくる。

とシンプルに言い切るのが、正しい野次の作法である。

*

風の精霊 2009.04.29 [1]

私は、根拠もないのに努力をしていないと批判するのは尊厳を汚すとはいったけど、負けたらそれだけで非難されるのを否定した記憶はありません。

むしろ、負けたら非難されるのは(少なくとも建前としては)当然だと思ってますけど。

hidew 2009.04.30 [2]

野次に根拠など不要。勝てば努力など不要。

  • 風「根拠もないのに努力をしていないと批判するのは尊厳を汚す」
  • 海「根拠があれば努力をしていないと批判してもよい」

こういうやりとり自体が「どうでもいいこと」です。

  • 野次に根拠など不要。
  • 勝てば努力など不要。

試しに「李セドルは努力していない」という根拠のないことを言ってみたらどうですか。「尊厳を汚す」批判にはなりませんね。言った方が馬鹿みたいです。「根拠の有無」とか「努力の有無」という論点がいかに本質をはずしているか、よく分かります。

韓国・中国に負け続けていることで、日本碁界はすでに尊厳を失っています。「負けてしまった。でも頑張っているから尊厳を認めて」とでも言いたいのでしょうが、プロの尊厳はそういう性質のものではありません。

負けたらそれだけで非難されるのを否定した記憶はありません。
むしろ、負けたら非難されるのは(少なくとも建前としては)当然だと思ってますけど。

それは分かっています。
本文のどこに「風の精霊氏は『負けたらそれだけで非難されるのを否定した』」と書いていますか。

負けたらそれだけで非難されるのを否定した記憶ありません- 相変わらず「官僚的なややこしい言い回し」です。ごまかしのレトリックばかり使っているから自分まで目が回って、枝葉のどうでもいいことを論じてしまうのでしょう。

短い文章で繰り返し書いているのだから「非難(評価)すべきなのは、努力の有無ではなく、勝敗の結果だ」という文意を読み取っていただきたいと思います。

風の精霊 2009.04.30 [3]

試しに「李セドルは努力していない」という根拠のないことを言ってみたらどうですか。「尊厳を汚す」批判にはなりませんね。

私はそうは思いませんがね。李世ドルが全国内戦・世界戦総なめの絶対無敵で日中韓台世界中に全くの敵なしでございとでもいうのなら話は別ですが。

プロの尊厳はそういう性質のものではありません。

私はプロの尊厳を勝敗と言う点と、そのための研鑚(無論、勉強するのがいいとは限らず)と言う二つの段階で見ていますので。

というか相変わらず「官僚的なややこしい言い方」ですね。

きちんと場合分け、分析できなければやっていけない世界なので。(別に法律家の世界に限った話とは思いませんがね)
場合分けを怠って分かりやすくするような思考をいつもやっては、結局場合分けが必要なところでいい加減にしか考えられず、「いくらなんでも検討する必要はない」と手前勝手なことを言ってしまうのですよ。
無論、「私に対する評価として」能力が足りず、逆にそれに振り回されていると見るのであれば、それはけっこうですが。

hidew 2009.05.01 [4]

「完全と不完全」を場合分けするナンセンス

な、なんと、李セドルほどの棋士でもまだ不満ですか。うーむ、これは話が通じない。

きちんと場合分け、分析できなければやっていけない世界なので。

海原氏も「自分では場合分け、分析をきちんとしているつもり」ですからね。

政治家や法律家は世の中の矛盾をうまく処理しなければいけないから、ごまかしが多くなるのは仕方ないと思います。ただ、そういう作業をこなしていくうちに、ごまかしているという自覚すら失っていきます。ある種の職業病です。

「厳密に正しいとは、必ずしも言い切れない」という類の言葉がスラスラ出てくるようになったら要注意です。

李世ドルが全国内戦・世界戦総なめの絶対無敵で日中韓台世界中に全くの敵なしでございとでもいうのなら話は別ですが。

このように「完全なもの」と「完全ではないもの」を 場合分け するのが、官僚作文の特徴です。

この世の中に「完全なもの」は存在しないので、つねに「完全ではない」と言っておけば間違いではありません。ただ、そんなことはオウムでもできますね。法律家周辺の場合分け、分析なんてその程度のものです。

海原氏もそうだったけど(#1731 ) 法律家周辺では「場合分け」自体が何か意味のある立派なことのようですね。

茶々入れ 2009.05.06 [5]

「努力」などとだれも言わない世界

競輪のレースをご覧になったことがおありだろうか。

金網越しに、ありとあらゆるファンの野次が飛ぶ。せいぜいが一周500メートルのバンクは狭く、当然すべて選手の耳に入ってくる。

世界戦で何連覇しようが、五輪で何色のメダルを取ろうが、ファンにとっては、自分の金を賭けた目の前のレースで負ければ、その選手は「バカヤロー」なのである。体力の限界を尽くした証拠である荒い息遣い、落車転倒の危険性、そんなものは一切承知の上である。

競輪選手にとっては、「練習は仕事。レースは集金」だとよくいわれる。努力することなど、当然すぎて前提にさえなっていない。この世界では不要な言葉だとすら思える。

結果がすべてで、その責任は自分だけが負う。勝敗の責任はどこにも転嫁できない。この厳しさは、勝負事に生きる者の逃れられない宿命である。

棋士に競輪好きは多い。このあたりの事情はきっと弁えているだろう。

hidew 2009.05.06 [6]

「努力」 - プロの世界では不要な言葉

努力することなど、当然すぎて前提にさえなっていない。この世界では不要な言葉だとすら思える。

同感。

プロ棋士もスポーツ選手も「努力している」とは誰も口にしない。むしろ「努力しているところを見られたくない」という意識が強いのではないか。

このあたりの事情が分かっていないのは、海原氏と風の精霊氏くらいなものだろう。

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