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hidew 2008.01.13

#1631 「中級病」(囲碁観狭窄、囲碁観硬化)

GO! ヘキサ 十番碁・第一局より
http://plaza.rakuten.co.jp/ibunkaiyuu/diary/200801060001/

png 44403 byte 黒11のハイコミは戦闘的な棋風の人なら「ウホーッ」と言いながら喜び勇んで打つところである。双方の根拠の要点であり、地の出入りもかなり大きい。

「序盤11手目で打つようなところか?」と問われたら、やや早すぎる/低すぎる感はなきにしもあらずであるが、黒9 とセットで挟撃した時、白はかなり窮屈な形になる。

この手に関連して、GO! さんが気になることを書いていた。

対局日誌 物怖じしない男

実際これといった具体的根拠があるわけではないのだけれど、初級者時代に学んだ本にはいずれも
「こんなに早く、ここを打つべきではありません」
とあった。
もしこれを認めてしまうと、もう一度囲碁観を作り直さなければいけない。

決して思考に柔軟性を欠くのではなく、使うことで土台が揺らぐのを恐れる。

以前、前田さんが「下手が小目へのカカリより星へのカカリを先に打ったら、打ち直しさせる」と言っていたこと を思い出す。

これらは、本で勉強した大人の中級者が罹りやすい「中級病」(囲碁観狭窄、囲碁観硬化)の症状である。本に書かれている内容を盲信してしまって、自らの肉体感覚が欠如している。理論はどこまでいっても理論にすぎず、実践や結果を伴わなければ本物の理解ではない。

アマの囲碁観なんて「ほとんど間違えている」と言っても過言ではないから、囲碁観は毎局作り直すくらいでちょうどいいのだ。ところが実際に、考え方を変えようと日々精進するのは呉清源、羽生善治など、天才と言われる人たちの方が多い。最も正しく完成度の高い棋理を会得した天才が変化を志向し、正しいかどうかも分からない宗教を盲信しているアマが変化を拒むのは話があべこべではなかろうか。

こういう手は、高手が適切に使ってはじめて意味を為すと思うのだ。

こんなに早く、ここを打つべきではありませんという高手の解説にも同じ事が言える。本局において、黒11の後を打つのはプロではない。アマ同士の対局であることを念頭において、もう一度、黒9ツメ、黒11スベリコミの威力を考えてみるべきだろう。

#地だけを考えるなら、黒9ツメを打たずに単に三々。
#下辺を重視するなら、黒7スベリを打たずに単にヒラキ。

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