#1622 本に書き込むという行為
本に書き込むという読書術
本に書き込みをしながら読むのは、昔から推奨されている読書術である。『三色ボールペン』をはじめとして、どのように印を付けるかについてノウハウを指南した本も数多く出版されている。
書き込み推奨の読書術には「本が汚れるほどに、内容を理解し、記憶に刻むことができる」という視点がある。 基本は本を「モノ」ではなく、「情報」として扱うことである。
私は前にも書いたとおり、 鉛筆(シャープペンシル)を使って、薄く、フリーハンドで線を引くようにしている。時々、左手を使ってわざと下手な線を引くこともある。鉛筆を使うのは
- 黒だから目立ちすぎない
- 濃淡や太さを自在に変えられる(線に表情が出る)
- 後で変更がきく
の3点が理由である。後で変更がきくと言っても、古本屋に売るときに消すということは考えていない。最近はブックオフなどで書き込みのある本が平然と売られており、書き込みのある本を売ることに抵抗がないからだ。
書き込みのある本を古本屋に売ることの是非
書き込みのある古本を買った場合、有意義な書き込みに出会って、得した気分になることがある。 古本の価値は単に骨董的価値があるとか、値段が安いとか、だけではない。書き込みが価値になることもありえる。
本に書き込みする人って馬鹿じゃないの?:アルファルファモザイク
- 古本屋で買ってきた本のカバーの裏に汚い字で日付が入れてあったりすると、やり場のない怒りがこみ上げてくる。
- 汚れた本には全く価値がない。意味がない。
- 書き込みするのはいいけど、書き込むなら売るな
書き込みされた本が嫌なら、中身を精査してから買えばいいではないか。買う側の責任を棚に上げて「書き込みのある本を売るな」とは何という自己中。
きれいな本を保証して欲しければ最初から新刊書店に行けばいいのだ。書き込みの有無もチェックできないようなシロートさんがなぜ古本屋を利用するのか。
- 傍線引くポイントがずれてると気になる。 何でそこが重要なんだと
- 1ページのほぼ全文がマーカーで強調されるときもある。 意味ないのでは
- 必要以上に書込みをする人間は、その本を読むレベルに達していないと判断して差し支えない
- 的確に傍線が引いてある本は便利なこともある。 頭のいい人が読んだんだろうなぁ、って奴ね。 偏差値の高い大学の近くの古本屋で古本は買うべし。
- 書き込みされてるものを買わなきゃいいじゃんよ。それはともかく、図書館の本に書き込みする奴は許せん。
ピントはずれな傍線を見て「何でそこが重要なんだ」とツッコミを入れるのも一興である。
「読書は著者との対話である」という話があるが、「書き込みのある古本を読むことは、別の読者との対話でもある」と思う。
図書館の本の書き込み
「古本の書き込み」については気にならないが、図書館の本の書き込みについてはやはり気になる。
- 図書館で線引きしてある本って、適切な箇所に線引いてあるのを見たこと無い。
- 図書館の本に書き込みがあったときは、呆れて言葉も出なかった。
- よくあんるだよな、 図書館の本なのに見当違いのことを得意げに書き込んであるやつがw
- 図書館の本でも書き込みしてあること結構多いよね。数週間しか手元にないものにそんなことするって本当にバカだと思う。
- 前数学の本借りたら、穴埋め筆算みたいや奴に答え書いてあった。だからなるべく問題と答え見ないように消した。 鉛筆だったら黙って消そうぜ!
- 図書館にある書き込み本は元々図書館の本じゃないんじゃないの?? ジジイが死んで遺族が寄贈したとか。
私も図書館の本の落書きで、適切と思われるものはほとんど見たことがない。
小学生でも読める漢字にフリガナをふっていたり、直前に書いてあることを繰り返して書いていたり、問題図に答えを書いていたり、…
明かな誤字脱字を校正するのも、図書館の司書(出版社の正誤表)による公式のものか、借りた人が勝手にやったのかで意味が違ってくる。借りた人が勝手にボールペンで書き込むのは、それが正しい修正であっても間違った行為である。どうしても「ありがた迷惑な善意」を施したければ、鉛筆で恐る恐る書き込むべきだろう。
「図書館の本で見つけたお馬鹿な書き込み集」というのを晒してみようかと思ったが、いざそういう企画を考えると途端に見つからなくなる。(マーフィーの法則)
あと、暗号のような落書きを見ることもある。秘密結社が連絡帳として使っているんじゃないかと思うくらいの不気味さだった。今度見つけたらデジカメで撮っておこうと思う。
関連
書話§書き込みした本を古書店に売るな! ひだまりのお話/ウェブリブログ
本に書き込みをする人間を否定する気は毛頭ないが、書き込みをした本は手許に置いておいてほしい。間違っても古書店などに売らないでいただきたい。
古書店にしても、束で大量に購入した文庫をいちいち点検するとは思えない。買う側だって、すべてのページを確認して買うわけではない。
というわけで100円で買った文庫だが、明日返品しに行く。 金は返してもらわなくてもかまわない。
すごい逆ギレ。
本の返品で金を返してもらえないのは当たり前だから、わざわざ書かなくてもよい。
@nifty:デイリーポータルZ:古本に自由に書き込みができる本屋
普段はネットで古本を売っているんですが、古本って書き込みとかがあると価値は下がってしまうわけです。でも以前の読者が読みながら考えた事とかを書いてあったりしてそういうのを読んだりするのって実は面白いなと。
商品価値は下がっちゃうけど、そういうのの中に面白いのがあったりして。中には書き込みがあることによって価値があがってるんじゃないかと感じるものもあります。そういう考え方もあるんだよっていうことを伝えるために企画しました。
レジデント初期研修用資料: 学習の道具としてblog はあんまり役に立たない
古本屋さんで「汚い」本を買うのが好き。ページが折ってあったり、線が引いてある本というのは、 自分の興味とは明らかに違う部分に別の人の興味を見つけられたりして、その人の内的思考を 覗きこんでいる気分になれる。
古書には、往々にして、書き込みがある。 このために、相場より安くなることが多い。
買う側としては、本そのものよりも、書き込みに価値をみとめて、購入することだってあるのだ。
書き込みがあることで非常に得をした気持ちになってしまったことがありました。それは何かというと、試験の参考書への書き込みです。
私が持っている坂田先生の『炎の譜』には、前の持ち主の書き込みがあります。全ての譜にボールペンの小さい字で日付が書き込まれているんです。きっと並べた日を記録したのでしょう。おそらく遺族(?)によって売られたのだと思いますが、こういう書き込みがあると、その打碁集を私が引き継いだという感情も涌いてきます。