#1564 「宗教」という言葉のイメージ
最近わしのブログの読者に、「だんだん内容が宗教的になってきた。いつの間にか、ヘンな所へ飛んで行ってしまいましたね。」なんていう感想をいただいた。
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宗教的なんて言われたらおしまいだねえ(笑)。
出雲屋流が変質しているとは全く思わないが、このコメントは別の点で気になる。
「宗教的」というのはそんなにネガティブなイメージなんだろうか。
宗教と科学の違いは 検証可能性 と 再現性 である。
例えば呉清源の『21世紀の打ち方』は、厳密な検証が困難であるという点では「宗教的」と言わざるをえない。しかし、多くの人が頼りにする重要な指針だ。藤沢秀行教や小林光一教も同様である。定石も実は宗教の一種である。
「証明はできないが、なんとなく信仰の対象になる」という広義の宗教は世の中に満ちあふれている。宗教と聞いただけ嫌悪感を示すのは過剰反応(アレルギー)だと思う。
宗教アレルギーの一因となっている邪教については、別に考えるべきである。