#1659 救急医療の優先順位と資源配分 - トリアージ
規模の大きな事故や災害において、救急医療のリソース(人手、薬品、機材)は絶対的に不足する。自ずと「限られた資源をどのように配分するか」という問題が発生する。
より多くの人を救命するために、治療の優先順位を決めることをトリアージ(Triage)と言うが、これは「助かる見込みの少ない重傷者は後回し」を意味するので、倫理的に難しい問題をはらんでいる。
- 「可哀想じゃないですか、致命傷の人を見捨てるなんて」
- 「重傷者をもう助けないなんて .. 人権侵害じゃないですか?」
人情として、このような意見が出るのは仕方ないと思う。しかし、これらは極めて局所的なことを情緒的に語っただけの空論である。
(現実的には救命不可能な)重傷者をケアしているうちに、他の人が出血多量で致命傷になるのは、可哀想じゃないのか?
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2008年05月22日 taitoku 手持ちの資源が有限であったことが無い者の言葉は軽い。/彼女たちは一ヶ月の食費の配分で悩んだことが無いのだろう
この例えは分かりやすい。
「救急医療現場での資源配分」はテーマが重すぎて、思考停止に陥る人が少なくないが、一ヶ月の食費の配分
なら、考えられる。
この人たちの目に映るのは「目の前の最善」だけで、「全体や組織から見た最適」というのはコンセプト自体が頭の中にないのだ。
局所的、短期的、短絡的、近視眼的、場当たり的、..
これらは囲碁において「筋悪」と言われる思考パターンである。政治などでもだいたい同じことが言える。筋の悪い人は時間的、距離的に「目の前」しか見えないのだ。一方、筋の良い人の思考は
長期的、大局的、広域的、
である。たかがゲームで優先順位や資源配分を間違えても、笑い話で済むが、政治や救急医療ではたいへんなことになる。
お花畑の人道主義、理想主義は「全員助ける」と言う。「全員助けることは不可能」という現実が分かっていない。絵空事を言って場当たり的に対処していたら、全員が死ぬ恐れさえある。「地獄への道を舗装する善意」(#1652 ) とはこういうものなのだろう。
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あのー、それ、普通にかわいそうなんですがーー「トリアージ」という自己欺瞞 - (元)登校拒否系
しかし「全体」自体が敵対性によって構成されているのです。「全体や組織から見た最適」の名の下に個が切り捨てられるとしたら、それは常に敵対するある特定の位置からなされます。
ただ「切り捨てられる、かわいそうな被災者」が存在するわけではなくて、「自らの命を削ってまで患者の治療を優先する医者」もいる。「医者の命」と「患者の命」が天秤に乗ってしまうような状況において、両者が敵対
しているとは言わないだろう。
敵対性によって構成されない「範囲」で、純粋に医学的な判断(それが困難なことは百も承知)をするのが、トリアージの大前提である。「全体」を国家規模として考えればややこしくなるが、「病院に担ぎ込まれた急患10名」という範囲ならば、敵対性
云々の話にはならない。
参考
トリアージ(Triage)は、人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。語源はフランス語の「triage(選別)」から来ている。適した和訳は知られていないが、「症度判定」というような意味。なお、一般病院の救急外来での優先度決定も、広義のトリアージである。