#1670 朝日コラム「死に神」と鳩山法相の奇妙な抗議
朝日新聞夕刊『素粒子』2008-06-18
永世名人 羽生新名人。
勝利目前、極限までの緊張と集中力からか、駒を持つ手が震え出す凄み。
またの名、将棋の神様。
永世死刑執行人 鳩山法相。
「自信と責任」に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。
またの名、死に神。
永世官製談合人 品川局長。
官僚の、税金による、天下りのためのを繰り返して出世栄達。
またの名、国民軽侮の疫病神。
二段目の「永世-」「死に神」が世間を騒がせている表現だが、風刺、皮肉の範疇である。法務大臣をはじめとする政治家は、何をしても批判される因果な仕事なのだ。それが嫌だからと言って権力者が言論の自由を萎縮させれば、そこに出現するのは中国のような国家である。
朝日コラムの「死に神」表現よりも、鳩山邦夫法相の抗議内容の方が奇妙だ。
東京新聞:「死に神」表現に猛抗議 死刑執行で鳩山法相:社会(TOKYO Web)
これに対して鳩山法相は「極刑を実施するんだから、心境は穏やかでないが、どんなにつらくても社会正義のためにやむを得ないと思ってきた」と語り、「(死刑囚にも)人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。彼らは死に神に連れて行かれたのか」とマイクが置かれた台をたたいて声を荒らげた。
さらに「私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う。軽率な文章が世の中を悪くしていると思う」と語った。
YouTube 鳩山法相の会見
http://jp.youtube.com/watch?v=Fa8bAc-wzWk
死刑は、他者の人権を踏みにじった凶悪犯の人権を暴力によって剥奪する行為なのだから、(死刑囚にも)人権も人格もある
というのは矛盾している。人権も人格もある人間を国家が殺したらダメだろう。
執行された人への侮辱
という表現が、死刑囚を指すのか、(ボタンを押す)執行人を指すのか、判然としないが、前段とあわせると「(死に神に連れて行かれるとするのは)死刑囚への侮辱」と読めてしまう。意味不明だ。
自信と責任をもって死刑執行命令にサインしたはずの鳩山邦夫法相が、100字足らずの「言葉遊び」に対して、狼狽し、支離滅裂なことを言い返してしまう現状が死刑制度の危うさを示している。
私に対する侮辱は一向に構わない
ならば「死刑執行責任者を死に神と称するなら、それで結構。私には死刑囚を死に導く責任がある」と言っておけば良かったのだ。
鳩山法相には「ベルトコンベアー式で自動的に死刑を執行すべき」(#1589 )と発言した前科があり、「死刑執行の責任を引き受けたくない」という本音がある。そのこと自体は人情として理解できるが、「自信と責任をもってサインした」などと余計なことを言うから、話がややこしくなる。
朝日が『素粒子』で揶揄した対象は、鳩山法相の軽率な言動である。「自信をもって」などと心にもないことを言い、それを茶化した「言葉遊び」に対してキレてしまう。一体どっちが軽率
なのかよく考えてみるべきであろう。
兄弟揃って、珍妙なコメント。