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hidew 2007.08.30

#1573 野球の誤審について

甲子園判定に抗議した監督の行動をどう考えるか - 碁法の谷の庵にて

(誤審が)起こりうるということと、それを容認するということは全く異なるのである。そういうことを言い続ける人間は、おそらくしのぎを削る勝負をやったことがないのだろう。

野球に対して囲碁と同様の「激烈な勝負観」を持ち込んではいけない。野球の勝敗はチームの実力だけでは決まらないからだ。興行的に見ても野球は勝敗以外の要素がかなり大きい。

誤審を起こりうるものとして「容認」してしまうことは、そうした選手たちの努力どころか、その実力原理を全て否定するに等しいことである

UFO物流 誤審が頻発するのが野球というものである。起こってしまった誤審を許容しなければ、野球は成り立たない。誤審によって実力原理が全て否定されると感じるのはそもそもの野球観がおかしいからである。

野球は「勝負六割、演劇四割」という程度のものだ。ミュージカルだと思って観れば、誤審もひとつの演出である。

広陵高校の監督が審判を批判した行為については、とくに問題ない。プロ野球でもよくあるポーズのひとつであろう。

極めて厳しい言い方であるが、この発言は言ってみれば、「言ってすっとするだけ」の域を出ないものである。

形だけの抗議であっても、ファンの溜飲を下げたり、選手の士気を高めたり、ドラマを演出したり、様々な働きがある。プロ野球の監督だって、実質的に意味がある(判定が覆る)と思って抗議するわけではない。

「勝負はほどほどに」という緩い世界の中で、ドラマを作っていくのが野球である。

公正かつ厳正な審判の下で、しのぎを削る勝負をやりたいのならば、プロレスと野球と裁判は選んではいけない。

関連

YouTube - 2007高校野球 広陵 - 佐賀北 8回裏 四球押し出し
http://jp.youtube.com/watch?v=NHIaXEU9J00
&YouTube(NHIaXEU9J00)
↑問題のシーン。かなり微妙な判定で、誤審とは言い切れないと思う。

http://plaza.rakuten.co.jp/nipparat/diary/200504260002/

むしろ勝ち負けがはっきりしているからこそ、ストレスは溜まりにくいのである。負ければストレスは生じるが、自分の能力の問題だからスッキリしたストレスである。これに対して実社会では、邪道が通って王道が引っ込むような、理不尽な事態が生じることは頻繁にある。有無を言わさず結果が出る勝負事と違って、仕事などの実力や成果の評価も単純なものではない。悩み深いストレスが生じやすいのである。勝負事でも、実力以上に口が達者な人はいるが、メッキは簡単にはがれるので心配はない。

野球は「理不尽な社会」の縮図である。

http://www.pietsch-companion.com/igo_talk/archives/2005 ..

それから「事件」が少ないのもラグビーと囲碁の共通点。つまり、「強い方が必ず勝つ」のが双方に共通する点なんです。
.. 略 ..
少なくともラグビーと囲碁には「十割」というものを認める感覚がある。

囲碁の「十割」という性質は、長所でもあり、短所でもある。
野球の「六割」という性質も、一長一短である。
要は性質が違うと言うこと。

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