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hidew 2008.08.07

#1703 赤塚不二夫の葬儀 - タモリの弔辞

弔辞というのは、式辞の中でもとくに表現が難しく、定型文を並べて無難にまとめられることが多いのだけど、赤塚不二夫の葬儀でタモリが読んだ弔辞は、とても印象的だった。


マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。

麻雀のゲーム性を根底から覆している。親しい知人に対してまで接待麻雀みたいな打ち方をするのは共感できないが、それが、赤塚不二夫という人なのだろう。

そういえば私が麻雀を覚えたのは「ニャロメのおもしろ麻雀入門」という本だった。同じニャロメシリーズに「ニャロメのおかしなおかしな囲碁格言」という本もある。残念なことにどちらもかなり前に手放してしまった。

4262107094 ニャロメのおもしろ麻雀入門
4818201987 ニャロメのおかしなおかしな囲碁格言

あなたは生活すべてがギャグでした。

この一文にはドキッとさせられる。

バカ、アホが賛辞になる世界でも、極めて特殊な人にしか言えない台詞である。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。.. この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。''

『これでいいのだ』の神髄をこの短い文章の中で説明したタモリも見事だった。

私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。

それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。

一瞬「なんで?」と思うが、理由を聞いて大いに納得した。この部分が赤塚不二夫とタモリの尋常ではない関係を表している。

私もあなたの数多くの作品の一つです。

名言。

親子でもなく、師弟でもなく、それでも自他共に「タモリを創ったのは赤塚不二夫だ」と認められるのだから、本当に不思議な人たちである。

全文

赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文(産経新聞) - Yahoo!ニュース

8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。

10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。

しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。
お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。

合掌。
平成20年8月7日、森田一義

※強調は引用者

関連

YouTube - タモリ 赤塚不二夫さんへ 弔辞
http://jp.youtube.com/watch?v=yU83Nhuub6k

弔辞の比較 - レジデント初期研修用資料
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/92
新聞社によって文章の表現が異なるらしい。テープ起こしの編集は最小限にしてほしいな。

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hidew 2008.08.09 [1]

タモリの手には白紙

タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

タモリは、手にしていた紙を何度も見ながら弔辞を読んでいたが、紙は白紙で、すべてアドリブだった可能性がある。7日夜放送のテレビ朝日「報道ステーション」では、弔辞の様子をVTRで伝え、映像から「手にした紙には何も書かれていないようにも見える」と指摘。インターネット上の掲示板でも話題となり「白紙なんだよね。すごいよタモさん」「あの長い弔辞を白紙で読んでるとかすげぇな」「読み上げるふり。ささげるギャグなのかな」などといった書き込みが相次いだ。

衝撃の事実。

hidew 2008.08.20 [2]

タモリに聞いた「赤塚弔辞」白紙のワケ

タモリに聞いた「赤塚弔辞」白紙のワケ: 横澤彪のチャンネルGメン69 :J-CAST テレビウォッチ

やはり白紙を手にした勧進帳だったのだそうだ。タモリによると、紙に書いていこうと思っていたが、前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなった。「赤塚さんならギャグでいこう」と白紙の紙を読む勧進帳でやることにしたそうだ。