#1725 苦痛というスパイス
天才は1割の才能と9割の努力という名言がある。たしかに天才でなければなしえなかった偉業も大いなる努力の結集に違いない。しかし彼はその努力を苦労とは感じても苦痛とは感じなかったのではなかろうか。凡人からみれば苦痛なことを苦労としか感じないところが才能なのだと思う。
苦労と苦痛は似た意味の言葉で「天才の努力」に関してそれを使い分けることは難しい。具体的で分かりやすい例を挙げれば、筋力トレーニングは苦労でもあり、苦痛でもある。
- ビールを好む人は苦味を感じないのではない。苦いからこそビールは美味しいのだ。
- 唐辛子を好む人は辛味を感じないのではない。辛い(痛い)からこそ病み付きになる。
囲碁は苦みに満ちているからこそ、ある種の人間を惹きつける。「囲碁は楽しい」なんて言うのは「ビールは甘い」と言っているようなものである。
強いて天才の特徴をひとつ挙げるなら「幼少期にビールの味が分かる人」と言えるだろう。大人になれば誰だって自発的に(好んで)勉強し、練習する。それを幼少期にできるかどうかが天才と凡才を分ける重要な点なのだ。
苦痛と快楽は表裏の関係にある。酒、煙草、麻薬などで快楽漬けになった脳は、禁断症状という苦痛を作り出す。逆に、脳は苦痛を感じると快楽を催す脳内物質を分泌する。唐辛子、囲碁(難解なパズル)、ランナーズハイ などはいずれも「苦痛に伴う快楽」なのである。
苦労も苦痛も、ちょっと苦味の効いたスパイス くらいに考えていればいいんじゃないかと思う。 最近、甘いお菓子に塩を多めに入れることが流行っているが、それと同じ原理で、苦痛というスパイスにも快楽を引き立たせる働きがある。