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hidew 2008.07.31

#1700 棋戦オープン化の是非

棋戦オープン化の是非 - みんみんのざる碁日記 - 楽天ブログ(Blog)

  • しかしcadeau氏と真っ向から対決したqin氏やhidew氏は、「棋士はその棋譜や普及活動によってのみ評価されるべきであって、国籍は全く考慮する必要はない」と主張した。
  • qin氏やhidew氏の主張は基本的に正しいと私も思う。しかし日本の囲碁界を完全にオープン化してしまっていいのだろうか・・と私は疑問を感じた。

この件に関して当時(2000年頃)とは状況も意見も変わったので補足したい。

日本で活躍する外国籍棋士は完璧な日本語を身につけ、日本の文化にも溶け込んでいる。台湾人は元々親日的で日本人に近い精神性(穏和、勤勉)を持っているので、そもそも外国人という感じがしない。
中国人、韓国人も碁界に限れば、日本に対して友好的だ。

中国・韓国は九割以上が反日だと言われる特殊な国だが、両国出身の全ての棋士と日本碁界は仲良くやってきた。中国が酷い国だからといって、まともな中国人まで敵視してはいけない。国籍なんて形式よりも「親日で日本語を話す」という実質を見るべきだ。

ここまでは以前と同じ。

私が不勉強だったのは下記の三点である。

  • 中国、韓国は想像以上に酷い反日教育がある。
  • 在日利権という「不当な逆差別」がある。
  • 日本語を自在に操る反日工作員がいる。

中国と韓国はやはり要注意なのだ。そして今後、世界の囲碁を牽引するのは中国と韓国である。

このままウッカリ日本の棋戦を開放すると、中・韓の三流棋士が日本に来て賞金を稼ぎ、反日工作を行うかもしれないという悪夢が予想される。実は既にその予兆のようなことが起きている。

アマ棋戦のオープン化?

天声人碁: 第2期アマ囲碁名人戦/洪さんが新アマ名人

第2期朝日アマチュア囲碁名人戦三番勝負は7月22日、神奈川県湯河原町で2日目があり、挑戦者の洪(ホン)マルグンセムさん(25)=東京都新宿区、囲碁指導員=が、アマ名人の尹春浩(ユン・チュンホ)さん(26)=大阪市西区、囲碁指導員=を通算2勝1敗で破り、新アマ名人となった。

アマチュアとは言え、これはどこの国の大会なのだろう。

韓国の方が囲碁が強くて盛んなのにわざわざ日本に来るのは謎だ。韓国で落ちこぼれたから日本に来たのだろうか。

例えば明らかに高段の実力がある人が、級位者の大会に出場すれば勝つのは当たり前である。ネット碁なら「サンドバッガー」と言われる。

ホンさんは、世界アマ・仙台大会で韓国代表として出場していたので、少し知っているが、日本で生まれ育った人ではない。ユンさんは全く知らない。未知の韓国人は不気味で恐い、警戒すべき対象である。

朝日アマ名人戦のようなことが、プロ棋戦で起きたらやはり面白くない。

プロ棋戦のオープン化

結論を言えば「棋戦オープン化」は「非」である。

「棋戦オープン化」はメジャーリーグベースボールウィンブルドン選手権 のようなものを想定すれば分かりやすいが、世界の一流棋士が日本に集うという前提がある。今更、日本国内棋戦をオープンにしても李昌鎬、李セドル、古力など世界の一流を日本に集めることはできないのだから、オープン化の議論は意義を失っている。

今後は、ますます日本の地位が低下して、オープン化どころか、クローズ化(鎖国、保護主義)の議論をしなければならなくなるだろう。

*

みんみん猫 2008.07.31 [1]

オープン化反対ni

私が古い話を持ち出したきっかけは、朝日アマ名人戦でした。尹春浩に決勝で諸留君が負けたのを見て、おかしいぞと思ったのでした。「アマチュアとは言え、これはどこの国の大会なのだろう」は全く同感です。

洪さんや尹さんのような方にオープン参加のチャンスを与えてしまったら、歯止めがかからなくなる。かと言うて今のアマ名人戦でいいはずがない。と思ったからです。

hidewさんがオープン化反対論者になったのは意外でしたが理由を読んで賛同に変わりました。私の古い持論も見直しが必要です。

風の精ルーラ 2008.07.31 [2]

保護主義は、個人的に好きな思想ではありませんが、仕方ないかもしれません。
ただし、アマ棋戦において、棋力の高低は参加資格ではありません。極論すれば、プロ世界チャンピオンより強い人がいる可能性だって抽象的にはあるのが大前提です。(韓国では、現実の話です)それを、「強すぎるから」と理屈づけるなら、それはアマ棋戦の「最強を決する」という面を剥ぎ取り、アマ大会そのものの性質を大きく変えることに留意すべきだと思います。

例えば明らかに高段の実力がある人が、級位者の大会に出場すれば勝つのは当たり前である。

日本のアマ強豪連にものすごく失礼な例えですね。
去年のアマ本因坊戦で優勝したのは誰でしたか?準優勝者は?それ以前にアマ本因坊戦の優勝者に日本人以外がいましたか?

hidew 2008.08.01 [3]

実は中国と韓国だけ嫌

私が問題視しているのは実は中国と韓国だけです。「台湾人は○だが、中国人は×」という言い方はできないので、結果的に All or Nothing で「外国人は全て×」と言わざるをえません。

「反則のように強いアマ」は日本人にもいます。それは後述のとおり難しい問題です。

hidew 2008.08.01 [4]

プロとアマの区別

有段者と級位者の例えは、分かりやすいように強調しただけですが、両韓国人の実力はプロ高段に迫るものがあります。25, 26歳という打ち盛りに、囲碁強国の韓国からわざわざ来日して、日本のアマ棋戦で大暴れするのは、一体どういう了見でしょう。

アマ棋戦といってもエンターテイメントなので、物語は重要です。訳の分からない韓国人が突然出場して、反則のような強さで、優勝をかっさらっていくのはまずいと思います。

プロとアマの間にいるセミプロをどう見るのか、『ハチワンダイバー』のテーマと共通しますが、日本のアマ強豪にも同様の問題があります。院生経験があってプロを目指したような人はアマと言えるのでしょうか。

「プロとアマの区別」は議論すると長くなりますが、アマ棋戦は「最強を決する」という性質のものではありません。アマの上には2子以上強いプロがいます。プロを一軍の試合だとするなら、アマは二軍の試合です。

風の精ルーラ 2008.08.01 [5]

事実上の区別と制度上の区別

そのあたりがきちんとできていないように思います。
アマ棋戦とプロ棋戦で「制度的に」区別されているのは「プロではないこと」だけです。一軍と二軍の相違がどうして出てくるか、といえば、それはプロの方が経験的にアマより強く、またそのような存在意義を背負わされているというだけにすぎません。
アマ棋戦においては交流なども一つの要素たりえますが、出場選手には上に行きたいという人が多数です。もし交流などにも大きな要素を見出し、強すぎるのが困るのなら、宝酒造杯のように棋力別にランクを設け、今と全く違う大会方式を導入すればよいでしょう。

アマ棋戦といってもエンターテイメント

誰にとってのエンターテイメントかと考えるかで、考え方は分かれるでしょうね。観客にとってということなら強すぎるのを追い払って、優勝者をトトカルチョでもする方が面白いかもしれませんが(それでも「打倒〇〇」という面白みはある)、対局者にとっては必ずしもそうではないと思いますよ。アマ棋戦なら、対局者は対局料がないどころか、自ら出場料を払います。「今年のアマ本因坊戦には招待選手として李昌鎬が出ます」ということがあったとしても、出場者が減るとは私には思えません。鳳凰杯で結城九段とか中国の邱峻八段が出たからと言ってそうなりましたっけ?

院生経験があってプロを目指したような人はアマと言えるのでしょうか。

院生経験とアマには何の境もありません。彼が強いのは単に人より才能があったか人より努力したか、それだけです。院生にならずともプロを目指すことは可能なわけですし、また院生になったから特殊な訓練を受けるわけでもありません。また、院生経験がないアマだって院生と互角以上に渡り合う連中は普通にいます。

hidew 2008.08.02 [6]

プロ・アマのオープン化

「海外棋士へのオープン化」と「プロ・アマのオープン化」が錯綜して話が分かりにくくなりました。元記事はかつての議論を受けて前者の比重が大きくなっています。

「プロ・アマのオープン化」については nipparat さんが書いていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/nipparat/diary/200808010000/

【追記】違和感と複雑な思い - nipparatの日記 囲碁 不思議体験
http://plaza.rakuten.co.jp/nipparat/diary/201007190000/

弱いプロと強いアマのねじれを解消するために、プロ資格を緩く(オープン化)するのは最もスッキリした改善策です。制度上の壁に穴が開けば「反則のように強いアマ」という奇妙な批判をしなくてもすみます。朝日アマ名人戦の上位2名はプロの名人戦予選に参加してほしいものです。(ただし、中・韓の三流棋士が日本に出稼ぎにくるのは心情的に嫌なものがあります。)

「今年のアマ本因坊戦には招待選手として李昌鎬が出ます」

李昌鎬くらいに突き抜けた強さだと、「打ってもらえるだけで光栄」という感覚になるので、歓迎する人が多いでしょう。世界最高の棋士を前にすれば、勝敗なんてどうでもよくなります。朝日アマ名人戦のホンさんやユンさんにそれほどの威光はありません。

「プロ資格がなければアマ」という言明は「ルール違反でなければ何をやってもよい」に似ています。完璧なルールが存在する盤上なら何をやってもいいのですが、「プロとアマの区別」は現行ルールに瑕疵があるので、「プロ資格がなければアマ」という短絡はしないほうがいいと思います。

#余談ですが「切れ負け制」の下で行われる(ダメ詰め、自爆等の)時間攻めは悪です。よく「ルール上は問題ない」と強弁する人がいますが、「ルール問題がある」のです。欠陥ルールの下では人々の良識が問われます。

風の精ルーラ 2008.08.02 [7]

欠陥ルール論

欠陥ルール論は、客観性なく、自分の思ったようになっていないのはルールがおかしいからだという俺さま思考に相当近いことに注意すべきです。
アマ棋戦の趣旨やよって立つ価値観などが明確にならず、さらにそれに対しての批判としないままに一方的に「瑕疵がある」という理屈を唱えるならば、それは「刑ま系 」と思考パターンが同じか、少なくともそう見えてしまうものです。「まずいと思う」といっても「エンターテイメント」といっても、それが本当に趣旨説明として成功しているのかどうか、限りなく怪しいです。
時間攻めのまずさは囲碁の趣旨論に立ち返れますが、超強豪アマのまずさが趣旨論に立ち返れるのか。立ち返れるような趣旨は、私の思うところの少なからぬアマ強豪の意識とはかい離することになると思います。無論、私の思うところの意識が本当は間違っているのかも知れませんが。

秋葉原事件の「道義的責任」「社会的責任」理論に似たものがあります。

李昌鎬くらいに突き抜けた強さだと、「打ってもらえるだけで光栄」という感覚になる

鳳凰杯は、そこまで突き抜けた強さのプロが出ることはまずありません(出ても本戦にワープしている)が、それでも関東の強豪連(特に学生軍団!)はこぞって出ていますよ。プロに教わる、いやむしろ多数派はプロを倒してやろうと虎視眈々な目で。

hidew 2008.08.03 [8]

理屈ではなく心情の問題

客観というのは簡単に言えば「当事者ではない外からの観察」という意味です。ヘッポコ囲碁ファンが「プロとアマの境界線上」に立つことなどありません。つまり、私が「プロとアマの区分には問題がある」と言えば、ある程度の客観性はあるでしょう。

「刑ま系」=「刑事司法は間違っている」系の人が問題なのは、自分が正しいという状態で思考停止しているからですが、「客観性がない」「趣旨が明確でない」という類の「ないないずくし」は典型的な官僚作文で、思考停止の別形態と言えます。

「プロ・アマの強さがねじれるのは好ましくない。ねじれ解消のためにプロ・アマの制度上の壁を低くすべき」という価値観、趣旨のようなものは示しています。nipparat さんはもっと詳しく書かれています。

そもそも、この件に関して、客観的な趣旨説明をしなければならないのでしょうか。
「韓国人のセミプロが日本のアマ棋戦で暴れるのは不愉快」という心情を述べて、それに共感する人がいるかどうかという話です。共感する人が多ければ、アマ棋戦の会場から観戦者が消えることになります。

風の精ルーラ 2008.08.03 [9]

心情の問題?

心情の問題は確かにあります。単純な好き嫌いなら、それだけで第三者がとやかく言う権利はありません。
しかし、理屈でもってその心情について正当化を試みようとするならば、その論拠は何だ、ただの俺さま理論ではないんだなという根拠がビシビシ追及されることになります。俺の贔屓の棋士が優勝しないなんて、世の中間違っとると騒ぐ誰かと同じにならないためには、どの道避けては通れないのです。

hide-wさんはそれを「反日工作の悪夢の予兆」「ルールに瑕疵がある」などと、理屈をつけようとしています(少なくとも、そうみえます)。
単に「もっと日本人頑張ってほしい」とか「このルールは私の好みではない」と言えばよいのです。

ちなみに、プロアマの制度上の壁が低くなることには、少なくともアマがプロの世界に入りやすくなることについては、別段異議を述べたことはありません。幅広い合意なくしてなしえない提案だろうなとは思いますが、可能ならば良いことだと思いますよ。

hidew 2008.08.04 [10]

「どのように好みではないか」を説明する

ぶっちゃけて言えば、「私の好みではない」ということになります。ただ、それだと読書感想文で「面白かった」「つまらなかった」とだけ書くようなもので、ナンセンスな評になります。「どのように好みではないか」を説明することは重要です。

#1500 匿名批判者の習性

「バカ」とか「くだらない」とか言うだけなら子供でもできる。「どのようにバカか」、「どのようにくだらないか」をいちいち説明するのが大人の議論である。

政治の「単純労働の移民」「外国人参政権」「外資規制」なども、最終的には心情の問題です。「外国人を信用するか」という点に関して、理屈をこねても答えは出ません。

プロとアマの区別は、オリンピックなどで議論を重ねてきた歴史があります。

端的に言えば「プロとアマの間に線を引くことは難しい」ということになりますが、碁界では厳然として、制度上の区別が存在します。現行ルールで、制度と実質のズレを補正するために「セミプロがアマ棋戦に出場しない(自粛)」という判断はあってもいいと思います。

風の精ルーラ 2008.08.05 [11]

好みの問題ならば

それにふさわしい表現方法や、内容があります。何の留保も付さないままに、「反日運動」「ルールの瑕疵」というような表現を用いれば、たとえその気がなくとも、相当な批判がかかってくることは、覚悟しておかなければならないでしょう。「どのように」を説明するのは大人の「議論」です。

他人に水をぶっかけるようなことをしておいて、「喧嘩を売ったんじゃない、君に対する正直な気持ちを表しただけだ」なんて言ったって、通用しません。

現行ルールで、制度と実質のズレを補正するために「セミプロがアマ棋戦に出場しない(自粛)」という判断はあってもいいと思います。

個人の判断であれば、誰であれ文句をいう権利はありません。私の県でも、全国大会につながっていない県内限定棋戦には出てこないアマ強豪は多数います。全国につながっていないからつまらないのか、譲っているのかその真意はわかりませんし、どちらでも問題ありません。
もっとも、実質のずれがアマ棋戦において憂慮されるべきことなのかというのは私とそちらで相当な温度差があるようですけども。ついでに、日本のアマでもプロ級はかなりいますから、彼らを一律に引っ込ませたら優勝候補は軒並みいなくなるでしょう。県代表上位レベルならば、プロに一発入れるのは当たり前に近くなってきています。

hidew 2008.08.06 [12]

現行プロ・アマ制度は経歴重視

表現に関しては

  • 丁寧に書いても誤解する人は必ずいる。→ できるだけ短く、簡潔に。
  • 中立、客観、普遍的な言明などは幻想。→ 常に主観的に言い切る。

というポリシー(無理なことは最初からしない)でやっています。
ネットイナゴの一行罵倒みたいなものは嫌ですが、普通の批判なら歓迎です。誤解も喧嘩も最初から想定してます。

防腐剤 現在のプロの根拠は「少年期にプロの試験を通過した」という経歴で、強さではありません。私が釈然としないのは「一旦はプロを目指して、挫折して降りてきた」という経歴の強豪アマです。経歴重視の現行プロ・アマ制度で、アマだけが混沌としています。

例えば、プロ棋士が何らかの理由で、日本棋院/関西棋院を脱退したとして、次の日からアマと言えるでしょうか。この問題を希釈すると「元院生」の話になります。

「制度上許されることなら何でもアリ」というなら、マナーとかモラルという言葉は要らなくなります。

風の精ルーラ 2008.08.07 [13]

プロを「目指す」

プロを「目指す」だけなら自由です。院生にならなくとも、ヒカルの碁の越智君よろしく、プロ棋士に家に出向いて指導してもらったり、洪道場やら緑星学園やらで仕込んでもらうなんてこともあり得ます。県代表クラスといえる人たちも、身近にプロやトップアマで指導してくれる人がいて強豪になった人が多数です。
結局、その趣旨はプロを目指したからではなく、「強いからダメ」ということになります。特殊な教育を受けた人間を出すのは「不公平だ」というのならまあわからんでもないですが、院生しか受けられない特殊な教育はないと思いますよ。

経歴重視の現行プロ・アマ制度で、アマだけが混沌としています。

私はすべての囲碁をたしなむ人間からプロを差し引いたものをアマと定義しています。ことさら定義づけようとするのは無茶ですし、それで別段困りません。プロの定義を論じれば、後は自動的にアマはそれ以外ということで片が付きます。混沌も何も、最初からそういうめちゃくちゃ広い世界がアマです。
ちなみに、行政法学ならば「行政=全ての国家作用-(司法+立法)」という定義で通ります。

例えば、プロ棋士が何らかの理由で、日本棋院/関西棋院を脱退したとして、次の日からアマと言えるでしょうか。

ヒカルの碁で引退した塔矢名人が何をやったか、覚えていませんか?日本の話ではないですけどね。中国では、いったんプロになっても4段くらいまではアマに戻ることができる制度があったと思います。(今どうかはわかりませんが)
むしろ、脱退プロ棋士が使えないのはそのアマ性に疑問があるからであり、棋力の問題ではないと思います。

「制度上許されることなら何でもアリ」というなら、マナーとかモラルという言葉は要らなくなります。

マナーやモラルは制度として客観化されないから困るんだ、というのは、秋葉原通り魔事件の社会的責任論に通じるものがあります。各人で勝手な「マナー」を設定されては、たまったものではありません。
ちなみに、プロを目指して挫折した人間がアマ棋戦に出ることにマナーやらモラルやらで難色を示す人は少なくとも私の知るアマ強豪にはいませんね。

hidew 2008.08.08 [14]

問題の認識

ゆんフリー写真素材集 秋葉原通り魔事件の社会的責任論というのは「社会や家庭に通り魔事件を防止する責任があった」という解釈でいいのでしょうか。秋葉原事件については、 #1666 で書きましたが、社会の責任を問うのは筋違いです。社会的責任論と称するものは結果を見て騒いでいるだけの空論ではありませんか。

日本は「空気を読む」文化ですが、その空気は誰かが勝手に設定しているわけではありません。なんとなく醸成されるものです。多くの人が「異国のセミプロがアマ棋戦に参加すること」に違和感を感じなければ、それは是認されるのだと思います。気をつけなければならないのは、わざわざ難色を示すという人は少なくて、実際には不参加、無関心という形で表れるということです。

「プロの落ちこぼれ」は制度上ガッチリ保護されますが、「アマの浮きこぼれ」はほったらかしです。そこにハチワンダイバー・鬼将会の問いがありました。超強豪アマが「上に登れないことが問題なのか、下に降りてきてしまうことが問題なのか」 裏表の関係ですが、いずれにしても「現行制度に問題がある」という認識を持たなければ、制度の改善もありません。

風の精ルーラ 2008.08.08 [15]

いつだか張栩九段が言っていたけど…

秋葉原通り魔事件の社会的責任論というのは「社会や家庭に通り魔事件を防止する責任があった」という解釈でいいのでしょうか。秋葉原事件については、 #1666 で書きましたが、社会の責任を問うのは筋違いです。社会的責任論と称するものは結果を見て騒いでいるだけの空論ではありませんか。

わたしは家庭に文句を言った人たちが、「法的責任はないけど、道義的・社会的責任があるんじゃないか」というような言説を用いていたのがどうかと思ったのです。こういう道義的社会的責任というのは、とどのつまり法的に責任が問えないけど自分たちの心の奥底に引っ掛かっているなにかを押しつけるために用いられるワードのようなものだと思います。

日本は「空気を読む」文化ですが、その空気は誰かが勝手に設定しているわけではありません。なんとなく醸成されるものです。(中略)気をつけなければならないのは、わざわざ難色を示すという人は少なくて、実際には不参加、無関心という形で表れるということです。

確かにそういった形で表れうること自体は事実ですが、そういった見えないものをいきなり論拠扱いされてはたまりません。証拠なんてどこにもないことはあり得るのだから、証拠なしで納得しろといっても、だれも納得しませんよ。
個人的にもそういうのがあるとは到底思えないというのも確かにありますが。

「プロの落ちこぼれ」は制度上ガッチリ保護されますが、「アマの浮きこぼれ」はほったらかしです。そこにハチワンダイバー・鬼将会の問いがありました。超強豪アマが「上に登れないことが問題なのか、下に降りてきてしまうことが問題なのか」 裏表の関係ですが、いずれにしても「現行制度に問題がある」という認識を持たなければ、制度の改善もありません。

私自身は、先述したとおり、アマを「囲碁をする人すべて-プロ」と定義しています。だから、プロ碁界側から考えることになります。
張栩九段が若手棋士講習会か何かで言っていましたが、囲碁プロという人種は、それを支えるだけの社会機構や世間的支持がなければ到底成り立ちえません。囲碁プロなんていなくたって社会生活は円滑に営めます。そういう意味では彼らは大変恵まれた人たちであり、プロとはなれなくて当たり前、いやプロ碁界という存在自体本来なくて当たり前なのです。
そういった条件に適わなくても、本来の姿に戻るだけの話です。無論、プロ碁界視点からその才を惜しんで浮きこぼれを拾い上げることはあっていいのでしょうが、プロになれなかったからと言って下に降りることは別に何の問題もありません。
また塔矢名人の言葉ですが、現実世界においてプロというのは碁が強ければいいというのではなく、しがらみや義務もあります。棋力向上に役立たなくとも、しなければならない仕事はあります。将棋で小池重明がなぜプロになれなかったのかということも考える必要があります。ハチワンダイバーとて、そもそも真剣自体犯罪となりうる決してほめられない行為なのですから、そんなんで生計を立てていた人間をプロにさせていいのか、ということは問題点になりえます。(私なら、少なくとも一筆は書かせるでしょう)

棋力が絶対条件であること自体は否定しませんが、棋力のみに拘泥しすぎた話に思えます。

hidew 2008.08.09 [16]

日本棋院・関西棋院+アマ組織

今回の不快感は、元の記事に書いたとおり国籍ファクターが大きく、棋力ファクターはそれほど大きくありません。ホンさん、ユンさんが「得体の知れない韓国人」に見えるところが問題で、日本に馴染んでくれば、心情的に良くなると思います。

家庭に文句を言った人たちが、「法的責任はないけど、道義的・社会的責任があるんじゃないか」というような言説を用いていた ..

法的責任はないけど、道義的・社会的責任があるという言説は時々おかしな使われ方をすることがありますね。予見可能性、改善可能性がはっきりしないのに、(家庭の)責任を問うのがそもそもおかしいわけで、法的、道義的の違いではないと思います。

そういった見えないものをいきなり論拠扱いされてはたまりません。.. 証拠なしで納得しろといっても、

私は「難色を示す人がいない」=「みんな賛成だ」という短絡を問題にしたのであって、「異国のセミプロがアマ棋戦に参加すること」について「反対の空気がある」とは言っていません。「もし、反対の空気があるなら、」(→無関心という形で表れる)という仮定の話です。

プロというのは碁が強ければいいというのではなく、しがらみや義務もあります。棋力向上に役立たなくとも、しなければならない仕事はあります。

特殊法人改革などで抵抗する官庁も同じ理屈を使います。しがらみや義務もセットで開放したらどうですか。現状では競争相手を排除するために、「重要な雑務」という理屈をつけているだけに見えます。

例えば、前夜祭とか、ファンサービスの必要があれば、棋戦の参加条項に入れればいいだけの話で、組織が業務命令としてやらせるようなことではありません。個人事業主を相手にするのが効率悪ければ、ある程度、組織化されたアマ組織に限ればいいと思います。

そもそも真剣自体犯罪となりうる決してほめられない行為

話は脱線しますが、真剣(賭け将棋)が犯罪となりうるほめられない行為というのはまさに「空気」ですよ。これこそ根拠を示してほしいものです。「偶然性だけで勝負するパチンコが合法」で「実力100%の賭け将棋が違法(賭博罪)」という現状はおかしいでしょう。ref. #1572

風の精ルーラ 2008.08.09 [17]

口に出さなければ無視される

ホンさん、ユンさんが「得体の知れない韓国人」に見えるところが問題で、日本に馴染んでくれば、心情的に良くなると思います。

日本で何年もアマ棋戦に登場し、日本の次代育成にも貢献しているホンさんを未だに「得体のしれない韓国人」と思っているような人たち相手では、おそらくその誤解が解けるのを待つのは本人が日本国籍をとって日本風の名前に改名でも限り百年河清をまつに等しいのではないかと。

私は「難色を示す人がいない」=「みんな賛成だ」という短絡を問題にしたのであって

内心でどうかはともかく、社会的には賛成と擬制されても文句は言えないとは思いますけど。少数の仲間内でなら通用するそんな以心伝心も、規模が大きくなれば使えません。

しがらみや義務もセットで開放したらどうですか。現状では競争相手を排除するために、「重要な雑務」という理屈をつけているだけに見えます。

そういう意味での開放は別段否定しません。
私が言いたいのは、職業プロとなるからにはそこまでやるべきであって、プロという身分を享有する身でそれはいやだというのは通らないよ、ということです。

真剣(賭け将棋)が犯罪となりうるほめられない行為というのはまさに「空気」ですよ。

私も、賭博罪がなければ賭博それ自体を殊更にとがめだてをすることはしませんし、賭博でとっ捕まることがあまりないのも、パチンコやら競馬やらをやっておいてささやかな賭けは処罰するというのはあんまりだからといわれていますけどね。もっとも、合法賭博で潰れる人たちもいますから賭博に何の制約もないのは、それはそれで困るのですけど。
ただ、刑法上も処罰の対象となりうる行為で生計を立てるのは、それ自体遵法意識を疑われますし、金をどぶに捨てるにも近い行為になります。すくなくとも、小学生未満の子供が金銭などで賭けごとをしていたら、止めるでしょう?
賭博罪廃止の議論をする分にはよいのではないかと。谷岡一郎先生も、週刊碁でそんな感じのことを言っていたような。

hidew 2008.08.09 [18]

敬遠すべき韓国人ではないかも

日本で何年もアマ棋戦に登場し、日本の次代育成にも貢献しているホンさんを未だに「得体のしれない韓国人」と思っているような ..

失礼しました。よく考えたら最近、週刊碁や囲碁雑誌をあまり読んでいないので、知らないのは当たり前でした。ホンさんは世界アマ・仙台大会の時に見かけましたが、「敬遠すべき韓国人ではない」という希望的観測があります。

なお、国籍や名前という「形式」よりも、日本語を話すかどうか、日本に来た動機などが重要かと思います。

合法賭博で潰れる人たちもいますから賭博に何の制約もないのは、それはそれで困るのですけど。

賭博で問題視されるべきなのは「裏社会とのつながり」だけです。「怠惰浪費の弊風を生じ、勤労の美風を害する」とか言い出すと宝くじまで対象になってしまいますから現実的ではありません。

合法賭博で潰れる人というのは「階段で転落死する人」と同じです。国家が保護すべき対象ではありません。子供が金銭で賭けごとをするのも、その子の知能レベルによっては良い「学習」になるでしょう。むしろ、大人になってからサラ金で破滅するより、子供のうちに(親の監督下で)小さく破産させて免疫をつけておくべきです。

賭博罪の二重基準については、また、改めて書きたいと思います。

風の精ルーラ 2008.08.10 [19]

hide-wさんが悪いと言うのではありませんが、hide-wさんは比較的囲碁界に詳しい人のはず。

それが、週刊碁や雑誌・産経新聞でも取り上げられているホンさんさんの活躍が知られないというのは、多くの人たちも、彼を名前でしか見られない可能性が高い、つまりは動機や日本語がどうであっても、結論は同じと思われることの証拠ではないのでしょうか。
実際にも、アマ棋戦優勝経験者で、実際碁盤をはさんで対峙するような人たち以外で広くその囲碁実績以外の活躍が知られているのは緑星学園の主、菊池康郎先生くらいではないかと。

ちなみにホンさんは最初は日本でのプロ入りを考えていたようですが、今は育成に力を入れています。

hidew 2008.08.10 [20]

反日の国から乗り込んでくる人に対して、情報が不足(不勉強が理由であっても)していれば、恐怖を感じます。韓国人は単なるよそ者ではありません。言語や動機によって、心情面は大きく変わります。

ルール整備に関しては「好き・嫌い」が決定的要因とはならないので、結果的に同じ結論にはなるでしょう。

風の精ルーラ 2008.08.11 [21]

それはおためごかしでは?

反日の国から乗り込んでくる人に対して、情報が不足(不勉強が理由であっても)していれば、恐怖を感じます。韓国人は単なるよそ者ではありません。
言語や動機によって、心情面は大きく変わります。

前段は、まあ一つの見解として成立するのかも知れません。(私は与しませんが)
しかし、前段と後段の言い分を両立させるには、「知ろうとする姿勢」が不可欠です。最初から知ろうとする姿勢自体疑問符が付くことを明らかにしたままに、後段を語っても説得力はありません。それくらいなら、最初から受け入れられないという方が立場として一貫しています。
「知りたくもない」という文章を送りつけながら「説明責任がある」という人を祭りあげる人たちが先日、大量に弁護士懲戒請求をやらかしましたが。

第一、囲碁、それも賞金すらろくに出ないアマチュアの囲碁で「好き嫌い」ではなく「恐怖」とはこれいかに?反日工作ならもっといい方法はいくらでもあります。囲碁みたいな斜陽産業のアマ世界で反日なんてやっても仕方ありません。

hidew 2008.08.12 [22]

怪しげなキノコ

山で怪しげなキノコを見つけて食べられるかどうかの判断がつかない時、わざわざ成分を調べてまで食べようとは思いません。たまたま知っている安全なキノコだけを食べれば十分です。

中国人と韓国人の受け入れは、(制度的にはブラックリスト方式にならざるをえませんが)、心情的にはホワイトリスト方式です。安全だと分かっている人だけ受け入れればいいです。

反日工作というのは極端な表現で、緩やかに言えば「騒擾、治安の悪化」です。

韓国人の受け入れに関して積極的でないのだから、「知ろうとする姿勢」もそれなりです。私は、たまたま個人的に知っている人は受け入れられる(後段)けど、韓国人全般は拒絶しておけばいい(前段)と思います。説明も理解も必要ありません。

風の精ルーラ 2008.08.12 [23]

騒擾・治安の悪化

山で怪しげなキノコを見つけて食べられるかどうかの判断がつかない時、わざわざ成分を調べてまで食べようとは思いません。

そちらの言っていることは、アマ碁界でどうこうというより、国が原則として入れるなといっているに等しいように思いますよ。騒擾や治安の悪化というのは、アマ碁界がどうではなく、むしろ入国それ自体に付随する問題でしょう。アマ碁に払える金がある人は犯罪に手を染める必要のない人だともいえますし。実際問題、国によってはそんな例もあったと思います。
私自身、一時は結構多方面で「人でなし」「犯罪者の味方」同然に罵られていた「怪しげな人物」ですけど、アマ碁界には出るべきでないんでしょうかね?

hidew 2008.08.13 [24]

アマ碁界は国の一部

上の方のコメントで「外国人参政権」というキーワードを挙げました。「外国人が政治に参加したとき嫌悪感、警戒感」と、「アマ碁界の決勝戦が外国人同士になっている不快感」はどこか似ています。深刻度は全然違いますが。

治安の悪化に関して、中国と韓国をとくに問題視するのは、反日思想教育によって「日本に対しては何をやってもいい」という歪んだ考えの犯罪者が少なくないからです。

碁界が政治と切り離されたユートピアと考えることもできますが、韓国系のネット対局場を見ていると、韓国人はやはり韓国人です。

「人でなし」「犯罪者の味方」はアマ碁界だけではなく、社会に出るべきではないと思いますが、同然に罵られていたというのと、実際にそういう疑いがあるのとは全然別問題です。

hidew 2009.05.30 [25]

尹春浩アマ名人、関西棋院の「試験碁」

asahi.com(朝日新聞社):尹春浩アマ名人、関西棋院の「試験碁」でプロ入り挑戦へ - 関西文化・エンタメニュース

囲碁の尹春浩(ユン・チュンホ)アマ名人(27)が、プロの棋士をめざして関西棋院(大阪市)の「試験碁」に挑戦することになった。プロを相手に2勝すれば夢がかなう。

尹さんは韓国出身で、04年に日本棋院のプロになるため来日、現在は大阪市在住。海外出身者には在留年数などの制約があり、尹さんにはこれまで日本のプロになる道が開かれていなかった。

尹さんは06年に第1回朝日アマチュア囲碁名人戦(朝日新聞社など主催)で優勝しアマ名人に。翌年にタイトルを奪われたものの、昨年、奪還に成功した。7月下旬に、アマ名人の防衛をかけた三番勝負が予定されている。

アマ棋戦に出場されたら迷惑だけど、だからと言って、今さらプロになるのも何か違う感じがする。2004年の時点で、韓国は間違いなく囲碁最強国だから、わざわざプロになるため来日する人というのは、弱い相手を求めている。

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