Amazon オススメ商品

hidew 2008.05.13

#1652 地獄への道は善意で舗装されている

地獄への道は「間違い」で舗装されている

アフォリズムというものは一種の遊戯的極論ですから、「地獄への道は善意で舗装されている」もネタの一種で、むしろ「善意から」マジメに「地獄への道は善意で舗装されている」と強弁するのはおいおいという感じになってしまいます。

正面からいうとすれば、地獄への道を舗装しているのは善意ではなく「間違い」です。

ゆんフリー写真素材集 地獄への道は間違いで舗装されているというのは当たり前すぎると思う。その「間違い」に気付くためのヒントが「地獄への道は善意で舗装されている」というアフォリズムなのである。

例えば「犯罪につながる情報は規制せよ」と言う人の多くは「善良な市民」である。硫化水素自殺の事件が起きれば、それは好ましくない状況だとして、有害情報の規制を強めていく。
悪行には多少、良心のブレーキがかかるが、善行にはブレーキがないため、その善意は果てしなく膨張する。いつのまにか「社会悪を撲滅するためなら、何をやってもよい」となってしまい、社会全体に災厄をもたらす。

「苦い毒」は分かりやすいが「甘い毒」は気付きにくい。同様に「不本意な間違い/不合理」は分かりやすいが、「善意の間違い」は地獄に着いてから気付くことになる。多くの人が思考力を低下させる善行こそが要注意なのだ。

「善意に基づいて行動している → 間違っているはずはない」と思い込んでいる人に、「地獄への道は間違いで舗装されている」と言ってもスルーしてしまう。やはり、「地獄への道は善意で舗装されている」と言う方が届きやすいだろう。

参考

2manji | raurublock さんのインタビュー

『悪人は頭を使うけど、善意の人はあまり物を考えない』
..
善意の人は「私のやることは善いことなんだから良い結果を生んで当然だ」と無邪気に信じ込んで、あまり先のことを考えずにコトを進めてしまう傾向が強い。

同感。

「暴走する正しさ」を止める論理 - レジデント初期研修用資料

妥協の産物と思われたやりかたが、実は最適解だったりすることは、 実世界ではたぶん、けっこう多い。
..
「状況をうまく回している何か」は見えない
..
正しさを進めようとする原理主義者に対して、伝統派はしばしば言葉を返せない。

*