#1711 国際化 - 柔道 JUDO と 囲碁 GO
日本の伝統的な「柔道」と、国際化した「JUDO」の違いが言われるようになって久しい。
柔道からJUDOへ変質したことが素人目にもはっきり分かるのは「組み手争い」と「タックル」である。まるでレスリングのような競技になっている。レスリングが悪いというのではなく、柔道とレスリングを分けていた要素がなくなりつつあるのだ。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080505.html
柔道着をほとんどつかまずタックルや反り投げを狙うスタイルは「ジャケット・レスリング」とすら呼ばれる。
柔道という、いかにも日本的な競技が世界に広まるとき、誤解と変質は避けられない。日本の○道とつくものはある種の「美学」によって成り立つ「勝負とは別の何か」であるからだ。明文化されたルールで勝利だけを目指すことになれば、齟齬が生じる。
柔道は組み合うと技量の差が出やすいために、弱者の戦略として レスリング・スタイルになることは理解できる。ルールで禁止されているわけではないから認めざるをえない。しかし、柔道がレスリング化してしまえば、何のための柔道着で、何のための別競技なのか分からなくなり、海外の柔道愛好家にとっても好ましくないだろう。
「JUDO は柔道ではない」という言葉は「日本が勝てないから悔しい」という気持ちではなく「競技を面白くしてほしい」という気持ちから発せられる。
囲碁の国際化
さて、囲碁は日本発で国際化のポテンシャルが高いという点で柔道と似た状況にある。
囲碁が柔道と同じように国際化した時、宗主国・日本が主導権を失うところは多分同じだろう。欧米勢が(弱者に)有利なようにルールをねじ曲げることは可能だろうか。
日本、中国、AGA、NZなど、複数のルールはあるが、どれも本質的には同じで、柔道で言えば「道着の色」と同程度の問題である。囲碁の競技ルールで変える余地のあるのは盤の大きさと時間制くらいだ。
15路盤、17路盤というものを作れば一時的に囲碁先進国の力は落ちるかもしれない。が、そのような姑息な改変にはすぐに対応できるので、柔道→JUDOほど深刻な事態には発展しない。
欧米勢が政治的にルールを変えて、日・台・中・韓に対抗することを試みるなら、唯一の方法は時間制をいじることだ。「切れ負け制」なら囲碁は JUDO になる。
関連
- 生島 淳
- 新潮社
- ¥1,050
- 2003/07
日本人が金メダルを獲ると、なぜルールが変わるのか? その「イジメ」の真相。欧米主導の不公平なルール変更の裏には何があるのか? イギリスとアメリカのルール解釈の違い、そして日本国内でのさまざまな問題を浮き彫りにしながら、勝ち負けを決定づける「規則」の本質を探る。サッカー、ラグビー、バスケ、水泳、柔道など、グローバル化するスポーツの中でニッポンが生き残っていくためのルール論。
NHKスペシャル|JUDOを学べ 〜日本柔道 金メダルへの苦闘〜
フランスの柔道登録人口は日本の3倍、60万人。ドイツ35万人。世界最大の競技圏を形成するヨーロッパには、これまでの柔道とは異なる技やルールの解釈が存在している。レスリングや民族格闘技の技術をベースに、柔道着をほとんどつかまずタックルや反り投げを狙うスタイルは「ジャケット・レスリング」とすら呼ばれる。日本が考える柔道ではない世界基準“JUDO”。それを体で覚えない限り、北京五輪での「金」はないという判断が、この武者修行を決断させたのだ。
やりかたには、「強い」と「弱い」以外に、どういうわけか「きれい」というパラメーターがあって、 「強い」はたしかに「弱い」の対極にあるけれど、「強い」と「きれい」、あるいは「正しい」は、 目指すべき場所が異なってしまう。
えらい人達は、「きれいさ」という、「強さ」とは微妙にずれた価値観を選手に投影して、 勝てるやりかたが出来ない状況作り出しておいてなお、選手に「勝ち」を求めてる気がする。
「きれい」目指すなら、「勝つ」ことあきらめて、神様に捧げる美しさを目指すべきだし、 「勝つ」こと目指すなら、むしろ真っ先に否定されるべきは、前提必須の「きれいさ」で、 前提が共有できない相手を想定しても、なお勝ちに行けるやりかたを「きれい」と定義しないといけない。
「一本」で勝つ柔道はたしかにきれいだけれど、あれをいびつだと思う価値観が、 審判だとかコーチの人達に共有されないと、不幸になる人多い気がする。
柔道・鈴木桂治は「口だけ野郎」なのか: スーパーモーニング :J-CAST テレビウォッチ
だが、あれが柔道か? という疑問は残る。あれは力任せのタックル、モンゴル相撲そのものではないのか。それでなくても、選手達が差し手を争ってどつきあい、力まかせが当たり前。ああした姿は、美しくない。それならレスリングでやればいい。
ご冗談を
中国には、日本の奈良時代より以前に記された幾つかの史書において、囲碁の話題が出ていますので、囲碁が日本発というのは語弊がある。
中国・朝鮮に先駆けて、日本は囲碁における競技規則の「近代化と競技者育成環境の整備」を整えましたが、それをもって囲碁の宗主国が日本であるとするならば、麻雀ですら日本が宗主国になってしまいます(笑)。