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hidew 2008.08.15

#1710 保岡興治法相「終身刑は残酷だから反対、死刑は賛成」

死刑について語る法相はどうしていつも、おかしなレトリックになってしまうのだろうか。

http://www.kyoto-np.co.jp ..

保岡興治法相は2日の初閣議後の記者会見で、超党派の議員連盟が創設を提案する仮釈放のない終身刑について「希望のない、真っ暗なトンネルを歩いていくような刑はあり得ない。日本は恥の文化を基礎とし、潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している。(終身刑は)残酷で日本の文化になじまない」として、反対の意向を表明した。

「残酷だから反対」という理屈は、刑罰を否定するような話である。懲役1年だって残酷と言えなくはない。無実の人にとっては代用監獄(留置場)で一晩を過ごすだけでも苦痛である。

終身刑になるのは、そのような罪を犯した人に限られる。「囚人がかわいそう」などと思うのならば、裁判で不当に重い罰が科されたと考えるべきなのだ。罪の重さと罰の重さが釣り合っているかどうかが重要である。

刑務所は時に「最後のセーフティネット」などと言われ、刑務所に入るために罪を犯すような人がいる。刑務所暮らしが(死刑並に)残酷なものであるか疑問が残るところだ。

  • 不自由だが生存は保証される場所
  • 自由だが自己責任で放置される場所

「前者が苦で、後者が楽」と言い切れるだろうか。人によっては刑務所暮らしもアリだろう。

法相の立場で終身刑を否定せざるをえないのは、コストの問題が大きいのではないかと思われる。終身刑は、囚人にとってではなく、囚人を養わなければならない納税者にとって酷なのだ。死刑ならば執行人に「死の穢れ」を押しつけて、蓋をしてしまえば、それで終わりだ。

鳩山邦夫と保岡興治の奇妙なレトリックに共通するのは囚人目線である。国民目線で「終身刑より死刑を選択するのはコストの問題」とはっきり語ってほしい。もし仮に、本気で「死んだ方が楽だから、死なせてあげる」と考えているのなら、自殺を許容すればいいだけだ。現行は「人を殺すという残酷な仕事」を引き受ける人(死神)が必要で、その一点において、終身刑導入(→死刑廃止)の意義は十分にある。

関連

【新閣僚に聞く】保岡興治(おきはる)法相 - MSN産経ニュース

「死刑制度は存続すべきだと思う。最も重い刑なので国民の意向が最大に尊重されるべきだ。(日本には)死をもってあがなうしかない罪があるという国民の認識があり、それが死刑を国民が支持しているゆえんだと思う」
「死刑と無期懲役の間に終身刑を創設する考えは賛成ではない。一生牢につなぐという刑は残酷だと思う。処遇も難しいし、そういう刑は世界でも少数派だと思う」

*

みんみん猫 2008.08.15 [1]

課刑のあり方

国民目線で「終身刑より死刑を選択するのはコストの問題」とはっきり語ってほしい。
というご意見に全く賛成します。刑務所が満杯なので無期懲役で入った人が10~15年で出所している現実を見ますと、課刑のあり方を考え直す必要がありましょう。

また宅間被告のように自らの死刑執行を速やかにして欲しい。はっきりいって自殺する勇気がないから死刑に値する犯罪を犯してしまった方には、その希望を叶えてあげる事が本人や被害者の遺族のためでもありましょう。ケースバイケースで柔軟に事にあたりましょう。

懲役15年相当の罪を犯した若い健康な被告には、同和関係者が多くいる○○市清掃局に15年間低賃金で労働奉仕させる。その勤務状況によって、労働奉仕期間を短縮できるとかすれば、国全体の税負担・行政コストが削減されるでしょう。

hidew 2008.08.15 [2]

死刑と無期懲役の間

実は私は「多少のコストに目をつぶっても、終身刑を導入すべき」という意見です。

宅間事件のような「自殺を目的とした犯罪」は、死刑相当であっても、終身刑の方が刑罰としての意味があります。(当人にとって)残酷であるがゆえに。

無期懲役(実質10-20年?)という言い方がそもそも曖昧で問題がありそうです。終身刑と言わずとも懲役40年、懲役50年というものを可能にすれば、死刑と無期懲役の差が大きすぎるという問題は緩和されます。

懲役の労働で実利を求めるのは、リスクが大きくて、節約した税金以上のものを失うと思います。清掃局の例で言えば、同和問題を悪化させたり、新たな職業差別を生んだりします。監視のコストを含めると刑務所外の仕事は赤字を増大させる恐れが大きいと思います。

みんみん猫 2008.08.15 [3]

誤りを認めます

同和問題の根本は、職業差別から発していたのを忘れとりました。私の提案は差別の拡大再生産スパイラルを引き起こす悪手でありました。
ただ何か、コストと社会不安、課刑の公平?(課税の公平という言葉はあるが、課刑ってヘンかしら)を両立させる手はないもんでしょうか。
今のままでは何かマズイと思ってる人が多いはずです。

風の精ルーラ 2008.08.16 [4]

基本的知識が欠如しています。

「残酷だから反対」という理屈は、刑罰を否定するような話である。

日本の憲法36条は「残虐な刑罰」を「絶対に」禁止しています。残虐の定義も基本的には出来上がっています。

終身刑は、囚人にとってではなく、囚人を養わなければならない納税者にとって酷なのだ。

無期懲役が後述のようになかなか釈放されない中で、終身刑ばかり税金がどうなんて立論はおかしな相談です。納税者にとっては、全体的な厳罰化の方がよほど酷です。刑務所不足で1000人収容の刑務所を作るのだって、100億単位の金銭と、場所がいるんですよ。

刑務所が満杯なので無期懲役で入った人が10~15年で出所している現実を見ますと、課刑のあり方を考え直す必要がありましょう。

つい先日、無期懲役囚の出所の平均年数が32年近くなった(釈放されない人間は未集計)というニュースが流れ、最低年数でさえ20年をまず切らなくなり、50年越えの服役さえ報告されるようになったのですが、まだ10年とか15年とか言っている人がいるんですね。しかも、法定刑上限が重く変更された今、現在の犯罪者に対する仮出所の年数はさらに伸びることも予想されているというのに…。
これでは別の意味で裁判員制度が成り立ちません。
ちなみに刑罰には「科刑」という言葉を用います。

懲役40年、懲役50年というものを可能にすれば、死刑と無期懲役の差が大きすぎるという問題は緩和されます。

懲役年数の過度の数値化は、刑事政策効果が怪しい(ウラシマ効果で社会復帰不能を招く)だけでなく、逆に犯罪者の英雄化に寄与する恐れさえあります。また、無期懲役の現状を知っておけばそれが少なくとも差を埋めるという形で活躍することはないことを知るでしょう。

監視のコストを含めると刑務所外の仕事は赤字を増大させる恐れが大きいと思います。

過失犯など、監視の必要性の低い人間について、施設外通勤制度を認めようかというのは幅広く検討されております。ただでさえ刑務作業に顧客がつかず、社会復帰後の仕事も思うに任せないのが現状ですからね。社会とのつながりを切らないようにするのは、有力な刑事政策です。
休日だけ刑務所に入れるような国もあります。アメリカだと刑務所が満杯なので「刑務所があいたら入りなさい」なんて判決が普通に出ます。また、性犯罪者に対して、所在を把握する機械を取り付けて釈放する例があるのも知ってのとおりです。

hidew 2008.08.16 [5]

法律論のタテマエではなく、

LittleEden 私は法的な「残虐の定義」を知らないので、「残虐な刑罰」として「市中引き回し」「さらし首」のようなものを想定していました。※残虐と残酷で日本語としての意味も多少変わります。

「いつ執行されるか分からない死刑」が残酷ではなくて、「生存が保証される終身刑」が残酷だとする解釈は、哲学的な、ある種のパラドックスがありますね。「人生は罰ゲーム」という人生観です。

私は刑務所のコストが高いことを知っているから、法務関係者が厳罰化を嫌い、終身刑を嫌うのだと考えています。「無期懲役囚を早く(10-20年)出所させようとする」という都市伝説?も刑務所不足に起因する話です。

ウラシマ効果で社会復帰不能を招く

ということなら、なぜ無期懲役の期間が長期化するのでしょうか。

そもそも社会復帰できるような人物(or 犯罪)なら、執行猶予がついたり、短期の懲役だったりします。懲役20年なんていう犯罪者はウラシマ効果なんて関係なく、元が壊れているから社会復帰不能です。元記事に書いたとおり、生涯刑務所暮らしというのは、残酷の逆の場合もあるんです。

犯罪者の英雄化(リスク)と遺族感情の慰謝、犯罪抑止は天秤にかけなければなりません。前者は異常な世界の人か、異常な性格の人に限られますが、後者は普通の人が対象です。なお、犯罪者の英雄化という現象は死刑でも起きています。その種の性向が見られたら報道を控えることが大切です。

長期の懲役(終身刑)、死刑は「壊れてしまった人間を社会から隔離する」という意味があります。過失犯は、正常な人間がほとんどですから、さっさと社会復帰して、罰金・慰謝料という形で償う方がいいでしょう。施設外通勤も可能だと思います。

風の精ルーラ 2008.08.16 [6]

死刑や無期という処方箋はなかなか使えない

私は刑務所のコストが高いことを知っているから、法務関係者が厳罰化を嫌い、終身刑を嫌うのだと考えています。

刑務所のコストが高いことを知っていてそのために効果的に対策しようとするなら執行猶予政策を見直すほうがよっぽど効率的です。

懲役20年なんていう犯罪者はウラシマ効果なんて関係なく、元が壊れているから社会復帰不能です

本当に不能なのかどうか、という点は追及されるでしょうが、それを一旦置いても、本当に社会復帰不能でそれだけの罪を犯したのならば、釈放を前提とはしていない無期懲役刑を使えばよいのです。無期懲役は仮に社会復帰に適すると見られれば釈放でき、そうでなければずっと入れっぱなしにできるという意味で、とても柔軟な方法です。ちなみに、釈放される無期懲役囚も、身元引受人がいるような人に限定されています。
ただ、社会復帰可能性を裁判の段階で把握するのは難しい上、監獄の秩序維持のインセンティブを用意する必要もあります。そのために仮釈放という制度が用意されているのです。

なお、社会復帰の可能性だけで刑罰論を考えるのは、人権保障の問題もさることながら、実際問題として反発が強すぎて維持できません。社会復帰だけで考えるなら、死刑にはちょっとできない殺人犯が不処罰となったり、パン一個盗んで19年監獄という事態が起こりえますし、刑罰自体贖罪の場ではなく治療処分にするようなものです。(無論、贖罪自体が社会復帰に役立つのですが)戦後、しばらくはそういった刑法の在り方も模索されましたが、結局論争に敗れて消えていきました。
北の将軍様の国ではない以上、死刑や無期が使える犯罪は限られている。この事実におとなしく向き合わなければならないのです。

犯罪者の英雄化(リスク)と遺族感情の慰謝、犯罪抑止は天秤にかけなければなりません。前者は異常な世界の人か、異常な性格の人に限られます

現在の「無期懲役」と懲役○十年は、実質的な懲役年数は変わらないことが強く予想されます。正常人に対して特に効果はありません(現在の無期懲役で十分)が、異常人に対して逆効果を招く恐れがあるということです。

hidew 2008.08.16 [7]

論点は「死刑か、終身刑か」

私が言いたいのは、「(終身刑反対は)刑務所のコストが理由であるのに、残酷とかなんとか妙な理由をつけるな」ということです。刑務所のコスト高は別の問題ですが、対策するなら「お役所仕事を改める」のが一番効果的でしょう。

死刑や無期が使える犯罪は限られている。

その論点はどこから派生したのでしょうか。私は最初から「限られた凶悪犯に対して、」という趣旨で言っています。ex. 終身刑になるのは、そのような罪を犯した人に限られる。

社会復帰の可能性だけで刑罰論を考えるのは ..

法曹関係者は、凶悪犯をやたらに社会復帰させたがる傾向がありますが、一般人には「凶悪犯の社会復帰」という発想自体がありません。死刑の代替として終身刑が有効なのは「社会に復帰しないから」です。

現在の「無期懲役」と懲役○十年は、実質的な懲役年数は変わらないことが強く予想されます。

現場の裁量で適当に運用されるより、予め懲役○十年と決まっている方が透明性があって、安全な運用になります。

異常人に対して逆効果といいますが、特殊な事例から、一般則を導くべきではありません。変なたとえですが、「0.2%のお客さんがゴキブリ大好きだから」と言ってゴキブリを駆除しない飲食店があったらどうでしょうか。

風の精ルーラ 2008.08.19 [8]

知識量不足

私が言いたいのは、「(終身刑反対は)刑務所のコストが理由であるのに、残酷とかなんとか妙な理由をつけるな」ということです。刑務所のコスト高は別の問題ですが、対策するなら「お役所仕事を改める」のが一番効果的でしょう。

ドイツで終身刑が廃止された理由(死刑は戦後すぐに廃止)は「生きながらの埋葬で残酷だから」と言われていますが。
ちなみに、刑務所のコスト高対策として民間に委託した新しい刑務所があちこちにできていますよ。それでも、100億円単位ですけど。

その論点はどこから派生したのでしょうか。私は最初から「限られた凶悪犯に対して、」という趣旨で言っています。

懲役20年とか30年とか、そういうのはつまるところ社会復帰が前提の刑罰であるということが分かっていないから、混乱するのです。無期懲役は、社会復帰を前提としていません。例え仮釈放したって、恩赦がなければ死ぬまで刑務所に戻る可能性は消えないのです。死刑との対比で仮釈放の存在ばかり騒ぐマスコミにも問題はありますが。

法曹関係者は、凶悪犯をやたらに社会復帰させたがる傾向がありますが

社会復帰させたがるもなにも、罪に見合った罰(の上限)がその程度だというだけです。
社会復帰をさせない方法は死刑か無期という刑罰しかないという現実から目をそむけているか、思いも至らない人が多すぎるのです。
もはや私は社会に出られませんかね。

一般人には「凶悪犯の社会復帰」という発想自体がありません。死刑の代替として終身刑が有効なのは「社会に復帰しないから」です。

社会復帰という発想自体ないということは、追放刑の創設でもしない限り、死刑と無期(終身刑)の多発というどこかの国そっくりの刑罰運用を用いるということです。そんな発想自体ないというのを刑事において関係者が行うことが適切なのかどうか考えなければいけません。犯罪者引渡条約等といった形でも悪影響が及びます。

現場の裁量で適当に運用されるより、予め懲役○十年と決まっている方が透明性があって、安全な運用になります。

カウンセラーでもなんでもない裁判官(裁判員)が裁判という改まった場所で見た事項だけで、○十年先を全て決めるのが「透明性があって安全な運用」。神業どころの騒動ではない炯眼ですね。
有期懲役刑だって、刑期の3分の1を経過すれば仮釈放の対象になるのですよ。(実際上は3分の2は服役する必要がありますが)また、恩赦という可能性だってあります。司法は外枠の決定をするだけで、刑罰の中身の多くは行政権が握っているという基本認識がすっ飛んでいます。

異常人に対して逆効果といいますが、特殊な事例から、一般則を導くべきではありません。変なたとえですが、「0.2%のお客さんがゴキブリ大好きだから」と言ってゴキブリを駆除しない飲食店があったらどうでしょうか。

特殊な事例に対応しておく必要が低いのは、対応しようとしてデメリットを生むからです。ゴキブリは最初から不潔で99.8%の人が嫌うというスーパーデメリットであり、変なたとえも何も全然たとえになっていないものです。私は、懲役○十年は現在の無期懲役と比べたメリットなどないし、そう考えると、そういった小さな例も無視できないぞと言っているのです。

hidew 2008.08.19 [9]

安楽死の自由

松本サリン事件で植物状態になった河野澄子さんは、刑務所内の不自由とは比較にならない過酷な状況で生を全うしました。終身刑には希望がないから殺してしまえ(死刑)というのは、乱暴すぎる人生観で、生命維持装置や終末期医療の思想を根底から否定します。

生きながらの埋葬状態にあって生き続けるのが人生というものです。本人(家族)が安楽死を望んだ場合でも、それを認めるかどうかで議論があるのに、第三者が勝手に「死んだ方が楽でしょ」と決めてしまうのは論外です。どうしても「生きるより死ぬ方がいい」と考えるなら終身刑の囚人に「死ぬ自由」を認めればいいでしょう。

カウンセラーでもなんでもない裁判官(裁判員)が裁判という改まった場所で見た事項だけで、○十年先を全て決めるのが「透明性があって安全な運用」。神業どころの騒動ではない炯眼ですね。

それこそ社会復帰の可能性だけで刑罰論を考えるという愚を犯しています。罪を犯したら社会復帰の見通しなど関係なく、懲役○年です。○年先のことなんてどうでもいいです。

「透明性があって安全な運用」というのは、汚職などの話です。仮釈放を決める権限が不透明であれば必ず腐敗します。行政などは腐敗前提で話をすべきでしょう。

懲役○十年は現在の無期懲役と比べたメリットなどないし、そう考えると、そういった小さな例も無視できない ..

仮釈放の存在ばかり騒ぐマスコミにも問題はあります - マスコミが悪い、国民が悪い、司法関係者として対策を講じようとはしないのですね。

無期懲役の誤解(ex. 早々に出所する)をスマートに解消する方法が懲役年数の明示です。「懲役の英雄視」なんて異常者の心理(特殊事例)を持ち出してまで反対するようなことではないと思いますが。

風の精ルーラ 2008.08.20 [10]

松本サリン事件で植物状態になった河野澄子さんは、刑務所内の不自由とは比較にならない過酷な状況で生を全うしました。終身刑には希望がないから殺してしまえ(死刑)というのは、乱暴すぎる人生観で、生命維持装置や終末期医療の思想を根底から否定します。

無論、その見解は一つの考え方でしょう。しかし、少なくともその一事をもって法相の本音がコストにあるというような理屈は乱暴であるということは言えない、一般的に成立する一つの見方であると言えるわけですよ。ドイツでは、最初から死刑がなく、終身刑の否定は中間的な刑罰を消すのではなく最高刑引き下げであるにもかかわらず、廃止したわけですからね。

それこそ社会復帰の可能性だけで刑罰論を考えるという愚を犯しています。罪を犯したら社会復帰の見通しなど関係なく、懲役○年です。○年先のことなんてどうでもいいです。

可能性だけで考えるのならもっとドラスティックなやり方はいくらでもあります。今の少年法なんかがまさしくそうです。贖罪の観点を前提あるいは外枠として、内側で社会復帰の可能性を考えるというのは、ごく普通の話です。贖罪の観点が大きすぎて死刑ないし無期がやむを得ない場合ももちろんありますが。
○年先のことなんてどうでもいいなんて、たばこをやめられない人の論理ですね。ヘビースモーカーが自分で肺がんになるのは勝手かもしれませんが、社会復帰させることに失敗すれば、再度犯罪者をうむ(≒被害者が生まれる!)か、北の将軍様の国みたいなことをするしかないんですよ。
もちろん、法律家としては、納得してもらうことを目指したいです。しかし、現実に存在する制約条件をすっ飛ばした形で、あれもこれもというのに答えられるほど、法律家は万能ではありません。官僚も同じでしょう。

「透明性があって安全な運用」というのは、汚職などの話です。仮釈放を決める権限が不透明であれば必ず腐敗します。行政などは腐敗前提で話をすべきでしょう。

仮釈放の決定について、どこに権限があるか、どのような場合において仮釈放が認められるかというのは法でキチンと明示されています。
これで腐敗を前提にしろと言ったら、結局すべてが腐敗前提です。司法権もです。

仮釈放の存在ばかり騒ぐマスコミにも問題はあります - マスコミが悪い、国民が悪い、司法関係者として対策を講じようとはしないのですね。

私はもう数えるのも嫌になるくらい、無期懲役は一般的に言われているよりも重いということを書いてきましたし、過度な厳罰によらない処罰の刑事政策としての合理性を指摘しています。私以外にもその点を指摘している人たちは多数います。
第一、刑罰を行うのが行政である以上、そういったあたりをきちんと啓発していくのは行政の役目、もっと重い懲役年数を用意するのは立法の役目です。司法は、本来なら「紛争に一応の答えを出すだけの機関」でしかないのです。
機密文書を読む必要もなく、ごく普通に公刊されていることを総合すればわかる話を知らず、それでいて指摘を受けても対策しろよと皮肉るなど、モンスターペアレンツか悪質教えてくんのやることです。

無期懲役の誤解(ex. 早々に出所する)をスマートに解消する方法が懲役年数の明示です。

仮釈放制度が今のままである限り、有期懲役でもスマートな解消も何もありません。もちろん、仮釈放の否定には刑務所内の秩序維持のインセンティブの消滅や刑務所パンクの可能性という重大な問題が付きまといます。
なお、無期懲役の中でも現在の無期懲役より特に仮釈放の要件(最低服役年数など)を厳しくする、いわゆる「重無期」と言われる懲役刑は検討されています。死刑廃止論で終身刑も適当でないと考える学者は、重無期刑を主張したりもします。まあ、事実上それに近い無期懲役刑は実行されているという話はありますけども。

しかし、誤解している一般の人の感情に合わせて法制度自体を作りかえる…どこまで優しいんでしょうかね。

hidew 2008.08.21 [11]

法の背景の思想

その見解は一つの考え方でしょう。しかし、少なくともその一事をもって「」とは言えない

この種の表現はほとんどの場合に当てはまり、ナンセンスです。「理由を説明することなく反対の雰囲気を作りたい」時に多用される典型的な官僚作文ですね。

ドイツでは、最初から死刑がない、という時点で日本とは状況が違います。一部(終身刑の存廃)を形式的に見るのではなく、死刑→終身刑廃止に至った根本の思想を見るべきです。

日本の憲法36条は「残虐な刑罰」を「絶対に」禁止しています。残虐の定義も基本的には出来上がっています。

これも、なぜ「残虐な刑罰」を禁止するのか、という思想が重要です。(定石だから正しいのではなく、正しいから定石になる)

「残虐な刑罰を禁止する理由」と「死刑を廃止すべき理由」は根底ではつながっていると思います。


社会復帰させることに失敗すれば、再度犯罪者をうむ(≒被害者が生まれる!)..

自動車や家電は、ある一定レベルを超えて壊れると修理できません。法律家は凶悪犯罪者の更正可能性について見通しが甘すぎるような気がしますが、それしか方法がなければ仕方ありませんね。社会復帰に失敗しないようお祈りします。そして、私の周りに元凶悪犯罪者が来ないことを切に祈っています。

仮釈放の決定について、どこに権限があるか、どのような場合において仮釈放が認められるかというのは法でキチンと明示されています。

権限と責任が明示されているにも関わらず多くの省庁が堕落しました。重要なのは、法で明示することではなく、監視(マスコミを含む)の実効性です。仮釈放を判断する刑務官に不正があった場合、それはどのように処理されるでしょうか。

私は .. 無期懲役は一般的に言われているよりも重いということを書いてきましたし、.. 私以外にもその点を指摘している人たちは多数います。

そういうことは外部に向けて言わなければ意味がありません。もし、Web のURL があるなら具体的に提示してください。

仮釈放の否定には刑務所内の秩序維持のインセンティブの消滅や刑務所パンクの可能性 ..

有期刑(懲役年数を明示)でも、仮釈放は可能です。

死刑代替の終身刑は仮釈放を否定しますが、その問題点として私は真っ先に「刑務所のコスト」を挙げました。保岡法相も(終身刑ではなく死刑を支持する理由として)刑務所内の秩序と刑務所の定員を挙げればよかったんですよ。それなら、私は元記事を書きませんでした。

誤解している一般の人の感情に合わせて法制度自体を作りかえる…どこまで優しいんでしょうかね。

懲役年数を明示することに関して、法制度を作りかえる必要はありません。

無期懲役囚の出所の平均年数が32年近くなった .. 最低年数でさえ20年をまず切らなくなり、50年越えの服役さえ報告されるようになった ..

実態通りに言葉を使えばいいだけでしょう。

20年と50年超を同じ「無期懲役」という一言で片づけてしまうところに問題があります。「重無期」という言葉も同じですね。何をもって「重」なのか、分かりにくいことこの上なしです。文学じゃないんだから、もっと厳密に言葉を使えませんか。

風の精ルーラ 2008.08.21 [12]

この種の表現はほとんどの場合に当てはまり、ナンセンスです。

理由は「残虐だから」って説明しています。そして、その発想は先進国で一定の支持を受けており、空理空論とは言いにくいぞと言っているのです。

ドイツでは、最初から死刑がない、という時点で日本とは状況が違います。一部(終身刑の存廃)を形式的に見るのではなく、死刑→終身刑廃止に至った根本の思想を見るべきです。

最初から死刑がない、ということは、むしろ終身刑の制度を置いておく必要性が日本より高かった(にもかかわらず廃止した)ということの傍証になるでしょう。
なお、ドイツの死刑廃止は少なくとも当初はナチスによる乱用の経験からの憲法上の禁止でした。

これも、なぜ「残虐な刑罰」を禁止するのか、という思想が重要です。(定石だから正しいのではなく、正しいから定石になる)

個人の尊厳に由来するものでしょう。刑罰という個人の幸福を否定するがごとき行為は当然必要でも(憲法上、刑罰の存在は前提にされている)、その中に最終ラインが設けてある…と。

自動車や家電は、ある一定レベルを超えて壊れると修理できません。法律家は凶悪犯罪者の更正可能性について見通しが甘すぎるような気がしますが、

見通しが甘いも何も、「犯した罪の範囲の罰」というお釈迦様の掌を超えられないだけです。その掌の中でどうしようかと考えると、今のような方法がやむを得ないのでは、ということになるのです。

重要なのは、法で明示することではなく、監視(マスコミを含む)の実効性です。仮釈放を判断する刑務官に不正があった場合、それはどのように処理されるでしょうか。

収賄とか文書の偽造でもしていれば処罰されたり、懲戒処分で公務から追い払われるんじゃないですか?大体どういった利権が絡みますか?犯罪者をとっとと釈放したって誰も得しません。基本、犯罪者は貧乏人が多いですし。
仮釈放に関して、犯罪に関することを幅広く公表することは、逆に社会復帰を阻害する恐れがあり(少年法の実名報道禁止を想起)、制度の実効を失わないように監視をするというのは、とても大変なのです。ただ、最近は被害者の意見を聴いたり、通知をするなどということをしていますけども。

そういうことは外部に向けて言わなければ意味がありません。もし、Web のURL があるなら具体的に提示してください。

アクセス35万を数える私の本家で語っても、wikipediaに書き込む人がいても、統計の結果を白書どころか新聞の全国紙に掲載してもらっても、「外部に向けて語っていない」…。ほんと、どうしたらいいんでしょうね。途方にくれます。
無期懲役に関して一番参考になると考えられるページはリンクを用意しました。
http://blog.livedoor.jp/muki2007/

有期刑(懲役年数を明示)でも、仮釈放は可能です。

有期刑でも仮釈放が可能であるということは、懲役年数明示機能というのが単に国民に対するごまかしでしかないということです。本当に40年間絶対に入れておきたいなら、懲役120年というようなことをするしかないということです。

懲役年数を明示することに関して、法制度を作りかえる必要はありません。

現在、有期懲役年数上限は30年、単独罪だと20年です。それとて、4年前に改正がされるまでは上限20年、単独罪15年だったんですけど。

実態通りに言葉を使えばいいだけでしょう。

実態通りに言葉を使おうとすれば、「裁判の段階で」全部を決することになるんですよ。いかなヘルゼーエンでも無理です。

20年と50年超を同じ「無期懲役」という一言で片づけてしまうところに問題があります。(中略)文学じゃないんだから、もっと厳密に言葉を使えませんか。

定義の幅広い言葉なんていくらでもあり、厳密でないというのは筋が違います。そもそも無期っていうのは「期間の定めがない」ってことですから。仮釈放可能性が一応10年と定められていはいますが、何年入れていても問題ないんですよ。
今の日本の有期懲役とて、例えば懲役6年といっても仮釈放を考えれば懲役2~6年、恩赦があれば懲役0年~6年ということですから、実に鷹揚ですね。有期懲役刑を長くすることによってこの問題を抜本的に解決するというのは、典型的なごまかしです。

hidew 2008.08.22 [13]

定価のようなもの

理由は「残虐だから」って説明しています。そして、その発想は先進国で一定の支持を受けており、空理空論とは言いにくいぞと言っているのです。

これも一部だけを切り出しています。「終身刑を残虐」を支持する先進国は、死刑を廃止しています。「終身刑は残酷だから反対、死刑は賛成」というセットで支持する先進国はありません。

日本における終身刑導入は、とりあえず死刑の休止を目的としているので、死刑・終身刑とも廃止している事例を持ち出すのは飛躍しすぎです。

収賄とか文書の偽造でもしていれば処罰されたり、懲戒処分で公務から追い払われるんじゃないですか?大体どういった利権が絡みますか?犯罪者をとっとと釈放したって誰も得しません。

不正は早く釈放することだけではありません。釈放を遅らせることや不作為だって不正です。犯罪者には「孤独な貧乏人」だけではなくて、暴力団関係者もいます。権限が強く、闇の中で行使される場合、必ず腐敗します。

社会保険庁は文書偽造から横領までやりたい放題ですが、犯人が特定され、処罰された事例はわずかです。法律というのは存在するだけではダメで、きちんと運用して、監視しなければなりません。

有期刑でも仮釈放が可能であるということは、懲役年数明示機能というのが単に国民に対するごまかしでしかない ..

懲役年数の明示は 定価(メーカー希望小売価格)のようなものです。

「オープン価格のパソコン」「高価格のパソコン」というより、「定価30万円のパソコン」と言う方が(相場を知らない素人にも)分かりやすいはずです。少し詳しい人ならビックカメラやコジマ電機の割引率を掛け合わせて、実売25万円くらいだと推測できます。

恩赦があれば懲役0年~6年ということですから、

恩赦というのは特殊事例ですから考慮に入れないものでしょう。コジマ電機で「1円パソコン」が売られていたとして、それを「パソコンの最安値」とするのは誤りです。

有期懲役刑を長くすることによってこの問題を抜本的に解決するというのは、典型的なごまかしです。

抜本的に解決はしませんが、改善はします。なぜ、100点満点でなければならないのですか。「抜本的」とか「完全」などの言葉で、All or Nothing の話にしてしまうのも、よくある官僚作文です。

ex. 完全に不要な道路はない。

アクセス35万を数える私の本家で語っても、wikipediaに書き込む人がいても、統計の結果を白書どころか新聞の全国紙に掲載してもらっても、「外部に向けて語っていない」…。ほんと、どうしたらいいんでしょうね。途方にくれます。

どんな情報でも探せばどこかにあります。全てのことは「既出」です。 膨大な情報を収集、蓄積、整理、編集、提示(プレゼン)することが、専門知と言われるものです。「六法全書のどこかに書いてある」と言って、具体的に条項を示すことができない弁護士がいたら、法律を知っていることにはなりません。

自分で書いた記事を自分で提示するくらいのことは簡単でしょう。本当に数えるのも嫌になるくらい書いているなら、その中から適当に2,3見繕って、URL を貼ればいいだけです。

風の精ルーラ 2008.08.22 [14]

星新一世界の刑罰運用?

これも一部だけを切り出しています。「終身刑を残虐」を支持する先進国は、死刑を廃止しています。「終身刑は残酷だから反対、死刑は賛成」というセットで支持する先進国はありません。

そもそも一般的に死刑が残っている先進国自体、日本以外ではアメリカの38州くらいです。そうした州では、確かに終身刑と死刑が併存している例もあります。また、懲役1万年などということもあります。従って、これも「一理あり」ということになります。(個人的には賛成しませんが、あくまで私見の域を出ません)

日本における終身刑導入は、とりあえず死刑の休止を目的としているので、死刑・終身刑とも廃止している事例を持ち出すのは飛躍しすぎです。

終身刑について考える議連は別に死刑廃止論者の団体ではなく、死刑は残すのを前提に終身刑も刑罰の間を埋めるために設けようという人たちも少なくないようですよ。

不正は早く釈放することだけではありません。釈放を遅らせることや不作為だって不正です。(中略)権限が強く、闇の中で行使される場合、必ず腐敗します。

では、あなたの周囲にある全権力はほぼ腐敗前提と解さなければどうしようもありません。裁判の公開は一応憲法上保障されていますが、民事裁判の多くは非公開の部屋で準備手続がされます。少年審判も非公開、逆送事件でも推知報道禁止。また、公開してあっても公開の実が伴っているとは限りません。誰も傍聴に来ないような事件とてありますし、傍聴していたってルールが分からないままでは「監視」できません。
司法権の懲役年数設定ばかり腐敗はなし、地方更生保護委員会の仮釈放の決定ばかり腐敗ありなんて、無茶な。それとて、最近被害者のための改革がされたばかりなのに。

懲役年数の明示は 定価(メーカー希望小売価格)のようなものです。

それは、つまり人々は言い渡す判決さえあれば、実際何年であるか、社会復帰に耐えられるかどうかというのはどうでもいいというのでしょうか。そんな人たちが、どうして無期懲役だと出てくるからどうだと言えるのでしょうか。刑罰が実体の伴わないバブルになっていけば、刑罰の抑止効果や信頼感の低下につながるはずなのですが、判決で安心感を得れば終わりですか。
星新一の小説「悪への挑戦」で、死刑がテレビ中継される世界で、死刑囚は実はテレビ中継用死刑人形作りに従事していた、かつて死刑のテレビ中継に狂喜していた死刑囚はおかしいと思いつつも何が困るのか言えなかったなんてのがあったらしいですが、それを彷彿とさせますね。

恩赦というのは特殊事例ですから考慮に入れないものでしょう。

特殊事例だから考慮に入れないなら、無期懲役が懲役10年だ15年だというのに限って考慮に入れよう、というよりそれを前提に考えようとするのはどうしてですか。特殊事例もくそも「ない事例」ではないですか。自説に都合のいい制度的枠組みばかりつまみ食いされても困ってしまいます。

抜本的に解決はしませんが、改善はします。なぜ、100点満点でなければならないのですか。

有期懲役の仮釈放は残っています。つまり、無期懲役なら年数が分からないが、有期懲役なら年数が分かる…そんなのはごまかしでしかないと言っています。現在の無期の実務も知らない人が、どうして有期懲役の年数を理解しようというのでしょうか?それをなんとかしようとすると、懲役○百年ということになるぞと言っているのです。

どんな情報でも探せばどこかにあります。全てのことは「既出」です。 膨大な情報を収集、蓄積、整理、編集、提示(プレゼン)することが、専門知と言われるものです。

そもそも、プレゼンは「聞く気を持っている人がいる」というのが大前提です。弁護士だって、裁判官にせよ依頼人にせよ、とにもかくにも彼の話を聞く気はあるのが通常です。しかし、ごく普通に日常生活を送っている人にその効果は怪しいのです。

自分で書いた記事を自分で提示するくらいのことは簡単でしょう。

私のところで散発的に書いたのよりはるかにわかりやすく体系的な資料のURLを貼っておいたんですけどね。
というより、本当は重大な問題をきちんと議論するなら相手の言い分まで含めて基本的なことを知っておくのが大前提です。理論構成や考え方ならまだしも、一般的知識を論敵相手に教えてくれなどというのは、とても恥ずかしいことです。まして、「簡単でしょう」「貼ればいいだけ」など、まるで教えて当然とばかりの発言は、教えてくんに厳しい姿勢の人とは思えません。

hidew 2008.08.23 [15]

論点多すぎ(長文)

終身刑について考える議連は別に死刑廃止論者の団体ではなく、死刑は残すのを前提に終身刑も刑罰の間を埋めるために設けようという人たちも少なくないようですよ。

廃止ではなく、休止という言葉を遣ったのは、そのへんの含みがあります。死刑を制度として残しても、実質的に頻度が下がれば意味があります。いずれにしても、死刑を存置するなら、執行はすべきですし、死神と言われたくらいで怒ってはいけません。

全権力はほぼ腐敗前提と解さなければどうしようもありません。

全ての権力は腐敗前提です。「三権分立で相互監視する」と中学で習うはずです。衆院選の時には、最高裁判所の裁判官を信任投票します。二院制も基本的には「権力の腐敗を相互チェックする仕組み」でしょう。「腐敗しない権力が存在する」と考える方がおかしいです。

誰も傍聴に来ないような事件とてありますし、傍聴していたってルールが分からないままでは「監視」できません。

これも「少数事例を一般化する誤り」だと思いますが、裁判の傍聴は「抜き打ち監視」が機能すれば十分です。監視カメラは偽物であっても、防犯効果はありますね。それと同じことです。

司法権の懲役年数設定ばかり腐敗はなし、地方更生保護委員会の仮釈放の決定ばかり腐敗ありなんて、無茶な。

これはまた「All or Nothing の誤り」になってます。司法は行政に比べればまし、という程度の話です。

司法が腐敗しにくいのは、弁護士やマスコミとの緊張関係があるからですが、行政はそれが弱いでしょう。国会議員が情報を請求しても、黒塗りの情報を出してくるというふざけた実態があります。とくに刑務所関係はプライバシーの問題があって、暗闇になりやすい所です。

人々は言い渡す判決さえあれば、実際何年であるか、社会復帰に耐えられるかどうかというのはどうでもいいというのでしょうか。

社会復帰を考えたら殺人犯が不処罰とかパン一個盗んで19年監獄という事態が起こりえると、前にご自分で書かれていたとおりです。「社会復帰の可能性だけで刑罰論を考えるのは無理」と言う一方で、「社会復帰はどうでもいいのか」と言うのは、議論を混乱させようとしているだけのように見えます。

防腐剤 懲役年数が決まってから、できるだけ社会復帰を目指せばいいのであって、社会復帰するために、懲役年数を決めるのではありません。少年法などで、社会復帰(更正)を目指す拘束は、そもそも「懲役」という言葉を遣わず、期間も数年以内でしょう。

特殊事例だから考慮に入れないなら、無期懲役が懲役10年だ15年だというのに限って考慮に入れよう、というよりそれを前提に考えようとするのはどうしてですか。

恩赦の特殊性と、無期懲役で10-15年の特殊性は全然違います。というか、そもそも「無期懲役で10-15年」というのは事実誤認なのではありませんか。本題(終身刑の是非)とはあまり関係のない「懲役年数の明示」という話に脱線したのは、「無期懲役の誤解」が元になっているはずです。

そもそも、プレゼンは「聞く気を持っている人がいる」というのが大前提です。

それはその通りですが、「過去にいろいろ書いた」というなら、その証拠として具体例を提示する必要はあるんじゃないでしょうか。永田メール事件では「あるある」と言って、最後まで証拠を示せず自爆しました。単に「あるある」と言うだけではダメです。(ref. #1500 )

本当は重大な問題をきちんと議論するなら相手の言い分まで含めて基本的なことを知っておくのが大前提です。

「何を知るべきか」「何が基本か」を知っている人は既に専門家です。また、基本知識を前提にして行うのは「専門家の議論」です。

私は「人間のトホホ」(=政治、犯罪など)を観察することが好きなだけで、法学や刑罰論の本格議論を目指しているわけではありません。元々、数学や物理が好きな工学系の人間ですし、門外漢もいいところです。裁判員に呼ばれないことを祈っています。

風の精ルーラ 2008.08.23 [16]

大規模カット

これはまた「All or Nothing の誤り」になってます。司法は行政に比べればまし、という程度の話です。

まし、という程度の話で何十年先を見抜く慧眼が必要という発想は相当なものだと思います。その監視の方法は程度の差であり、また出所情報が通知される以上、それがマスコミにすっぱ抜かれる可能性もあるわけです。現実に、無期懲役仮釈放中の再犯などは派手に扱われます。
また、性質上監視になじまない領域もあります。司法界(検察)が医療界に干渉しようとして一大不協和音になったのが、大野病院事件ですし、国会が監視のためと称してこんな裁判は不当だなどという決議をしてはいけません。

「社会復帰の可能性だけで刑罰論を考えるのは無理」と言う一方で

塩を使わずにうまい料理は作れなくとも、塩分過多は良くないというのと同じです。
外枠設定ですべてが終わってしまって、内側を考えないようでは犯罪を再度招く恐れがあるよ、それでもいいの、といっているわけですし、内側をきちんと考えるには、程度問題ながら外枠をフレキシブルにしておく必要もあります。

少年法などで、社会復帰(更正)を目指す拘束は、そもそも「懲役」という言葉を(略)

いわゆる検察官逆送事件で成年のような刑罰にする場合でも、減軽や不定期刑を用います。

「過去にいろいろ書いた」というなら、その証拠として具体例を提示する必要はあるんじゃないでしょうか。

私は、情報ソースを提示することやそれが一般的にも知ることが出来るものであることが大事であって、私自身で何を表現したのかが問題になるという局面とは思いませんでしたけども。
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200807110000/
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200706290000/
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary ..

ちなみに、無期懲役に関しては今日も朝日新聞に法相の記事があります。私やそちらの主張に近いものが多少なりとも汲まれていると思いますよ。私自身も、無期懲役に関する知識をいったん総動員してみようかと思います。

「何を知るべきか」「何が基本か」を知っている人は既に専門家です。

法務大臣が専門家といえるかどうかはともかく、非難するなら専門家であるかどうかに関わらず基本知識は必要です。基本知識がないままに非難して基本知識の欠如がばれれば、一発で説得力消滅ですし、根拠もないのに人を非難するのは、クレーマーといわれる人のすることでしょう。

hidew 2008.08.23 [17]

死刑制度の安全弁

国会が監視のためと称してこんな裁判は不当だなどという決議をしてはいけません。

当たり前すぎていちいち言う必要のないことです。 国会が監視すべきなのは、司法ではなく、行政です。「三権分立の相互監視」という表現が雑で、誤解を招いたのかもしれませんが、「三権分立」は義務教育で習う基本知識で、丁寧に書かなくても通じると思いました。

塩を使わずにうまい料理は作れなくとも、塩分過多は良くないというのと同じ

塩加減を考えるのは、何を料理するか決めてからでしょう。ラーメンを作るか、カレーを作るかも決めていないのに、塩加減の話をするのは順番が逆です。懲役年数(料理)を決めてから、社会復帰(塩加減)を考えるという順番が正しい。過多、過少が良くないのは再三「All or Nothing の誤り」として指摘しているとおりです。

.. 根拠もないのに人を非難するのは、クレーマーといわれる人のすること

防腐剤 根拠もないのに「終身刑は残酷だから反対、死刑は賛成※」と言ったのは保岡法相です。私はそういう一般的かどうかも分からないような死生観を持ち出して、司法の大問題(死刑存廃)を決するな、と言っているわけです。個人的に「死は安息」という考えは理解できますが、だからこそ無差別殺傷事件などで死刑にしてはいけない、という逆のことも言えます。

制度上、終身刑を導入してみて、判断は裁判官なり、裁判員の判断に委ねればいいでしょう。多くの人が※(終身刑×、死刑○)と考えているなら、終身刑があるにもかかわらず、死刑判決が出続ける ということになり、現状は維持されます。

終身刑はいわば「死刑制度の安全弁」で、意固地に反対するような制度ではありません。

hidew 2008.08.23 [18]

アメリカに於ける死刑制度の現状

アメリカに於ける死刑制度の現状 - 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」

アメリカでは、判決・執行の両面でずいぶん死刑が減っている。

この背景をディーター氏は、「死刑執行に至る司法システムの随所で関係者が注意深くなり、過程が長引いている」からだと語っている。過程が長引くと、新しい証拠を探したり、優れた弁護人を雇ったりすることが出来て、死刑を免れるケースがあるのだという。

一方、人道的な理由で死刑に反対する人は約20%に過ぎないという。しかし、現在の司法システムが非効率的・非生産的だと見なすゆえに死刑に反対する人が増えているようだ。現在、陪審員も、死刑か否かではなく、死刑か終身刑かを問われるようになっていて、終身刑が選択される場合が多くなっているらしい。

「極刑として死刑がふさわしいかどうか」は現在の論点ではなく、それ以前の【コスト】が問題にされているとディーター氏は語っている。

端的にいって、囚人を40年間拘置するコストの方が、死刑よりも安いのだという。死刑執行までには様々な司法過程を経る必要があり、高いコストが掛かるのだという。

終身刑を死刑と比較した場合、難点はコストであるが、アメリカにおいては、それさえもないことになる。

風の精ルーラ 2008.08.23 [19]

当たり前すぎていちいち言う必要のないことです。 国会が監視すべきなのは、司法ではなく、行政です。

私にとって最大の疑問は、どうしてhide-wさんは司法権は腐敗のないもので行政権(仮釈放や恩赦決定権)は腐敗すると考えるのかということです。
司法権の独立という言葉に象徴される通り、司法権は監視しにくく、また問題を見つけたとしても世論がどうにかできる世界とは限らないのです。

塩を使わずにうまい料理は作れなくとも、塩分過多は良くないというのと同じ

料理を決めるにも、何か目的があるでしょう。ダイエット中なら揚げ物は控えるとか、今手元にどんな期限切れ間近の素材がある、といったことを考えて料理を決めない主婦(夫)は少ないと思います。そんな目的もなく最初に料理を決めて、あとからいろいろな要請を考えようとすれば途方もない困難や場合によっては不可能を招きます。
無論、その目的観その他については、私とhide-wさんにかなり差異があるのは、これまで明らかになったとおりですが。

根拠もないのに「終身刑は残酷だから反対、死刑は賛成※」と言ったのは保岡法相です。

少なくとも、私は法相の発言は現段階の所感レベルのものと拝察しました。また、それが批判されるものかもしれないが無根拠とまで言えるものではないというのも、指摘してきました。

制度上、終身刑を導入してみて、判断は裁判官なり、裁判員の判断に委ねればいいでしょう。

  • ・・と言いたいのはやまやまなんですが、終身刑や無期懲役が正しく理解されていない中で、委ねることは難しいことのように思います。裁判官がその場限りで教えることにどれほどの威力があるのか・・・。また、仮に残虐刑に当たるとなれば、憲法上の疑義も生じえます。
hidew 2008.08.24 [20]

役人のやりたい放題

私は司法権は腐敗のないものとは考えていません。むしろ、司法を信用していないからこそ死刑に慎重な態度をとっているわけです。腐敗しやすい権力の特徴は「権限の集中」「不透明」だと既に書きました。三権分立と言いつつも、実態は行政権が肥大化していて、バランスが崩れています。

そんな目的もなく最初に料理を決めて、あとからいろいろな要請を考えようとすれば途方もない困難や場合によっては不可能を招きます。

目的も料理も文章(法律)に書いてあります。あとからいろいろな要請を考えるというところに、行政が自由裁量で好き勝手なことをやろうとしている本音がにじみ出ています。そういうのは法治主義ではなく、中国、北朝鮮の人治主義に近いものです。

終身刑や無期懲役が正しく理解されていない中で、委ねることは難しいことのように思います。裁判官がその場限りで教えることにどれほどの威力があるのか・・・。

無期懲役が正しく理解されていないのはその通りかもしれませんが、それにもかかわらず、裁判員制度で、重い犯罪(死刑、無期懲役)を扱うところに法務関係者の支離滅裂と不見識を露呈してます。

裁判員広報のためのマスコット・キャラクタが乱立する状況を見て、これ(利権漁り)がやりたかっただけなんだと思いました。役人を信用できないのは当たり前ですね。

風の精ルーラ 2008.08.24 [21]

日本人の根本的気質の問題

私は司法権は腐敗のないものとは考えていません。むしろ、司法を信用していないからこそ死刑に慎重な態度をとっているわけです。腐敗しやすい権力の特徴は「権限の集中」「不透明」だと既に書きました。三権分立と言いつつも、実態は行政権が肥大化していて、バランスが崩れています。

以前ちらっと書きましたが、行政権は全国家作用-(司法+立法)と言われています。司法と立法の定義はほとんど定まっていますし、議院内閣制が採用されて国会と内閣は仲良しですから、結局行政権に権限が集中するのはむしろ当たり前です。仮釈放の例でも述べたとおり、腐敗しやすい権力を作らなければ、うまくいかないのが、今の日本の国家の仕組みです。

目的も料理も文章(法律)に書いてあります。あとからいろいろな要請を考えるというところに、行政が自由裁量で好き勝手なことをやろうとしている本音がにじみ出ています。そういうのは法治主義ではなく、中国、北朝鮮の人治主義に近いものです。

目的が、刑法その他には書いていないって知ってました?今の刑法は戦前にでき、近年大規模な改正を経たにもかかわらず、「刑事処罰の目的規定」は未だに設けられていないのです。理由はよくわかりません。個人的には、必ずしも定見がなく、現実の機能から考える方がよいという価値判断があるような気がしますが。
しかも、日本の法定刑は外国と比べて非常に幅が広いと言われています。これでは罪刑法定主義と言えないんじゃないか、とさえいわれており、結局判例の集積による量刑の定量化が図られています。裁判員になってもそれが出番だと言われています。
料理と言っても、懲役刑は年数や執行猶予いかん(裁判員でも執行猶予を巡ってもめることは十分あり得ます)によってかなり性格が異なってきます。大盛り中盛りの問題ではありません。マラソンか100m走かに近いでしょう。
このあたりは、刑法の在り方全体、ひいては日本人のお上意識にまでさかのぼる必要があるでしょう。

無期懲役が正しく理解されていないのはその通りかもしれませんが、それにもかかわらず、裁判員制度で、重い犯罪(死刑、無期懲役)を扱うところに法務関係者の支離滅裂と不見識を露呈してます。

これは私も大いにその通りだと思っています。本当に国民の意識を裁判に生かしたいならまずすべきはワイドショー的重大犯罪ではなく、窃盗や自動車過失のようなもっと身近な犯罪、あるいは民事裁判にでもすべきことなのに、どうして重大刑事裁判を裁判員の対象にしたのか。
一部の人質司法とか検察官のいいなりとか、そういった刑事司法の現状(といわれているもの)に絶望している人たち(しかしそういう人たちに限って声がでかい)がそれを打破するものとして飛びついたのが裁判員だったとも言われていますが、そのあたりの問題は法律家からもあちこちから批判が上がっています。
もっとも、正しい制度だと思わないから施行されてもノウハウありませんということもできないので、それでも模擬裁判をするなどノウハウ作りに懸命なのですが。
誰の利権になるのかは正直わかりませんけど、裁判員はおかしな制度だというのは私も同意です。

hidew 2008.08.24 [22]

越権行為

腐敗しやすい権力を作らなければ、うまくいかないのが、今の日本の国家の仕組みです。

防腐剤 「権限が集中すると効率がよい(それは仕方がない)」を是認してしまうことが地獄への第一歩です。腐敗しやすい権力を作るならば、それを浄化するための権力が必ず必要です。車のエンジンだけ強くて、ブレーキが弱かったら一体どうなりますか。そんな車は最初から動かすべきではありません。

内閣は選挙を経て構成されるという点で権力の正当性がありますが、その他の役人を増長させてはいけません。

今の刑法は戦前にでき、近年大規模な改正を経たにもかかわらず、「刑事処罰の目的規定」は未だに設けられていない

「刑事処罰」の一般的な目的は「懲らしめ」と「見せしめ」です。星新一「悪への挑戦」は後者の要素をえぐり出したものでしょう。

個別の法律については立法趣旨が国会で議論されているはずで、その目的は議事録を見れば分かるんじゃないでしょうか。法の目的を考えるのは立法の仕事で、行政や司法がそれを言うのは僭越です。目的を理解するに越したことはありませんが、「ルールで決まっているから」という杓子定規の運用、監視で問題ありません。

誰の利権になるのかは正直わかりませんけど、

マスコット・キャラクタのデザインやポスターの印刷を発注する人の利権です。

風の精ルーラ 2008.08.25 [23]

腐敗しやすい権力を作るならば、それを浄化するための権力が必ず必要です。車のエンジンだけ強くて、ブレーキが弱かったら一体どうなりますか。そんな車は最初から動かすべきではありません。

最近は、行政事件訴訟法が改正されて、行政権の判断に司法権が判断を入れる余地が広くなりました。もっとも、行政事件訴訟法は「個人の」権利救済のためのもので、仮釈放に司法権が判断を入れられる可能性はゼロに等しいでしょうけど。
もっとも、エンジンだけ強い車ほどに有害なのか、という点は別個に検討される必要があります。

内閣は選挙を経て構成されるという点で権力の正当性がありますが、その他の役人を増長させてはいけません。

その他の役人も、基本的には内閣を頂点にした枠組みに組み込まれています。正当性の契機が希釈化されているのは事実だと思いますが。

個別の法律については立法趣旨が国会で議論されているはずで、その目的は議事録を見れば分かるんじゃないでしょうか。法の目的を考えるのは立法の仕事で、行政や司法がそれを言うのは僭越です。

当時の議事録は戦前ものですし、議事録に法的拘束力もくそもありませんし、立法府はその点を解釈にきちんと生かしてほしいなら法律にするのが当然ですし、現に多くの法律でそうしています。…ただし、近年の刑事法の議論は、ある程度現実的な機能(国民の意識なども)などから論じられることが多いと思いますよ。
目的を考えるのが立法の仕事であることは否定しませんが、立法が決めずに投げてしまったら、結局誰かがやるしかないのです。

目的を理解するに越したことはありませんが、「ルールで決まっているから」という杓子定規の運用、監視で問題ありません。

甘いですね。ルールで決まっているからも何も、そのあたりが分からないと、刑事法の解釈指針もつかみきれない(幅広い量刑の中でどれを選ぶか、など)のです。戦後しばらくの刑法の争いも、そのあたりを明らかにしないと刑法解釈の指針が定まらない(例・未遂犯が成立するのはどこから?)という現実の問題があったためです。
民事訴訟法なんかは、指針が定まらなくても困らないから目的論議は棚上げしちゃってもいいなんて説が登場しますが(多数説ではないにしても)、刑事法はそうもいかないのです。

hidew 2008.08.25 [24]

元凶を放置、筋違いの対策

  • 目的が、刑法その他には書いていないって知ってました?
  • 立法府はその点を解釈にきちんと生かしてほしいなら法律にするのが当然ですし、現に多くの法律でそうしています。

後者を読むと「法律には立法趣旨(目的)が書いてある」と解釈できます。結局、どっちなんですか?
私としてはどっちでもいいんですが。

目的を考えるのが立法の仕事であることは否定しませんが、立法が決めずに投げてしまったら、結局誰かがやるしかないのです。

目的のない立法などありえません。人間同士の碁で「意図のない着手」が打たれないのと同じです。

立法の話はさておき、無期懲役というのは司法が刑期を決めず投げてしまうことです。「結局、行政がやるしかない」と開き直るのではなく、前工程(司法)の怠慢を非難する方が先です。

無期懲役というのは最低10年という以外何も決めていないじゃないですか。

そのあたり(引用注:法の目的)が分からないと、刑事法の解釈指針もつかみきれないのです。戦後しばらくの刑法の争いも、そのあたりを明らかにしないと刑法解釈の指針が定まらないという現実の問題があったためです。

解釈の指針が定まらないようなルールだったら、書き直しが必要です。確かに法令文というのは無駄に長くて、複雑で、そのくせ解釈が一意に定まらないという「最低の文章」が少なくないですね。だからと言って行間を読め、背景を読め、空気を読め、と言うのは筋違いです。法律は自己完結するように必要十分な文章を書いてください。

風の精ルーラ 2008.08.25 [25]

後者を読むと「法律には立法趣旨(目的)が書いてある」と解釈できます。結局、どっちなんですか?

刑法に「処罰の目的」は書いてありません。そもそも刑法の第一立法趣旨は「裁判官の判断の抑制」ですし。(刑法のマグナカルタ機能などと言います)
ただし、刑法の関連法規には、「立法目的」が書いてある例もあります。少年法とか。

立法の話はさておき、無期懲役というのは司法が刑期を決めず投げてしまうことです。「結局、行政がやるしかない」と開き直るのではなく、前工程(司法)の怠慢を非難する方が先です。

怠慢も何も、今の刑法の中で司法は考えるしかありません。また、司法に能力がないのであれば、能力のある方に権限を移譲するのはあまりにも普通の考え方であり、怠慢という評価は筋違いです。難病患者が運ばれた地方病院から設備の整った大型病院に患者を渡すのを怠慢とは言いません。司法にそういうことをさせたいのであれば、裁判の在り方を根本的に変え、また行刑権の所在に至るまで、裁判所に渡さなければ維持できません(また、腐敗しそうな権力の登場です)。前にも言ったとおり、裁判という改まった場所での短い交流だけで、何十年先を見定めることなど不可能です。

確かに法令文というのは無駄に長くて、複雑で、そのくせ解釈が一意に定まらないという「最低の文章」が少なくないですね。

法令文が悪文であるなんてことは法律家が一番身にしみていることです。ただし、一義的に定めるだけの法令文を作って現実に起こる問題に対応するというのがどれほど厳しいことかというのも、それはそれで知っておいてほしいかも知れませんが。「過失」なんて、内容を具体的にしようとすれば途方もない長文が必要です。

hidew 2008.08.25 [26]

loop

jpg 28743 byte 裁判の在り方を根本的に変える必要はなくて、無期懲役という分かりにくい刑罰を、数値で明示するだけです。何十年先を見定めると言っても、何を見定めるのでしょうか。今までのお話では「社会復帰の可能性」となっていますが、それは最後に塩加減を調節すればいいこと(ex. 懲役20年を18年で仮釈放)です。

とりあえず、(重無期 なんてややこしいことをしないで)無期懲役の最低服役年数を30年にしたらどうでしょうか。「法律上は10年で仮釈放がありえる」なんて規定されているから、変な誤解が生まれるのだと思います。

「社会復帰の可能性」は「犯罪の危険性」と裏表の関係です。「安全な囚人は社会復帰させよ」というのは「危険な一般人は予防拘束せよ」と表裏一体です。

罪を犯してしまった人の、罰を決めるのに、未来は関係ありません。

一義的に定めるだけの法令文を作って現実に起こる問題に対応するというのがどれほど厳しいことか

全てを規定することは、どだい無理な話です。ルールには大なり小なり空白地帯が発生します。できないことはできない、と割り切った上で、

ソフトウェア設計には 二つの方法がある

  1. 欠陥がないことが明らかなほど単純にする方法
  2. 明らかな欠陥がないほど複雑にする方法

― C.A.R.Hoare

まともなプログラマーは前者を目指します。法律家は後者のアプローチですね。

風の精ルーラ 2008.08.26 [27]

無期懲役の最低服役年数を30年にしたらどうでしょうか。

あの、そういうのを現在の無期よりも仮釈放が厳しくされているという意味で「重無期」っていうんですが…。

無期懲役という分かりにくい刑罰を、数値で明示するだけです。(中略)最後に塩加減を調節すればいいこと(ex. 懲役20年を18年で仮釈放)です。

つまり、その塩加減調節に目が行っていない人が多いのを利用しているということにほかなりません。私がどうしても違和感を捨てきれなかったのはおそらくそこでしょう。有期刑とて3分の2は動くのに、年数を表示すればあたかも塩加減調節がないかのようになる…おかしな話です。
無期懲役というのは、「一旦分かろうとすれば」わかりやすい刑罰です。

「社会復帰の可能性」は「犯罪の危険性」と裏表の関係です。「安全な囚人は社会復帰させよ」というのは「危険な一般人は予防拘束せよ」と表裏一体です。

確かに、犯罪者個人の主観面に依拠した刑法解釈学(犯罪成立に関するもの)は、そのような批判を浴びて消えていきました。しかし、犯罪の成立如何や応報による限界という視点をストップ原理に据えれば裏が出てくることはそうないと考える理解は少なくないと思いますよ。
ただし、少年法なんかは虞犯少年という形で部分的に裏面も取り入れていますが。

まともなプログラマーは前者を目指します。法律家は後者のアプローチですね。

単純にしすぎると、今度は罪刑法定主義の問題があります。なすべからざることをしたら罰金です…何かにつけて国家反逆と言って死刑を用いる北の将軍さまの国です。
また、刑法でなくとも、予測可能性という問題が出てきます。自分は何をやってよくて何がダメなのか。日常生活ではなかなか意識しませんが、シビアな領域もあります。

hidew 2008.08.26 [28]

単純化・複雑化

無期懲役のパラメータ(数値)をいじるだけなのだから、新制度を導入するかのような言い方をする必要はありません(九路盤をいちいち「小囲碁」と言い換えるでしょうか)
「重無期」というネーミング・センスもどうかと思います。

.. 塩加減調節に目が行っていない人が多いのを利用しているということにほかなりません。.. 有期刑とて3分の2は動くのに、..

jpg 6712 byte 安売りが常態化しているからといっても、定価はあった方が便利です。3分の2という割合で量ることができます。

(有期刑の仮釈放に)目が行っていない人が多いのを利用しているというのは、動機・目的が分かりません。一体何のために?

「裁判で懲役20年を示して、10年で仮釈放されるのは被害者や傍聴者を騙している」という趣旨なら、仮釈放を控えればいいでしょう。批判対象を間違っています。

無期懲役が全く理解されていない現状を棚に上げて、「有期刑(の仮釈放)は理解されない」と批判をするのはおかしいと思います。有期刑が理解されないなら、無期刑はもっと理解されません。無期懲役の方が一般市民に理解されやすいと思うなら、精々、啓蒙活動を頑張ってください。

単純にしすぎると、今度は罪刑法定主義の問題があります。.. また、刑法でなくとも、予測可能性という問題が出てきます。..

「過ぎたるは及ばざるがごとし」 - 単純にしすぎるのではなく、ほどほどに単純化すれば問題ありません。

表現の単純化は、模式的に書けば ab + ac → a(b + c) のような変換です。必ずしも内容の変質を伴うわけではありません。ソフトウェア設計で言えば、外見上の機能を変えずに、内部を単純に記述すると言うことです。

なお、法令文が無駄に複雑であるメリットもあります。

  • 意味が分からないが、抜け穴も分からない。(暗号化)
  • なんとなく重みが増したような気分になる。(雰囲気)
風の精ルーラ 2008.08.27 [29]

無期懲役のパラメータ(数値)をいじるだけなのだから、新制度を導入するかのような言い方をする必要はありません

ネーミングセンスはどうかわかりませんが、具体的な内容が何にも定まってないので、抽象的にそのようなより重くなった無期刑を指す何らかの名称は必要です。

安売りが常態化しているからといっても、定価はあった方が便利です。3分の2という割合で量ることができます。

今の日本では、定価さえ示されれば実際の売値に興味がない(!)人が多すぎます。また、死刑ではないにしても、本当に一生入ってもらう必要がでてきた人物はどうするのか、という問題も生じます。50年本当に服役しきったらどうするんだ、という問題が出てきてしまうのです。それとも、アメリカよろしく、懲役1万年とでもやるつもりなんでしょうか。

「裁判で懲役20年を示して、10年で仮釈放されるのは被害者や傍聴者を騙している」という趣旨なら、仮釈放を控えればいいでしょう。

それで仮釈放を控えると、今度は仮釈放の持つ効果が吹っ飛んでしまいます。何のために半数近い受刑者が仮釈放されているのでしょうか。

私が一番気になるのは、懲役に関して基礎的な知識(それも、10分もネットをめぐれば楽勝)を持っていない人たちが、無期懲役と死刑の間に差がありすぎるとか騒いでいる状態です。きちんと議論するには、基本的知識を身につける必要があります。その上でどうにかなるのであれば、きちんとした手続きが踏まれているのでしょうから文句は言いませんが、「調べない人の理解のため」に制度の枠組さえも変える、というのはおかしな話だとしか私には思えません。その場限りで「無期は軽い」などと怒っているだけなら、無視するのも手になりえます。
初心者にまがり4目のルールが分かりにくいからと言って、すべて手を詰めさせるなんて言ったら噴飯ものでしょう。

表現の単純化は、模式的に書けば ab + ac → a(b + c) のような変換です。必ずしも内容の変質を伴うわけではありません。

その手の単純化(パンデクテンシステムなどと言いますが)でいい、というのなら、日本の法律は、多くがそうなっています。全体を貫く総則を定め、どんどん細かくしていきます。「準用」も多く使われます。

hidew 2008.08.28 [30]

制度と実態

「無」に重いも軽いもありません。

無期刑は実際には無期(=期限を予め決め無い)ではなく、専門家の考える「相場」のようなものがある。だから、「重無期」なんて奇妙な言葉遣いに違和感を感じないのでしょう。

今の日本では、定価さえ示されれば実際の売値に興味がない(!)人が多すぎます。

化粧品の売価(定価)に興味がない男が多すぎることは問題でしょうか。大多数の善良な市民は、刑務所に全く縁がないのですから、仮釈放(刑期)に興味を持たないのは当たり前です。しかし、誰も興味を持たないからといって、役人が好き勝手に決めていいことではありません。

本当に一生入ってもらう必要がでてきた人物はどうするのか、

「終身刑を導入せよ」という最初の主張に戻ります。法治主義なんだから、50年服役しきった囚人は釈放するに決まっています。懲役年数を上限なしのアメリカ式にするのは明解だと思います。

仮釈放を控えると、今度は仮釈放の持つ効果が吹っ飛んでしまいます。何のために半数近い受刑者が仮釈放されているのでしょうか。

仮釈放の効果は分かっていますが、やむをえない手段として認められているだけです。仮釈放は一歩間違えると「刑務所の都合で凶悪犯を野に放っている」ということにもなります。

「懲役年数の明示」に対する塩加減調節に目が行っていない人が多いのを利用しているということにほかなりませんという反対理由は結局、意味が分かりませんでした。仮釈放に正当性があって、仮釈放に無関心な人が多いことを問題にするなら、それを非難すればいい話です。「懲役年数の明示」とは何の関係もありません。

私が一番気になるのは、懲役に関して基礎的な知識(それも、10分もネットをめぐれば楽勝)を持っていない人たちが、無期懲役と死刑の間に差がありすぎるとか騒いでいる状態です。

jpg 15930 byte 私はまだ「無期懲役と死刑の間には大きな溝がある」と思っています。というより、「無期懲役と死刑の差」は、比較を絶した天地の差であって、無期懲役の誤解がなくなった程度で埋まるものではありません。

死刑を終身刑で置き換えることができないのも、保岡法相が言うように「終身刑が重い」からではなく、逆に「終身刑が軽い」と感じる人が多いからではないかと思います。

私は「言葉の意味を辞書で調べよう」とは思っても、「無期懲役の年数をネットで調べよう」とは思いません。今回は一応、少し調べましたが、メモに残したのは「無期懲役の最低服役年数は10年」ということだけです。平均32年という無期懲役の相場は「現在、たまたま上がっている」というだけの話で、制度上は何の担保もなく、また、将来にわたって意味のある数字ではありません。

マーフィーの法則ではないけど、ルール上許容されている全てのことは起こりえると考えれば、無期懲役の服役年数が、10-20年になることは、十分ありえます。そういう変動相場制の数値を見て、長期的な制度を考えることはできません。

初心者にまがり4目のルールが分かりにくいからと言って、すべて手を詰めさせるなんて言ったら噴飯ものでしょう。

初心者が「隅のマガリ四目」などのルールで合意できなかった時は、実戦解決(中国ルール)するのが基本です。有段者が口を出すのは、かえって本質的理解を妨げる恐れがあります。ルールの消化が十分ではなく、コウやセキをマガリ四目として処理してしまう勘違いの方がよほど噴飯ものです。「ルールだから」でごり押しする中級者に限って、間違えています。

ルールだから正しいのではなく、多数が「正しい」と考える手続きがルールになる。

風の精ルーラ 2008.08.28 [31]

無期刑は実際には無期(=期限を予め決め無い)ではなく、専門家の考える「相場」のようなものがある。

仮釈放「要件」の点に着目するのが重無期ですから、そこに相場も何もありません。ついでに、平均年数32年というのが、「最初から仮釈放されていない人を統計に含めていない」数値であることは、あらかじめ指摘しておきました。

しかし、誰も興味を持たないからといって、役人が好き勝手に決めていいことではありません。

確かに、好き勝手裁量は許されません。しかし、好き勝手に決めるな、こうすべきだろうというなら、それに相応しい興味や知識は必要です。囲碁のルールも知らないのに、李昌鎬の着手に文句をつけたところで、誰が相手にするものですか。例えそれが当たっていても、まぐれあたりです。本当に正当性があるなら、きちんと知識を入れ、その上で論争してみろ、と言いたいですね。
今の日本において、役人は、無駄に役人をやっているのではありません。それを認められなければ形を変えた反知性主義になる恐れがあります。

「終身刑を導入せよ」という最初の主張に戻ります。法治主義なんだから、50年服役しきった囚人は釈放するに決まっています。懲役年数を上限なしのアメリカ式にするのは明解だと思います。

判決段階で(実質的なものも含めた)終身刑かどうか決めなければならないという主張ですね。まあ、この点はもうおそらく論じつくしましたので、周辺の評価を待つほかないとは思いますが。

仮釈放の効果は分かっていますが、やむをえない手段として認められているだけです。仮釈放は一歩間違えると「刑務所の都合で凶悪犯を野に放っている」ということにもなります。

やむを得ない手段…もう少し積極的な意義を見出す例もありますけどね。いったん社会に出して、その上で保護観察にかける、とか。満期釈放だと保護観察はできませんし。また、社会復帰するに際して、仮釈放が取れた人の方がある程度「受けがいい」ということも考える必要があるでしょう。
ついでにいえば、アメリカじゃ刑務所が満杯すぎて、有罪判決が下っても刑務所があくまで服役できないなんてことが本当にあると聞いています。刑務所の都合も何も、刑務所があかなければ服役はできないことは動かしようがありません。アメリカで性犯罪者がらみで話題になったGPS監視などというやり方が使われるようになったのも、刑務所不足に困った(性犯罪は懲役何十年というのが少なくない)からです。
刑務所の都合で出てくるというのを止めてほしいなら、もっと税金をかけ、刑務所を作って、正確には作らせてください。今でも刑務所を建設しようとして地元住民にかまれるなどという事態がありますけど。

仮釈放に正当性があって、仮釈放に無関心な人が多いことを問題にするなら、それを非難すればいい話です。「懲役年数の明示」とは何の関係もありません。

一般の人たちの不信解消方法としての懲役年数の明示が、無関心な人の誤解に乗っかるやり方でしかない(見る人が見れば、それも3分の1で出てきてしまう可能性があるとわかる)から、違和感が取れないわけです。もっとも、そちらは懲役1万年のような制度に違和感がないようですから、その点はそちらの思考の内部では解決しうるのでしょうし、それは見解の相違ということになりそうですが。

私はまだ「無期懲役と死刑の間には大きな溝がある」と思っています。というより、「無期懲役と死刑の差」は、比較を絶した天地の差であって、無期懲役の誤解がなくなった程度で埋まるものではありません。

私もそう思いますよ。それで、無期では軽いから終身刑を導入しようとか言っているわけです。
結論において終身刑を導入するなとは言いませんが、終身刑に存在するとされた数々の問題点は当然のように指摘されているわけです。その点を知らないまま、無邪気すぎる導入論が多すぎるのです。

マーフィーの法則ではないけど、ルール上許容されている全てのことは起こりえると考えれば、無期懲役の服役年数が、10-20年になることは、十分ありえます。そういう変動相場制の数値を見て、長期的な制度を考えることはできません。

国民の感情が緩んで、無期懲役の受刑者でも10年から20年でもいい、というような国民的合意でもできればありえないとは言いません(仮釈放の要件には「社会感情による仮釈放の是認」が明文化されていますから、ルール上許容されているといえるのかどうかも問題ですが)が、それができる状態ではありませんし、本当にそれが達成されたなら最初からそんな長期の懲役を用意する必要がなくなります。
第一、本当にルール上許容されている全てのことは起こりえると考えるなら、恩赦制度で全員即釈放などという事態も考えなければいけなくなるでしょう。刑事政策の論争は恩赦の存在一つで無意味化します。

初心者が「隅のマガリ四目」などのルールで合意できなかった時は、実戦解決(中国ルール)するのが基本です。

本当は、実戦解決も切り賃やセキなどの問題があり、勝敗をゆがめる恐れがあるのですけどね。初心者普及ルールのために、長らく培われたプロ碁界におけるルールもそうするんですか?ということです。
実戦解決は、少なくとも日本においては棋院が英断を下さなければローカルルールです。

hidew 2008.08.28 [32]

「代案なき反対」ばかり

jpg 4581 byte 仮釈放を決定する役人なんて、碁会所のおっちゃんと同レベルです。この期に及んでまだ「役人を信用してくれ」と言うのでしょうか。

手のかかる囚人を「保護観察」の名の下に、一般社会に押しつけて、意義を見出しているのは、刑務所の関係者だけでしょう。そのことを指して「刑務所の都合」と書きました。刑務所不足だって、法務政策の都合です。

仮釈放の濫用にはやむをえない事情があったとしても、妙な理屈をつけて正当化するようなことではありません。保岡法相の発言で私が問題視しているのもその点です。なぜ素直に最初から「刑務所が足りない」と言えないのですか。

一般の人たちの不信解消方法としての懲役年数の明示が、無関心な人の誤解に乗っかるやり方でしかない ..

有期刑の方ばかり無関心な人の誤解に乗っかるやり方と言いますが、無期刑の方は「終身刑のように思わせておいて、制度上は10年で出てきてしまう恐れがある」という制度です。20点しかとれていない生徒が、50点の生徒に向かって「出来が悪い」と言っているようなものです。

終身刑に存在するとされた数々の問題点は当然のように指摘されているわけです。その点を知らないまま、無邪気すぎる導入論が多すぎるのです。

「いろいろ問題点がある」と言ってみるのは典型的な官僚作文です。 そもそも「問題点のない施策」というのはあるんでしょうか。

「○○には問題がある」というのではなくて、「○○より現状の方が良い」とか「○○より●●の方が良い」と言わなければ意味のある主張ではありません。「代案なき反対(批判)」ならネットイナゴでもできます。

恩赦制度で全員即釈放などという事態も考えなければいけなくなるでしょう。刑事政策の論争は恩赦の存在一つで無意味化します。

そうです。だから、(死刑代替なら)恩赦も認めない終身刑にすべきという主張があります。私は、植物状態の人が意識を取り戻す可能性と同程度なら、終身刑に恩赦を認めてもいいと思います。

仮釈放の要件には「社会感情による仮釈放の是認」が明文化されています

これをルールと見てしまう感覚は危険ですね。社会感情というものは観測方法を変えればいくらでも操作できます。その種の偽装は役人の得意技です。

実戦解決も切り賃やセキなどの問題があり、.. 初心者普及ルールのために、長らく培われたプロ碁界におけるルールもそうするんですか? ..

png 3953 byte 切り賃は純碁(原始ルール)の話です。中国ルール、AGA Rule などで切り賃は関係ありません。

簡便な計算法としての日本ルールはいわば「プロ仕様の道具」です。「プロが使っている道具は、初心者にとっても最善の道具」という発想が短絡的なんです。

日本ルールは相互信頼のルール(マナーやモラルに近い)で、相手が石の死活に同意しなかったりすると、面倒なことになります。初心者に対して「ルールを理解しない方が悪い」と言うだけで済むのなら楽でいいですね。

風の精ルーラ 2008.08.28 [33]

そこまでアンチ役人になれるのも凄いものです。

仮釈放を決定する役人なんて、碁会所のおっちゃんと同レベルです。この期に及んでまだ「役人を信用してくれ」と言うのでしょうか。

少なくとも、刑罰のけの字も知らない人たちの勝手な言い草よりは、ある程度刑罰について素養のある役人を信用します。どの道誰かがしなければならないことですし。役人を信用しないというのなら、誰がやればいいのです?裁判官とてその意味では役人ですし、裁判員よろしく民間に委託でもしますか?

手のかかる囚人を「保護観察」の名の下に、一般社会に押しつけて、意義を見出しているのは、刑務所の関係者だけでしょう。

一般社会に押し付けるも何も、一般社会にどの道戻っていただかなければならない人たちが多数いるし、それに社会内処遇の方が有効な場合があるというのは動かせないんですけど。執行猶予判決だって、刑務所に入れないで社会内で更生しなさい、という意味が多分に含まれていますし。

仮釈放の濫用にはやむをえない事情があったとしても、妙な理屈をつけて正当化するようなことではありません。

刑務所が足りないなんてことはいつも言ってますよ。ただ、それを終身刑問題に答えを出す理由にはしていないだけです。終身刑を導入したところで今の無期懲役や死刑の運用を見れば、それを用いなければならない例は全体から見れば少数であると察せますし。もちろん、大規模に終身刑判決をばしばし出す形で導入するなら、そのあたりも考慮材料になるでしょうけど。
今のままなら、執行猶予政策や量刑相場を見直すほうが解決手段として合理的です。

有期刑の方ばかり無関心な人の誤解に乗っかるやり方と言いますが、無期刑の方は「終身刑のように思わせておいて、制度上は10年で出てきてしまう恐れがある」という制度です。

無期刑で解決した、というのが誤解に乗っかっているのと同様だということです。無期刑と同根の誤解を使って部分的にでも解決しているように見せる…私は潔癖すぎるのでしょうかね。

「いろいろ問題点がある」と言ってみるのは典型的な官僚作文です。 そもそも「問題点のない施策」というのはあるんでしょうか。

そんなものありません。だからいちいち検討をしなければならないのです。問題点のない施策がないからと言って検討もせず通すのはただのど阿呆です。ただ、問題点が一般的なものより大きいぞ、と言っているだけです。
私は今の制度で困りはしないんじゃないかと思っていますが、きちんと検討をした上で変えるなら文句はありません。最後に正当性を担保するのは手続の正当性ですから。ただし、考慮すべき事項を無視して結論を出そうとする手続に、正当性もくそもありません。

これをルールと見てしまう感覚は危険ですね。社会感情というものは観測方法を変えればいくらでも操作できます。

だから微妙である、とは言ったのですが、そのような観測方法によって操作できるものを考慮して行政が裁量しなさいというのは世の中に余るほどありますし、司法権だってその辺をあれこれ判断します。日本の法定刑の幅が広いことはどうなんですかね。

簡便な計算法としての日本ルールはいわば「プロ仕様の道具」です。「プロが使っている道具は、初心者にとっても最善の道具」という発想が短絡的なんです。

別に初心者がローカルルールとして実戦解決をしましょう、というのであれば、それをよそからとやかく言う権利はありません。このあたりなら人による最善というのもあるでしょう。刑罰はそういう世界ではないですが。
問題なのは、初心者が自分たちにわからないことを盾に、プロ碁界、あるいはアマでもそれなりに強い碁界に分かるようにルールを変えろと迫ることです。サッカーの公式グランドを、小学校の体育教師が「100mなんて、小学生の体格に合わないから公式ルールも50mにしろ」と迫ったらちょっと待てとなるでしょう。

みんみん猫 2008.08.29 [34]

ちょっと割り込み

お二人のコメントを読んだ感想を書きます。的外れかもしれませんがそうなら指摘して下さい。
同じ問題を論じていても立場が違えば見方が変わるものです。
ルーラさんは司法試験受験生(あるいは合格発表待ち?)で刑法・刑事訴訟法を中心に学んでおられるようです。
hidewさんは法律の専門家ではなく、ITに詳しいエンジニアです。
hidewさんは無期懲役刑が確定しても、実際に何年服役させるかは現場の裁量に委ねられている、裁量行政を批判しておられるように思います。
ルーラさんは刑事犯の刑の執行に関しては、現場の裁量の範囲が小さいと指摘しておられます。

hidewさんの問題意識は刑法だけでなくて、この国全体の行政のあり方に及んでいる。
ルーラさんは自分の専門分野に特化して論じておられる。
ゆえに二人の認識は平行して、コメントの応酬がかみ合わないのではないでしょうか

私は税務や建設会社の経理に長く関わっております。刑事裁判やその刑の執行に関するよりも、税務行政や公共工事の受発注に関しては裁量行政の弊害が大きい事を知っています。いかに現場の役人の裁量に委ねられていたか、それが天下り・収賄などの政官業の癒着を生んでいるかを実際に知っております。

受験生の立場というのは、資格は国家が与える物である以上、行政側が正しいという前提で答案を書かないといけません。今の司法試験制度は知りませんが、昔の司法試験・司法書士・公認会計士・税理士試験など合格率は2~7%でした。合格率ヒトケタの試験というのは、落とすための試験です。
試験委員が全ての答案をまともに読んでくれる事を期待して答案を書く人は、その時点で既に負けているのです。
すると一発で通る秀才ならばいいけれど、何年もかかって合格する並の受験生はその過程で、行政の犬となるべく無意識のうちに洗脳されていると私は思います。

もっと甚だしい例としては、中国の科挙が有名ですが・・
ex)税理士試験では、「・・課税の公平を実現させる趣旨でこの税制は施行された」と書くのは答案作成の定石なのですが、「課税の公平以前に、この国には徴税の公平がない」と本当の事を書いたら、その答案は×となります。

風の精ルーラ 2008.08.29 [35]

可能性はありますね。

司法試験の答案は、別に判例にべったり寄り添って描く必要はなく、例え判例の見解に喧嘩を売っても、「それなりに」筋の通った一つの解答を導き出せば、論文試験ならば十分に合格できます。

ただし、それには法律全体をある程度はこの国の法律家全体に合わせて理解しなければなりません。司法試験が「実務家登用試験」である以上、革命的な新解釈を打ち出したって、「それなりに」扱いはしてもらえません。実務家登用試験という場で、実務で絶対採用されえない自説ばかり論じる者は学者はともかく実務家としてはやっていけないのがすぐにわかってしまいます。
そんな中で、私自身も思考回路が日本の今の法律に慣れているでしょう。慣れられなければ、発狂するかもしれません。また、法解釈という作業には法の趣旨をある程度知っておくことが不可欠です。知っていくにつれて、ああこういうメリットがあるんだ…ということを、一般の人よりは深く知ることができる、という面もあります。(ただし、司法試験に刑事政策はまず出ないことも知っておいてください)

ちなみに私の刑事政策観は、ある程度は独力ですが、少なからぬ部分を院時代の裁判官の師匠によって培われています。無論、それが伝達の過程を経て私の脳内で曲がっている可能性はあるので、師匠が私のように考えている、と即断されても困りますが。

ルーラさんは刑事犯の刑の執行に関しては、現場の裁量の範囲が小さいと指摘しておられます。

裁量の範囲は大きいですが、それは合理的な刑事政策からはやむを得ないのではないか、というのが基本だと思ってはいます。課税には公平という概念が付きまといますが、合理的な行刑には応報・社会復帰という概念がつきまといます。

「・・課税の公平を実現させる趣旨でこの税制は施行された」と書くのは答案作成の定石なのですが、「課税の公平以前に、この国には徴税の公平がない」と本当の事を書いたら、その答案は×となります。

税理士試験の問題は知りませんが、「司法試験風に論評」させてもらえば、徴税の公平がないというのはそれ自体が問いの答えにはならないでしょうし、(問いに答えなければいかに真実を書こうと点が来なくて当然)また徴税に公平がないから、などと税法解釈実務で言える、とは思えないのですが…。徴税の公平がないのを理由にする人は、政治家には向いているかもしれませんが本当に税理士として実務に携わるのに相応しいのか…と素直に思います。
問題も税理士の仕事も知らないのに失礼しました。気分を害したならお詫びいたします。

みんみん猫 2008.08.29 [36]

美しき誤解

司法試験の答案は、別に判例にべったり寄り添って描く必要はなく、例え判例の見解に喧嘩を売っても、「それなりに」筋の通った一つの解答を導き出せば、論文試験ならば十分に合格できます。

そこは法の分野によって試験のあり方が異なるらしいというのが私の感想です。
問題の多い部分・学者実務家の間で異見の別れる部分は出題されないのが常ですから
、試験のための勉強をしていると法体系は美しく欠陥の少ない精緻なシステムだと思ってしまいがちです。

税理士試験の問題は知りませんが、「司法試験風に論評」させてもらえば、徴税の公平がないというのはそれ自体が問いの答えにはならないでしょうし、(問いに答えなければいかに真実を書こうと点が来なくて当然)

当たり前です。税理士試験や会計士試験の税法科目でも、課税に関する法・令・通達等が出題範囲です。例外として税理士試験の選択科目に国税徴収法というのがあります。
問われてもいない事を書くと、その先を読まずにその答案は採点対象外になるでしょう。

ただ試験に通った人も挫折した人も実務に従事して、理論と現実の乖離に驚く事になります。そして自分の学んだ物が何だったのかを考え直すようになるのは確かです。

hidew 2008.08.29 [37]

官僚作文

役人という言い方に語弊がありました。私が言っているのは「刑期は、行政権ではなく、司法権が責任をもって決めるべき」ということで、「役人=仮釈放申請を上げてくる刑務官」という意味です。もちろん広義の役人としての裁判官もそれほど信用しているわけではありません。

執行猶予判決だって、刑務所に入れないで社会内で更生しなさい、という意味が多分に含まれていますし。

執行猶予がつくような犯罪は、裁判所が「社会で更生可能」と判断し、周知されます。執行猶予と仮釈放は受け入れる側の「危険度」「心構え」が全然違います。

無期刑で解決した、というのが誤解に乗っかっているのと同様だということです。無期刑と同根の誤解を使って部分的にでも解決しているように見せる…私は潔癖すぎるのでしょうかね。

jpg 8407 byte 同根の誤解を解消する(=仮釈放の濫用を改める)のが本筋ですし、(懲役年数の明示で)部分的にでも改善するのだったら一歩前進です。「100点ではないから、全部ダメ」という発想は確かに潔癖すぎます。政治なんて 51点なら上出来です。

.. 行政が裁量しなさいというのは世の中に余るほどありますし、司法権だってその辺をあれこれ判断します。日本の法定刑の幅が広いことはどうなんですかね。

世の中の空気を読むのは、立法の仕事であって、行政と司法がそれをやるべきではありません。「解釈の幅が広すぎる法」は意味がありませんし、危険です。

司法権はあれこれ独自の判断を加えておきながら、都合が悪くなると「法律に従っているだけ」と言います。本当に法律に従ってください。

きちんと検討をした上で変えるなら文句はありません。

骨の髄まで、官僚作文が染みついていますね。「自分は反対したわけではない」という言い逃れを担保するための一言です。「(100点の案が出るまで)検討が必要だ」と言い続けて、永遠に反対するのが役人の手口です。政治家もよく使います。(ref. 時期尚早と言う者は… )

きちんと検討にも 100% はありえませんから、何をクリアすれば OK なのか、ハードルを具体的に提示しなければ、意味がありません。終身刑に関しては「刑務所の空き」「運営費用と予算の裏付け」などが具体的な検討事項になるでしょう。

hidew 2008.08.29 [38]

専門家の見識

hidewさんは無期懲役刑が確定しても、実際に何年服役させるかは現場の裁量に委ねられている、裁量行政を批判しておられるように思います。

そうです。論点が拡散しすぎるとアレなので、一応、法務関係で言いますと「代用監獄」は裁量行政の悪弊が分かりやすく噴出する問題です。問題があると分かっていながら、行政権の操り人形として、司法も立法も改善しようとしない。専門家に言わせれば「警察は信用できる」ということなんでしょう。

志布志事件(#1636 )や高知白バイ事件(#1715 )は見なかったことにする。それが専門家 自らが出世するため の見識なのかもしれません。

ルーラさんは自分の専門分野に特化して論じておられる。
ゆえに二人の認識は平行して、コメントの応酬がかみ合わないのではないでしょうか

専門性の違いというより、「公権力への信頼」が全く違うような気がしました。

弁護士というのは、本来は反体制側でバランスをとるべき人間ですが、法学の講座や司法試験などで、うまく丸め込まれてしまうんでしょうか。

風の精ルーラ 2008.08.29 [39]

問題の多い部分・学者実務家の間で異見の別れる部分は出題されないのが常ですから、試験のための勉強をしていると法体系は美しく欠陥の少ない精緻なシステムだと思ってしまいがちです。

美しく欠陥が少ないといえるかどうかはともかく、一部をカットして一部をくっつけるようなことはできないとは教わりましたね。
なお、司法試験ならばむしろ学者実務家の間で見解の分かれる問題が出されます。特に論文試験。択一試験でも、見解の分かれる問題は出されます。(ただし、どれが正しいというのではなく、この考えに従うとどうなる、という問題形式が多い)

ただ試験に通った人も挫折した人も実務に従事して、理論と現実の乖離に驚く事になります。そして自分の学んだ物が何だったのかを考え直すようになるのは確かです。

でしょうね。旧試験受験生時代に勉強していたことが、法科大学院に行くと、全く違う見方が必要になります。実務導入にすぎない院でそうですから、実務ではもっとでしょう。
知らないと困るのに、です。

風の精ルーラ 2008.08.29 [40]

私が言っているのは「刑期は、行政権ではなく、司法権が責任をもって決めるべき」ということで、「役人=仮釈放申請を上げてくる刑務官」という意味です。もちろん広義の役人としての裁判官もそれほど信用しているわけではありません。

裁判官をそれほど信用しているわけでもないけども、先々の判断を見通す能力に乏しい(正確には、そんな能力と法的能力の同居自体が人間には厳しい)裁判官に判断させるのがよい、というのなら、見解の相違なのかもしれませんね。

執行猶予がつくような犯罪は、裁判所が「社会で更生可能」と判断し、周知されます。

仮釈放も、社会に出してもとりあえず犯罪に走らないだろうと判断されて出されるわけですけども。

世の中の空気を読むのは、立法の仕事であって、行政と司法がそれをやるべきではありません。「解釈の幅が広すぎる法」は意味がありませんし、危険です。

本気でこういうことを言えるんですか?司法や行政に一定の裁量権を持たせないで、立法機関が国会しかない(しかも予算編成などの仕事もある)現状で、現実の紛争解決の役に立つと思うのでしょうか。今でも、立法府は行政権に多数の事項を政令その他で定めさせているのですが。
裁判所はわからないからと言って裁判を投げ出せません。解釈の幅が広すぎる法は危険なのはその通りですし、刑事法などは特に厳しく戒められますが、そこまでいうんだったら解釈の幅の狭い法を作ってください。そして、世の事情の変更があってがんじがらめに縛られた法解釈では間に合わない事態が発生しても、国民全体で仕方ないと飲んでいただくことになります。
アメリカなど、国によっては、量刑には事細かな表が用意してある例もある(陪審員は事実認定のみ)そうですし、日本でも部分的には取り入れられています(障害等級表)けど。

「自分は反対したわけではない」という言い逃れを担保するための一言です。

これを検討しなければ正当な手続きを踏んでいるとは言えないと指摘するだけです。検討した上でそうだ、というのなら、そうですかで済みます。反対と賛成しかないとするなら、あまりにも短絡的です。

  • ・・おっと、これも官僚作文かな。

弁護士というのは、本来は反体制側でバランスをとるべき人間ですが、法学の講座や司法試験などで、うまく丸め込まれてしまうんでしょうか。

まず、現実の紛争解決として、相手を警察に突き出すなんてことはごく普通です。自治体にせよ国家にせよ体制が市民生活に大きく関わっている以上、体制とけんかするばかりでは国民の権利を守ることにつながらないのが現実です。最後の砦「裁判所」だって、体制側ですし。
また、法制度や裁量の全体構造や意義を理解しなければ、体制とまともに渡り合うことだってできません。その上で、日弁連とかは代用監獄にかみついたり、人質司法を批判したりということをやっているのですが、それらは全て、相手方の主張を理解してこそ説得力が増すのです。

自分がアタリをすることに気を取られて相手が逃げてから対応を考える2桁級の碁が役立つほど、法の世界は甘くありません。

hidew 2008.08.30 [41]

公権力と対峙する

本気でこういうことを言えるんですか?

三権分立のタテマエを言っただけです。

実態は、「人形」としての法務大臣と、「番犬」としての裁判官が、官僚に仕えています。何もかもが官僚の仕事で、その官僚がKY(空気読めない)だから始末が悪い。

解釈の幅の狭い法を作ってください。

「無期刑廃止。有期刑の前倒し(仮釈放)は 20% 以内」

相手方の主張を理解してこそ説得力が増すのです。

そういうことを言っているうちに「ミイラ取りがミイラになる」のでしょう。風の精ルーラさんは「体制の代弁者」として意見を言っているだけで、公権力と対峙するという発想は全くないように見えます。みんみんさんが行政の犬となるべく無意識のうちに洗脳されていると辛辣な指摘をされていますが、私も同じことを感じました。

相手方のやり口を研究しておくべきなのは当たり前です。私も官僚作文についてはずいぶん詳しくなりました。

風の精ルーラ 2008.08.30 [42]

風の精ルーラさんは「体制の代弁者」として意見を言っているだけで、公権力と対峙するという発想は全くないように見えます。

刑罰の領域の立法論について現在の在り方を支持するといって、現在の行政全体の在り方を変えたらうまくいかないだろうと言ったら、公権力と対峙するという発想は全くない…あまりにも陳腐なレッテルですね。そこまで言うなら、行政に裁量のない国にでも行ったら、と毒づきたくもなります。そもそも、行政権に司法権がメスを入れられる国自体、当然とばかりも言えない(行政内部での解決に委ねる例もあり、戦前日本がそうだった)というのに…。
ふと思うんですが、hide-wさん流にいう「体制」って何なんですかね?「今ある制度」が体制なのか、「国家作用(三権)」が体制なのか、「国民の権利を抑圧する恐れがあるもの」が体制なのか。「体制」の代弁をすることと、公権力との対峙否定が結びつく理由がよくわからないので。

行政の犬というならばそれもよいでしょう。
ミイラ取りも何も、取りに行く必要はなくて、弁護士は国民の権利を守るために独立している存在であり、別に国家権力に喧嘩を売るのが存在目的ではないし(刑事弁護のように、制度に組み込まれた職務として義務付けられる領域はあるにしても)、目的のためなら行政の判断を支持してもいい…そんな哲学さえ、違うようですから。
あれ、でもプロなんだから悪あがきはダメ、みたいなことも言っていたような…

いずれにせよこうまで哲学が根本的に違うならば、どうしようもないかもしれません。

hidew 2008.08.30 [43]

「先々の判断」という呪縛

先々の判断を見通す能力に乏しい裁判官に判断させる

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そもそも裁判に先々の判断なんて必要ないんですけど。

同じことを繰り返し(おそらく3, 4回)書いてきましたが、裁判は「過去の罪に対して、犯行当時の刑法で、罰の重さを考えるもの」であって、未来は関係ありません。

外患罪 - Wikipedia

外患誘致罪(がいかんゆうちざい、刑法第81条)は、外国と通謀して武力を行使させることであり、法定刑は死刑のみであり、現行刑法上最も重い罪とされている。未遂罪もこれを罰する(第87条)。死亡者が発生しなくても死刑となる。

例えば、裁判官が「この事案は外患誘致罪に該当する」と事実認定したら、量刑を決めるのは素人でもできます。「先々の判断」はどこに関係ありますか。

hidew 2008.08.30 [44]

弁護士の目線

政治的文脈で「体制」という言い方をすれば、国家権力、三権(立法、行政、司法)、政権与党、のようなものを指します。広い意味では「今ある制度」も「国民の権利を抑圧する恐れがあるもの」も当てはまります。

無期懲役(仮釈放)というのは司法や行政にとっては都合の良い制度です。責任の所在をうやむやにして、国民の目が届きにくい所で適当に処理できますから。しかし、加害者(弁護士)、被害者にとっては好ましくないと思います。

  • 被害者 - 不当に軽くなるかもしれないという恐れ。
  • 加害者 - 不当に重くなるかもしれないという恐れ。
  • 弁護士 - 加害者に同じ。
  • (一般人 - 被害者に同じ)

jpg 13619 byte 工学にフェイルセーフ という設計思想があります。「必ず安全側に故障するように設計する」というもので、法学で言うと「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」のような思想です。

分かりやすく弁護士の目線で説明すると、無期懲役は「必ず安全側に制御する」という思想がありません。世間の空気が変わったから、(相場が20年の時代なら認められたかもしれない)仮釈放が認められない、ということは刑罰を遡及適用しているようなもので問題があります。

犯罪者(弁護士)の立場になって考えてみれば、分かるはずの問題が風の精ルーラさんは見えていない。裁判所や法務省に就職するつもりなら、もう既にできあがっていると思いますが、加害者、被害者の立場に立つ弁護士としてはどうなんでしょうか。

風の精ルーラ 2008.08.30 [45]

例えば、裁判官が「この事案は外患誘致罪に該当する」と事実認定したら、量刑を決めるのは素人でもできます。「先々の判断」はどこに関係ありますか。

応報原理が強く出ざるを得ないので、死刑というのが必要な場合はあるって書いたんですけどね。先々の判断を消していい場合はあるだろうという話です。(残虐刑の問題は残りますが)
ついでに言っておけば、外観誘致罪といえど、「酌量減軽」の可能性は十分にあることをお忘れなく。酌量減軽は「最低刑では重いと判断される場合に付するもの」ですので。
ちなみに、応報を外枠原理にとどめる私と、全体を動かす原理ととらえるhide-wさんの刑罰観は、ものすごい違いがあると考えるほかはなさそうです。

世間の空気が変わったから、(相場が20年の時代なら認められたかもしれない)仮釈放が認められない、ということは刑罰を遡及適用しているようなもので問題があります。

罪刑法定主義というのは、国民に「刑罰の予測可能性」を与えることに趣旨があります。
刑罰の内容が変わっていない以上、そこまで予測してもらわなければなりません。無期懲役における仮釈放は権利でもないし、必ず予定されたことでもないのですから。無期懲役という判決を食らったら、基本的には一生入ることを予定していなさい、ということです。
期間に関する犯人の安全側制御は、判決が下された段階ですでに外されているのです。
ちなみに、判例から法解釈が変わって、旧来無罪だった行為が有罪になる場合でさえ、有罪判決・処罰を下して問題ないとする判例さえあります。(さすがに批判的学説が多い)

犯罪者(弁護士)の立場になって考えてみれば、分かるはずの問題

別に犯罪者の立場ばかりを普段から考える趣味はありません。個別事件で依頼人がいるならいざ知らず、一般的制度論を考える場合に、犯罪者の立場べったり、逆に被害者の立場べったりなんて、できません。(結論においてべったりして問題ないというのはありえますが)「楕円の論理」に近いかも知れませんね。
犯罪抑止に役立つように、かつ現実に導入できる制度の下で刑罰を運用していくか、考えているだけです。ただ、犯罪者の立場に思いを致さなければ結局防げない可能性が小さくないわけですけど。

hidew 2008.08.30 [46]

「寄らば大樹の陰」

罪刑法定主義というのは、国民に「刑罰の予測可能性」を与えることに趣旨があります。
刑罰の内容が変わっていない以上、そこまで予測してもらわなければなりません。

例えば「罪を犯したものは罰せられます※」という法律を作っておいて、内容が変わっていないとか刑罰の予測可能性を与えるとか言われても困ります。無期懲役の服役期間は※と同じで漠然としすぎています。予測は不可能です。

別に犯罪者の立場ばかりを普段から考える趣味はありません。

やっぱりそうなんですよ。

jpg 5482 byte 体制側(裁判所や法務省)の主張を理解することは重要だけど、加害者、被害者の主張を考える趣味はない、とはっきり認めているじゃないですか。その態度を称して「体制の代弁者」とか「行政の犬」と言っているわけです。

  • 「寄らば大樹の陰」
  • 「長いものには巻かれろ」

処世術として恥じるようなことではありませんが、弁護士向きのメンタリティではありません。

犯罪者と被害者を抜きに考えた法制度とは一体何でしょう。裁判官と検察官と弁護士が「裁判ゲーム」をするだけの制度ですか。

犯罪者の立場べったり、逆に被害者の立場べったり ..

べったりでなくてもいいです。少しでも考えれば見えてくるものはあります。本当は、犯罪学、心理学、精神医学なども学んでほしいのですが、司法試験でエネルギーを使い果たしてしまうんでしょうね。

みんみん猫 2008.08.31 [47]

木に依りて魚を求むるが如し

司法試験制度が改革された理由の一つに、旧制度の試験に何回も挑戦し続けていくうちに受験生の頭が固くなってしまい、合格した後で使い物にならない人が多いと公言していた実務家(久保利英明氏)がいて、その意見が政界や法曹界に賛同した人が多かったためです。

何年もかかって合格する並の受験生はその過程で、○○○○となるべく無意識のうちに洗脳されている

という見解は私個人の意見ではなくて、多くの実務家が共有している認識だった。だからこそ試験制度改革が行われたと付け加えさせていただきます。

それでも試験の本質は変わっていないでしょう。受験生の立場は、

公権力と対峙するという発想を捨てて答案を書く必要があるのです。

悩む機会は合格した後で山ほどありますんで、気になさらないで下さい。

風の精ルーラ 2008.08.31 [48]

例えば「罪を犯したものは罰せられます※」という法律を作っておいて、内容が変わっていないとか刑罰の予測可能性を与えるとか言われても困ります。無期懲役の服役期間は※と同じで漠然としすぎています。予測は不可能です。

確かに、処罰の範囲を全く定めないのは罪刑法定主義違反と言われていますし、日本の広い法定刑が罪刑法定主義上問題アリと言われているのは指摘してきました。しかし、無期懲役の仮釈放を「前提に」考えるから、そういうことになるのであって、最初から一生入っていなさいという刑罰である(仮釈放は「余地」にすぎないし、そもそも仮釈放は処罰の終了を意味しない)ととらえればよいのです。
罪刑法定主義は基本的には被告人の人権保障の原理ですから、軽い方向に行政権が修正することは問題扱いされません。(だから恩赦が罪刑法定主義から問題視されることがないのです)

体制側(裁判所や法務省)の主張を理解することは重要だけど、加害者、被害者の主張を考える趣味はない、とはっきり認めているじゃないですか。

主張「ばかり」考える趣味はないって書いたんですけどね。
体制の主張がどうだと言っているのではありません。犯罪は基本的に国民を不幸にするものです。その犯罪を止めるためにはどうする?というのが、私の主眼です。大切なのは一般国民なのです。そして、そのためには、ある意味では一般国民の一人である被害者や、犯罪者個人のことも考えなければどうしようもありません。人の行動を常に監視することはできない以上、犯罪者に犯罪の動機や機会を与えない方法はと考えるしかないからです。
裁判所や法務省とて、その見地から考えているわけです(たぶん)。そこには、人権保障や現実の行刑可能性などといった制約原理が常に働き、頭を痛めます。
歴史的に見れば、応報原理に貫かれた刑事法(旧派)が、「犯罪者は犯罪による利益と刑罰による利益を比較して不利益が多ければ犯罪をしない」などと掲げたお題目が、犯罪抑止にどれほど無力であるかが自覚されてきたから、犯罪学と思考が近い、危険性着目の刑法学(新派)が生まれてきたのです。まあ、それは人権保障になじまないなどの理由から、犯罪論からは後退しましたけどね。

本当は、犯罪学、心理学、精神医学なども学んでほしいのですが、司法試験でエネルギーを使い果たしてしまうんでしょうね。

犯罪学でよければ、大学で聴講しましたよ。いつだかそちらでも、「ゴミ拾いが非行防止に役立った」って私のところから引用して紹介してたでしょう?犯罪学の講義で聞いたって書きました。
第一、そちらの発想からしたら、心理学や精神医学って必要なんですか?確かに、幅広い知識は法曹としてほしいところですが。

hidew 2008.09.01 [49]

官を疑う

裁判所や法務省とて、その見地から考えているわけです(たぶん)。そこには、人権保障や現実の行刑可能性などといった制約原理が常に働き、頭を痛めます。

jpg 12691 byte 犯罪抑止には限界があります。世の中の犯罪が増えたからといって、官の責任ではないことがほとんどなので、際どいこと(たとえば人権が問題になるような法制度)で頭を痛めないでください。

本当に恐いのは一般人の犯罪ではなくて、公権力の犯罪です。(志布志事件 #1636 、高知白バイ事件 #1715

かつて、私の論争相手だった島谷さんは、何かにつけて「規制強化、監視強化、厳罰化」を主張していました。

島谷的舞録゛: 犯罪多発は民主国家の費用か
http://qin.seesaa.net/article/31672610.html

こういう犯罪潔癖性は、北朝鮮のような楽園を作ります。犯罪抑止の名目で治安関係者がやる気を出すとだいたい、ろくなことになりません。

風の精ルーラさんは、島谷さんと同じで「公権力を信用しすぎ」だと思いました。「死刑存廃」も「無期懲役」も、最後はそこに行き着く問題です。

私の意見は「官を疑う」という4文字に要約されます。

風の精ルーラ 2008.09.01 [50]

世の中の犯罪が増えたからといって、官の責任ではないことがほとんど

そう考えてくれる人ばかりならよいですが、多くの国民は、官に犯罪のない社会づくりを求めます。軽い判決を下した裁判官に「犯罪を奨励したも同然」などと悪口雑言を浴びせる人だっているわけで。
そこで、憲法はじめ幾多の制約原理を提示されても、どこ吹く風な人たちだって、別に珍しいことではありません。制約原理を自分勝手に作り替えて対処しようと試みる人たちもいます。
いかに憲法で公権力(≒主権者たる国民)を縛りつけておこうと、せめて「その範囲で」最大限何とかしたいという希望を無視することまで、日本において可能であると言えるのでしょうか。

本当に恐いのは一般人の犯罪ではなくて、公権力の犯罪です。(志布志事件、高知白バイ事件)

公権力をあまり強大にするとろくな事がない、「国民の権利や自由を守るためには」公権力は抑えつけておくべき・・・立憲主義の基礎中の基礎です。これは絶対に動かせない外枠原理です。

  • ・・といって、それを政治の隅から隅まで徹頭徹尾貫徹できるか、と言えばそれはノーです。公権力から守られたけど、よその個人からは守られない、というのでは何にもならない、と考える人たちは少なくありません。公権力の犯罪も怖ければ、一般人の犯罪も怖い。多くの人たちはそう考えます。

いや、前者は意識しにくく、後者の方が出てくる場合が現実にはずっと多いのです。いかに立憲主義のお題目を唱えても、聞いてくれません。あの刑事弁護狂騒曲で、いやというほど思い知りました。
今くらいで済んでいるからこそ、立憲主義のお題目もまあそれなりに力を持ち、いくつかのギリギリの防衛ラインは突破されずに済んでいるのだと思いますよ。そう考えると、治安関係者が、そうそう国民の声を無視できるのか、と。被害者の声を聞かなすぎて、大規模な法改正がなされた(反動で行きすぎという話もあるくらい)というのが現実ですしね。

犯罪抑止の名目で治安関係者がやる気を出すとだいたい、ろくなことになりません。

正直な話、ある意味で島谷説は羨ましい(だからむっと来るともいえる)んですよ。現実に存在する制約原理を無視して(知らないのもあるでしょうけど)、あるいは作り替えて、言いたい放題気ままに言ってるわけですから。
治安関係者がやる気を出すのも、方策によりますよ。夜間の犯罪を防ぐために照明機械を増設する、割れ窓理論に沿って落書きを消す、反飲酒運転のキャンペーンをする、防犯指導をするなんてことならおそらく何の問題もないでしょう。刑罰とか捜査を強める方だと鎬を削ることになりますが。

hidew 2008.09.02 [51]

官僚作文(2)

関係者が本当に「権力を制約することの重要性」を分かっているなら、「権力を振り回して犯罪を撲滅せよ」というヒステリックな声は黙殺すべきでしょう。ところが、実際には、そういう善良だが愚かな一般市民と、権力を振り回したい体制側の利害は一致し、共鳴してしまいます。

その点で弁護士は「反体制側の重し」という重要な役割を担っています。しかし、風の精ルーラさんの長文を要約すると「国民は何も分かっていないから、弁護士だけが孤軍奮闘するのは馬鹿馬鹿しい」となるんじゃないでしょうか。それなら最初から弁護士にはならない方がいいと思います。

.. それを政治の隅から隅まで徹頭徹尾貫徹できるか、と言えばそれはノーです。

また、All or Nothing になってますね。なぜ隅から隅まで徹頭徹尾貫徹でなくてはいけないのでしょうか。「警察は犯罪者を殲滅できるのか。」と同じことを言っています。「100%完全にできるか?」という問いの答えは、常にノー、わざわざ言う意味がありません。

公権力から守られたけど、よその個人からは守られない、というのでは何にもならない、と考える人たちは少なくありません。

エンジンは強ければ強いほど、スピードが出ます。しかし、優良ドライバーは「カーブの曲率」「ブレーキ性能」などを全てを考慮に入れた上、安全な範囲でスピードを出します。

権力も同じです。

  • ブレーキだけだったら進まない。
  • エンジンだけだったら止まらない。

なんていう All or Noting の話はナンセンスです。
三重に否定形を使うのも、かなりの官僚作文です。

公権力の犯罪も怖ければ、一般人の犯罪も怖い。多くの人たちはそう考えます。

「一般人の犯罪」だけを見て素朴な反応をする人が多いから問題なんです。本当に公権力の犯罪も怖いという意識があれば、むやみやたらに「規制強化、厳罰化」を言いません。

夜間の犯罪を防ぐために照明機械を増設する、割れ窓理論に沿って落書きを消す、反飲酒運転のキャンペーンをする、防犯指導をする ..

それらは、公権力を発動しなくても草の根レベルで可能なことです。「車のスピード出し過ぎは危険」という話の時に「徒歩でも行ける場所はある」と言うのは、筋が違います。もちろん、それはそれで重要なことです。

風の精ルーラ 2008.09.02 [52]

誰も付いてこない法の無益

関係者が本当に「権力を制約することの重要性」を分かっているなら、「権力を振り回して犯罪を撲滅せよ」というヒステリックな声は黙殺すべきでしょう。

hide-wさんは、この点に関しての認識が壊滅的に甘いです。日本が民主国家である以上、権力≒一般国民なのです。
そして、法律は共同幻想にすぎません。「大義名分にすぎない」のです。いかにご立派な法律を作ろうと、守る人・尊重するたちがいなければ何にもなりません。
今の日本法は、確かにヒステリーを抑えることができています。私自身、喝で黙らせるという手法を用いることもあります。しかし、それは現在のあり方で犯罪の検挙や裁判などが全体的(表面的?)にはうまくいっており、争いがある程度枝葉の部分で済んでいるからです。
しかし、どんどん増えてくれば、争いはこんなものでは済まなくなってきます。そして、そういったヒステリーに歯止めが利かなくなる(好き放題に法が改正されたり、民衆法廷黙認状態になったり)日が来てしまうかもしれませんよ。そんな修羅の世界においては、法のお題目は無力化します。だから、行政や司法への信頼を揺るがす収賄などは、例えそれを理由に不当な職務をしなくとも処罰されるのです。
といって、そう言った修羅の世界を公権力が無理に抑えつけようとすれば、別のルートとは言え北朝鮮に近い国の完成です。

法律で押さえておけば、無条件でその通りにできる。それは大きな間違いです。法律、特に一番肝心な部分を守らせるには、「ある程度は」彼らの言い分を聞かなければならないのが現実です。
hide-wさんは、囲碁で言うなら薄~い手を打ってあまりにも広い部分を守ろうとしているように見えます。私は、一部は譲ってでも、本質的部分を守りにかかっています。代わりに、本質部分に手がかかればこれでもかとばかりの大逆襲に打って出てますが。

その点で弁護士は「反体制側の重し」という重要な役割を担っています。しかし、風の精ルーラさんの長文を要約すると「国民は何も分かっていないから、弁護士だけが孤軍奮闘するのは馬鹿馬鹿しい」となるんじゃないでしょうか。

何をどう要約したらそうなるのか意味不明です。
第一、弁護士は一般的な立法については一有権者にすぎません。「反体制側の重し」など、手前勝手な思い込みの域を出ないものです。最高裁判事をやったり、付審判や検察審査会起訴相当議決で検察官役をやる弁護士はなんなんでしょうか。そもそも弁護士が国家資格であるし、司法修習で検察もやることがおかしいということになります。
いずれにせよ、弁護士を常に「反体制側」に置かなければならない理由はありません。確かに、在野の法の専門家として、チェックを入れること、場合によっては意見を言っていくことは必要でしょう(現にそうしている)し、刑事弁護など職務上そういう領域はあるにしても、だからといってむやみに噛みつけばいいものではありません。
変に噛みつきまくると、今度は弁護士会は左翼の巣窟だなどという下らない噂が立って、別の意味で信頼を失うのです。

なぜ隅から隅まで徹頭徹尾貫徹でなくてはいけないのでしょうか。

hide-w説は徹頭徹尾貫徹とどう違うのかわからない、もっといえばその発想は徹頭徹尾貫徹説でないとうまくいかないのですよ。
安全な範囲とは何か、危険な範囲とは何か。およそ危険でない権力はあり得ません。そして、いかに法で抑えつけようと、権力が法を守る気がなければ、あるいは下が権力に法を守らせる気がなければ、全くの無意味になってしまうのです。

「一般人の犯罪」だけを見て素朴な反応をする人が多いから問題なんです。本当に公権力の犯罪も怖いという意識があれば、むやみやたらに「規制強化、厳罰化」を言いません。

治安維持法のような法律の厳罰化なら別ですが、厳罰化と公権力の犯罪はそうそう結びつかないと思いますけどね。悪用したときに困るのは、どんな刑罰法規だって同じことですので。歴史的に見れば、権力に対して厳しい目線を向けることが多いアメリカが日本以上の厳罰主義であることはどう考えるんですか。
公権力が自制すればするほど、国民の意識が弱くなるというジレンマを招きます。
なかなか起こらない権力犯罪の恐怖を常に喧伝され、そのために便利な生活も何もかも捨ててしまって、そんなのについていけないという国民は多数出てきます。権力抑制という概念を憲法やその周辺に限定するか、広く広く使うか。前者で十分と見る私と、後者を用いるhide-wさん。さてどちらに国民はついてくるでしょうか?

最後に、一つ笑い話(実際に起こったら笑えないけど)を提示しましょう。ちなみに、先日の国籍法違憲判決は案外これに近いところが問題になったんですよ。

ある生活保護立法があったが、その内容は差別的なものであった。

ある困窮者が、その差別は憲法に定めた平等違反であると言って訴え、裁判所ではその生活保護立法は違憲無効と認めた。
結果、その困窮者は生活保護立法が無効になったために保護を受けられなかったばかりか、その保護立法で保護されていた人たちも生活保護を受ける術を失い、多数の人々が路頭に迷う結果となった。

hidew 2008.09.03 [53]

All or Noting が正しい場合

何をどう要約したらそうなるのか意味不明です。

私が読む限り「一般人は分かっていない」「現実はこうである(だから仕方がない)」という愚痴ばかりを書かれていて、「だから、どうする。」という主張がありません。「行間を読んでくれ」というほのめかしの文章※が続くので、今までの情報を勘案してズバッと要約しました。

※都合が悪くなったら「そんなことは言っていない」と言い逃れするための官僚作文

png 2846 byte 裁判のピクトグラムに天秤の絵が使われますが、天秤の両側が何を暗示するかお分かりでしょう。私は特別なことを言っているわけではありません。

「反体制側の重し」など、手前勝手な思い込みの域を出ないものです。

「体制・反体制」という言葉に変なバイアスがかかっているのかもしれません。誤解を避けるため、「体制」→「官」と言い換えます。官の検察・警察がアクセルだとするなら、民の弁護士はブレーキです。

いずれにせよ、弁護士を常に「反体制側」に置かなければならない理由はありません。

また、常にという余計な一言(All or Noting)を足していますね。光市事件のように弁護の余地がないような事件ならば、弁護士がブレーキを踏む意味はほとんどありません。しかし、原則として弁護士はブレーキ役なのであって、光市事件においても、弁護士が「おまえは死刑だ」と言ってアクセルを踏んではいけないのは、以前、議論にあった通りです。

http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200706200000/

hide-w説は徹頭徹尾貫徹とどう違うのかわからない、もっといえばその発想は徹頭徹尾貫徹説でないとうまくいかないのですよ。

私が一般人の犯罪より、公権力の犯罪をとくに危険視しているのは事実ですが、徹頭徹尾貫徹などと言い表せるほど完璧な安全を目指しているわけではありません。元々、私が言っているのは「死刑はあまりにも危険だから、終身刑にすべき」という話でした。

「公権力による殺人(死刑)だけはとりあえず抑制しよう」という話から、なぜ、「暴力につながる全ての力を隅から隅まで徹頭徹尾抑制することはできない」という話に発展するのか、分かりません。官僚作文を超える意味不明な飛躍があります。

.. 厳罰化と公権力の犯罪はそうそう結びつかないと思いますけどね。.. 権力に対して厳しい目線を向けることが多いアメリカが日本以上の厳罰主義であることはどう考えるんですか。

権力に対して厳しいチェックが入るからこそ、アメリカで厳罰が許容されるのでしょう。ブレーキの性能がいいから、スピードを出しても良いという話です。

私が死刑制度で心配しているのは、人道とか、人間性とか、そんな高級な話ではなくて「冤罪で人が死ぬこと」です。冤罪による死刑だけは、Nothing(0%) でなければならないのに、それを保証できない。仮に過失だったとしても、冤罪は公権力の犯罪ですが、故意に事件をでっち挙げて、誰かを陥れるということさえ容易に起こりえる(志布志、高知白バイ)、公権力の犯罪(冤罪)があった場合に、厳罰化は被害を拡大します。

権力抑制という概念を憲法やその周辺に限定するか、広く広く使うか。前者で十分と見る私と、後者を用いるhide-wさん。さてどちらに国民はついてくるでしょうか?

憲法というのは、最高法規であって、周辺に限定されるという性質のものではありません。憲法の基本に「権力抑制」があるなら、それは全ての法律に有効な理念です。広く使うもなにも、All が対象です。肝心の時に All or Noting ではなくなるんですね。

お馬鹿な中学に「喫煙禁止」という校則があったりします。なぜ、「法律は校内に及ばない」(=上位ルールが下位には適用されない)と考えてしまうのか理解に苦しみます。

麻生氏の言「ドイツはナチスに『一度やらせてみよう』ということで政権を与えてしまった」#1702 は、国民の選択が時々誤ることに対する警鐘です。形骸化しているとはいえ、参議院は「国民の意思が誤った時のブレーキ」です。

大衆ウケするような意見を言うのは簡単です。風の精ルーラさんは「一般市民は基本知識もないのに好き勝手なことを言う」と批判されていたはずですが、そういう人を煽動して得られた多数意見に何か意味があると考えるのですか。専門家の曲学阿世、大衆迎合ほど危険なものはないと思います。

風の精ルーラ 2008.09.04 [54]

「体制・反体制」という言葉に変なバイアスがかかっているのかもしれません。誤解を避けるため、「体制」→「官」と言い換えます。官の検察・警察がアクセルだとするなら、民の弁護士はブレーキです。

アクセルが力を発揮することを前提に、アクセルとお付き合いすることも必要です。急ブレーキを踏む必要がある場合はありますし、そのために機能してもらわなければ困りますが、常にブレーキばかり踏む車は使い物になりません。特に危険物があったというわけでもないのに、ブレーキばかり頑張ってまともな速度を出せない車は、逆に違法改造をするバカ野郎に動機を与えかねません。
なお、刑事事件は、私が以前から言っている「職務上義務付けられている領域」です。

冤罪による死刑だけは、Nothing(0%) でなければならないのに、それを保証できない。仮に過失だったとしても、冤罪は公権力の犯罪ですが、故意に事件をでっち挙げて、誰かを陥れるということさえ容易に起こりえる(志布志、高知白バイ)、公権力の犯罪(冤罪)があった場合に、厳罰化は被害を拡大します。

死刑廃止論とは初耳ですが、それはいいとしましょう。死刑制度に関する批判としては、上記の批判もよくある批判であり、筋はあると思います。
しかし、公権力による犯罪って、ほんとうにそれだけなんでしょうか?公権力に人が管理され、その内容が透明にならない所などいくらもあります。刑務所や病院の中で何が行われていようと、外にはわかりにくいのです。裁判や弁護が必ず行われ、まがりなりにも抑えが効いている死刑ばかりが、公権力の犯罪が危険危険と言われても、困ってしまうのです。
徹頭徹尾貫徹説でないとうまくいかないというのは、そういうことです。

憲法というのは、最高法規であって、周辺に限定されるという性質のものではありません。

憲法が最高法規・安全弁である以上、そう簡単には出てきません。基本的に世の中は憲法の下にある下位の法規で動いていくものです。憲法論を大展開しなければならないような裁判はほぼ詰んでいるに等しいと以前言ったことがあります。
憲法のギリギリの解釈の中で、ここまでは認められるだろう…ということなど、いくらでもあります。雑誌販売の差し止め、通信傍受、営業規制などなどがそうです。
国会・地方自治体を民主的契機の下に置き、議院内閣制を採用し、司法権は独立と国民審査を用意しておけば、基本的にはそれで十分、ととらえるのが国民の福祉に適するし、そこまでやっておけば問題ありとは言えないと言っているわけです。
もちろん、それでもさらに進めて、「個人の権利救済のために」行政訴訟や行政不服申立の手続は用意されていますが。

お馬鹿な中学に「喫煙禁止」という校則があったりします。なぜ、「法律は校内に及ばない」(=上位ルールが下位には適用されない)と考えてしまうのか理解に苦しみます。

学校内は学校内で例え公立学校であっても法律とは違う特殊なあり方があり、それが許容されるべきであって司法も「基本的には」入ってくるべきでないというのは根強い考え方ですよ。校外で、特に契約関係があるわけでもないのに、制服を着用しなさい、髪の毛はこうしなさい、なんて言えるわけがありません。
また、学校内で始末しますから、社会一般の方は見逃してあげて…というのが現実に通用しているのも事実です。
後は、注意規定と言って、当たり前のことを確認する、周知するため、とか。

大衆ウケするような意見を言うのは簡単です。風の精ルーラさんは「一般市民は基本知識もないのに好き勝手なことを言う」と批判されていたはずですが、そういう人を煽動して得られた多数意見に何か意味があると考えるのですか。

意味があるも何も、そんな意見でさえ、世論を形成し、場合によっては政権を取るなどということもあり得ます。私自身、そういった考え方を批判はしますが、じゃあ現実に立法府で争いになった時、私の意見がどれほど強いかと言えば、ただの有権者としての一票になりうるだけです。
ナチスは、それで政権が「肝心な部分を」おかしくしてしまいました。
基本知識もないのに好き勝手なことを言うのは、基本的には瞬間湯沸かし器的感情で何か言っているようなもんで、黙殺というのが一つの手段になりえます。放っておいても、それだけでナチスは出てきませんし、法に対する信頼がいきなり失われたりはまずしません。
しかし、不協和音が法制度全体に広がってくると、ナチス登場、民衆法廷登場といった形が本当に起こりえます。刑事裁判なら、前科者の社会内改善更生といった形でも影響が及びます。
正論ばかりで世の中は動いてくれませんし、世の中を正論の方向に持っていくのも、至難の業です。

彼らに対する批判と、彼らの言うことを聞かなければならないという現実を認めることは、両立するものです。

hidew 2008.09.05 [55]

本題

常にブレーキばかり踏む車は使い物になりません。

その通りです。だから光市事件の弁護団は非難されるわけです。弁護士というのは職務上、ブレーキ役を担いますが、常にブレーキばかり踏んでいたら社会を機能不全に陥れます。

死刑廃止論とは初耳ですが、それはいいとしましょう。

???

親記事の最後の一文に終身刑導入(→死刑廃止)の意義は十分にあると書いています。コメント欄の大部分が脱線なのであって、「死刑および終身刑の是非」こそが本線です。

明言こそしないものの、私の主張が限りなく「死刑廃止論」に近いものであることは、本文を読んでもらえば分かることだと思います。

しかし、公権力による犯罪って、ほんとうにそれだけなんでしょうか?

他にもいろいろありますが、これ以上論点を拡散させるのですか。

  • 「赤信号みんなで渡れば恐くない」
  • 「他にも悪い奴がいるのに、なぜ自分だけ非難されるのか」

という理屈はいわゆる DQN の人たちが好んで使う屁理屈です。官僚も使います。ex. 無駄遣いをしているのは霞ヶ関だけなのか?

他の問題点を指摘しても、自らの問題点が消えるわけではない。

学校内は学校内で例え公立学校であっても法律とは違う特殊なあり方があり、それが許容されるべきであって司法も「基本的には」入ってくるべきでないというのは根強い考え方ですよ。

ホンネ(実態)として、未成年の飲酒・喫煙はたいしたことではないという認識はありますが、それをタテマエとして禁止しているのは、校則ではなく、法律です。校則でわざわざダメ押しするのは、紙とインクの無駄遣いでしかありません。また、「喫煙は14歳から」というような、法律を上書きをする校則は許されません。

「子供のやることだから暖かく見守ればいい」という枝葉の教育論と、ルールの包含関係をごっちゃに論じないでください。余計なことに囚われているものだから、下記のように本質でナンセンスなことを言っています。

校外で、特に契約関係があるわけでもないのに、制服を着用しなさい、髪の毛はこうしなさい、なんて言えるわけがありません。

「校外に校則は及ばない」というのは、「海外に日本国憲法は及ばない」と言っているようなものです。

風の精ルーラ 2008.09.05 [56]

その通りです。だから光市事件の弁護団は非難されるわけです。弁護士というのは職務上、ブレーキ役を担いますが、常にブレーキばかり踏んでいたら社会を機能不全に陥れます。

光市事件の弁護団が行っていたことは、ブレーキを踏まなければならない、大事なところで踏んでいる、ただそれだけの話です。亀の甲に手を入れるような手であろうが、本当に大丈夫なのか検証する。くねくねした道路で徐行運転をさせている、といった方がむしろ例えとして適切かも知れませんが、いずれにせよネット世論は人の生命を左右するところで、碌な論理の裏付けも事実に対する知識もないままに、絶対にはずしてはいけないブレーキを一部は実力行使までして外そうとしたのです。
だからこそ、私も徹底的に批判派閥の筋の通らない部分に蛇のごとくかみついてきたのです。この防衛ラインは、相当に厳重です。他は譲っても、ここは譲れないという領域です。厳罰化しても、公権力の監視がうまくいけば弊害は比較的小さく済みますが、あれは監視を弱めろというに等しい暴論ですからね。

それにしても、あの時大騒ぎをしていた連中は、すっかり静かになりましたね(苦笑)
ネットに流布した嘘を並べた記事で告げ口TBをあっちこっちにやって、嘘と幅広く知れた後も未だに訂正もせず平気の平左という愚かな「囲碁」ブロガーもいましたが。

他の問題点を指摘しても、自らの問題点が消えるわけではない。

全くその通りですね。しかし、私はそもそも問題点だと思っているわけではありません。正確にいえば、社会生活の円滑のためには飲まねばならない問題だと思っています。
また、一番危険が大きいところを検討せず、危険の相対的に少ないところをつっついて、それで制度を動かそうというのは逆転現象です。工夫レベルで、単に危険が減るだけならそんな逆転現象も別段問題ではありませんが、それで現実の弊害が起こりうるとなれば、そう言った逆転現象も無視できなくなってきます。

「校外に校則は及ばない」というのは、「海外に日本国憲法は及ばない」と言っているようなものです。

私が言いたいのは、一般社会で通じないそういった現象が、どうして学校内なら許されるといえるのか、考えてほしいということです。
なぜ法の支配がある日本国内なのに、学校内だけ特殊な規則を作りそれに従えと言えるのか。これは教育論の問題に限定されず、法学の世界でも相当長い間論争されていることなのですよ。教育論の話に過ぎないという認識は貧困なだけです。

hidew 2008.09.05 [57]

ホンネとタテマエ

法律論はタテマエです。教育論はホンネです。

法律は共同幻想にすぎません。「大義名分にすぎない」のです。

とご自分でも書いています。

「憲法(法律)は全ての日本国民が守るべき」というタテマエを論じている時に、「(学校内では)必ずしもそうではない」というホンネを言うのは幻想をぶち壊す行為です。 私のように リバタリアニズム よりの人間が言うならともかく、法律関係の人が言うのは違和感ありますね。

タテマエではなくホンネでルールを議論するなら、学校内より家庭内のことを考えれば、より分かりやすくなるでしょう。小さくて閉じた共同体というのは、内部で勝手なルールを作ってもうまく回ります。というより、むしろ、その方がうまくいきます。各自が無条件に負う責任が大きいので、正しいルールを必死で考えようとし、そのルールを守ろうとします。

余談ですが、私はホンネでは「税金を稼ぎ、年金財政を改善する」という一石二鳥の方策として、未成年者の喫煙こそ奨励したらいいと思っています。若いときにニコチン漬けにしておけば、一箱千円にしたくらいではやめられません。

それにしても、あの時大騒ぎをしていた連中は、すっかり静かになりましたね(苦笑)
ネットに流布した嘘を並べた記事で告げ口TBをあっちこっちにやって、嘘と幅広く知れた後も未だに訂正もせず平気の平左という愚かな「囲碁」ブロガーもいましたが。

光市事件は死刑で結審しました。終わったのだから静かになるのは当たり前です。

「嘘をばらまいた囲碁関係のブログ」というのは私は記憶にありません。私の知る限りでは 島谷さん が、しばしば、刑事事件に言及して「吊せ、殺せ」の大合唱に参加してます。でも嘘を並べた記事で告げ口TBという感じではないです。

具体例を挙げず心象だけで非難するのは、嘘を並べた記事と同じことをやっていると思います。
ref. #1500

亀の甲に手を入れるような手であろうが、本当に大丈夫なのか検証する。

光市事件の弁護方針が「亀の甲に手を入れるような」とお考えになっているのならば話は早い。いくらなんでも「それを検証する必要はない」ということです。

なかなか起こらない権力犯罪の恐怖を常に喧伝され、そのために便利な生活も何もかも捨ててしまって、そんなのについていけないという国民は多数出てきます。

この台詞をそっくりそのままお返しします。

風の精ルーラ 2008.09.06 [58]

光市事件は死刑で結審しました。終わったのだから静かになるのは当たり前です。

第二次上告審が今なお最高裁に係属しているし、しかもまだ被告人は例の理屈で殺意を否認していると伝わっているというのに・・・
燃料が切れて失速しただけでしょう。死刑判決が出る前から、燃料が切れれば失速するネット世論の有様は、如実に見てきましたね。本村氏が訴えた、死刑を使わないでよい社会をという言葉を社明運動月間に考えた人は、ネット上では私一人でした。

「嘘をばらまいた囲碁関係のブログ」というのは私は記憶にありません。

島谷さんじゃありませんから。あの刑事弁護狂騒曲に関しての島谷説は法改正に言及したものが主眼で、それなりにをつければまともでした。無論、批判はいくらでもできますし今同じことを言えば批判したと思いますけど。
ネット上の「死刑廃止論者弁護士21人の素晴らしい主張」とか、いまだに本当だと信じている人いるかもしれませんけどね。彼はそれをばらまいてましたね。

いくらなんでも「それを検証する必要はない」ということです。

それを検証する必要はないと決めつけてきたから冤罪も起こってきたのですよ。冤罪はゼロでなければならない、とお題目をぶち上げた人の言うセリフとは思えませんね。
まして、今回の検証は裁判所も参加していたことも忘れ、検察も反証したことを忘れ…自分で勝手に優位を決めつけて「投了を迫る」行為は、囲碁でやったって怒られる行為ですが、裁判所でまがりなりにも人の生命がかかっているときにできると思う神経は信じられません。はっきりいって品性を疑います。

この台詞をそっくりそのままお返しします。

刑事弁護という世界の各論が対象(少なくとも彼らは各論が対象だと思っている)で世界は必ずしも広くなく、しかもそれは刑罰という処分に対する防衛線の中核をなすもので、さらには裁判所が機能するという前提があって…。
私は大事なところは徹底的に守る代わりに一部は放棄してもやむをえないという考え方をしていますし、そのセリフは一部放棄に主眼があります。今回については、「大事なところ」を徹底的に守った、ただそれだけの話です。
「小を捨てて大につけ」という言葉があるからと言って、大に直接大攻撃がかかっているときにそのことわざ見て大を小と勘違いして捨てたら負けて当たり前です。

hidew 2008.09.06 [59]

大事なところ

私は大事なところは徹底的に守る代わりに一部は放棄してもやむをえないという考え方 .. 今回については、「大事なところ」を徹底的に守った、ただそれだけの話です。

絶対に守るべき「大事なところ」は「公権力の暴走を止めるブレーキ」ですが、一般論としては「暴走を恐れてブレーキを踏み続けるのか」という妙な理屈(All or Nothing)で反対し、そのくせ、光市事件のように「動かすべき時に、ブレーキを踏み続ける」という愚挙に出る。弁護士にとっての大事なところは何かズレているのでしょうね。

冤罪はゼロでなければならない、とお題目をぶち上げた人の言うセリフとは思えませんね。

冤罪はゼロでなければならないというのは「しかし、」と続く一種の反語です。
→冤罪をゼロにすることは不可能。
→死刑よりも終身刑の方が安全だ。

ref. MORI LOG ACADEMY: 反語が通じない

裁判所でまがりなりにも人の生命がかかっているときにできると思う神経は信じられません。はっきりいって品性を疑います。

「品性を疑う」というセリフもお返しします。光市事件弁護団に品性というものがあれば、あれほど集中砲火を浴びることはありませんでした。被告の生命以前に既に二人の生命が失われた事件であるということを忘れてはなりません。生命を愚弄する下劣な品性をさらけ出したのは被告側です。

本村氏が訴えた、死刑を使わないでよい社会をという言葉を社明運動月間に考えた人は、ネット上では私一人でした。

jpg 1970 byte 今頃になって、社明運動なるものの Webページを見て回りましたが、これは「法務省が予算を消化したいだけの利権」になっていませんか。私はお花畑の妄想にしか思えませんでした。

光あるところには必ず影もあります。犯罪や刑罰を考えることは「社会の暗闇を見つめること」です。「明るくすること」とは全く別です。

「社会を明るくする」なんて言うのは「今は暗い」と言っているようなもので、社明運動をするほどに世の中が暗く感じられます。ただし「暗いから悪い」と一概には言えません。

#この話は長くなりそうなので、またの機会に。

風の精ルーラ 2008.09.06 [60]

法務省批判をするなら

今頃になって、社明運動なるものの Webページを見て回りましたが、これは「法務省が予算を消化したいだけの利権」になっていませんか。私はお花畑の妄想にしか思えませんでした。

法務省批判をするならすればいいでしょう。
しかし、それが本村氏の悲痛な訴えに対応せず、自分の発想に都合のいい時だけ本村氏を持ち出す不届きな行為の言い訳にするとは・・・月間とて、「考えるいい機会」ではあるはずなのに。

他については、もう弁護の倫理を基本から教え直すのは疲れはてました。そう思っていてください。事件が終わったように見えたら失速するような人たちでは、制度改悪につながることはない(携わる人の熱意はへし折るでしょうが)でしょうし、本村氏自身は相当勉強しているみたいですから、むちゃくちゃなことにはならないでしょうし。

hidew 2008.09.06 [61]

司法に期待すべきでないもの

しかし、それが本村氏の悲痛な訴えに対応せず、自分の発想に都合のいい時だけ本村氏を持ち出す不届きな行為の言い訳にするとは・・・

私は弁護団のことを引き合いに出したのであって、本村氏のことは一言も触れていません。本村氏の悲痛な訴えとかは関係ないんですよ。悲痛というような情緒的な言葉で煽って、本村氏を利用しているのは誰なんですか。

もう弁護の倫理を基本から教え直すのは疲れはてました。

正しいかどうかも分からない「弁護の倫理」は教えてもらわなくても結構です。

裁判に期待すべきでないものの筆頭は 正義 だ。
jpg  byte

風の精ルーラ 2008.09.06 [62]

私は弁護団のことを引き合いに出したのであって、本村氏のことは一言も触れていません。

裁判がゲームなら悪あがきをしても問題ないんですが、今回の件は本村氏が気の毒でなりません。

下のコメントは、
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200706220000/
にあったhidewさんのコメントですが、ニセモノでしたか?明らかに弁護団否定の根拠に本村氏を、「気の毒」という情緒的な言葉まで用いて担ぎ出しています。古いので削除はちょっと無理ですが、ニセモノである旨宣言しておきましょうか。

正しいかどうかも分からない「弁護の倫理」は教えてもらわなくても結構です。

なんだ、そちらも刑ま系ですか。

hidew 2008.09.07 [63]

範囲を広げすぎ

下のコメントは、
http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200706220000/
にあったhidewさんのコメントですが、ニセモノでしたか?

やっと URL を付記するようになりましたね。

その記事の主題は「山口県光市母子殺人事件」でしょう。本村氏に言及するのは当たり前です。

本村氏のことは一言も触れていませんというのは、「保岡法相、終身刑×、死刑○」の話題(このページ)についてです。

範囲を他所のコメント欄にまで広げて議論したら、また、疲れはてることになりますよ。

なんだ、そちらも刑ま系ですか。

私は「刑う系」ですね。風の精ルーラさんは「刑た系」と言ったところでしょう。

hidew 2009.02.19 [64]

無期懲役についてよくわかるQ&A

無期懲役についてよくわかるQ&A
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