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hidew 2008.06.13

#1666 秋葉原無差別殺傷事件の原因?

秋葉原通り魔事件 (2008.06.08)に関して「家庭での教育が悪い。親の責任だ」という批判がある。

殺人鬼の親
http://shimatani.blog113.fc2.com/blog-entry-423.html

結果の重大性を考えれば、家庭での教育は間違っていたのだろう。しかし、「(結果的に)犯罪者になる人間を産み育てたのが罪だ」という言い方をすれば、全ての犯罪がそれに該当する。予見可能性、改善可能性を提示しない結果論に一体何の意味があるのだろうか。

教育熱心な家庭はいくらでもある。教育で幼少期を抑圧された人も、高校・大学で挫折した人も、労働環境が不安定な人も、容姿にコンプレックスを持つ人も、全てがありふれている。

ゆんフリー写真素材集 犯人唯一の異常は「無差別テロを実行したこと」である。この点に関しては犯人の立場で考えても、飛躍がある上に支離滅裂で不可解である。鬱屈した何かが爆発したというよりも「劇場型愉快犯」の気まぐれなのだろう。仕事の不満や劣等感は後付の理由だ。

「家庭が悪い」だの「社会が悪い」だの、問題を拡散するのもほどほどにすべきである。悪いのは本人だ。教育や派遣労働の問題は今回の事件とは別に論じるべきである。

この種の劇場型犯罪に対する有効な抑止策は(事件をなかったことにする)「沈黙」であるが、自由主義国家においてそれはありえない。せいぜい「ダガーナイフ規制」くらいで対策した振りをするしかない。

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MORI LOG ACADEMY: 誰が悪いのか?

悪いのは加害者だ。そんな人間に誰がしたのかって? ほとんどは自分でなったのだ。本人に最も責任がある。どうして、周辺へさらなる理由を求め、原因を拡散しようとするのだろうか?

Red Fox 秋葉原の無差別殺傷事件、英米ではどう見られているか 英タイムズ紙の読者コメント

人口1億2700万人の国では一つの凶悪事件でもってその社会的・政治的な崩壊を意味しない。精神や道徳の崩壊も意味しない。それは単に精神病が一人の男を打ち負かしただけの話。
P. フラナリー グラスゴー(英国)

Rauru Blog ≫ Blog Archive ≫ ダガーナイフ規制

包丁やトラックを規制すれば日本人の大多数が甚大な迷惑を蒙ることになる。そんなことはいくらお上でもおいそれとできない。.. 小細工をうまく行って世間にあまり迷惑がかからないようにすることこそ、優秀な官吏に求められる能力である。

秋葉原通り魔殺傷事件・謝罪会見をめぐって - 大法原の隠棲処

道義的責任・社会的責任というのは、法律家からすれば全く使えない概念である、..
何をすればその責任が果たされたと言えるのか、責任を果たさなかったとしてどのような懲罰や不利益の類があるのか、その内容が、全くと言っていいほど明らかになってくれないためです。

*

島谷 2008.06.15 [1]

問題を拡散するのもほどほどにすべきである。悪いのは本人だ。

 悪いのは本人に決まっている。
 家庭が悪くても社会が悪くても本人の罪を絶対に許すことはできない。当然の話だ。

 しかし、なにが殺人鬼を作り出したのか。論じることが何故悪いのだろう。

 あのようなねじ曲がった心は生まれたときからのものだろうか。
 生まれたときからのものなら当然両親が原因だ。
 子供の頃のしつけであのような性格ができたとしても両親が原因だ。

 社会に出たときに既にあのような心になっていたのならどんな会社に入っても不満だらけだろう。
 だから転々と会社を変えたのだろう。
 社会の責任だということは大反対だ。

hidew 2008.06.15 [2]

犯人の手助け

犯罪を分析することは重要ですが、論じ方が問題です。島谷さんの記事は結果論で言いたい放題に言ってスッキリしているだけに見えます。本気で考えれば犯人の悪意が両親に向いていることは分かるはずです。わざわざ犯人の手助けをするのでしょうか。

そもそも、今回のように飛躍がある事件の中に原因を見つけ出し、再発防止策を講じようとすることは無理があります。無理を承知で突き進めば、行き着く先は些細な危険因子を予防的に排除する「ナチス・ドイツ」のようなおぞましい社会です。

hidew 2008.06.16 [3]

「普通」の犯人

なぜ最初はネタがベタになるのか - pikarrr のブログ

あの事件の衝撃の大きさはなんといっても犯人があまりに「普通」であるということだろう。このような衝撃的な事件は社会的な不安を引き起こし、人々はその原因を求めようとする。それは非日常的で異常であるほど安心する。「自ら」とは関係がない別の異常な世界の出来事となるからだ。
親の過剰な期待、派遣での厳しい待遇、.. どれも「彼」を異常な世界へと排除する決定力に欠ける。
そうすると隣にいる人が「彼」になりえる可能性がある。そして「彼」のような気持ちは「自ら」の中にもある。

本人以外の大きな原因を求める背景には、普通の「彼」に対する恐怖がある。

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