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hidew 2007.08.06

#1564 「宗教」という言葉のイメージ

出雲屋流:宗教 - livedoor Blog

最近わしのブログの読者に、「だんだん内容が宗教的になってきた。いつの間にか、ヘンな所へ飛んで行ってしまいましたね。」なんていう感想をいただいた。
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宗教的なんて言われたらおしまいだねえ(笑)。

防腐剤 出雲屋流が変質しているとは全く思わないが、このコメントは別の点で気になる。

「宗教的」というのはそんなにネガティブなイメージなんだろうか。

宗教と科学の違いは 検証可能性再現性 である。

例えば呉清源の『21世紀の打ち方』は、厳密な検証が困難であるという点では「宗教的」と言わざるをえない。しかし、多くの人が頼りにする重要な指針だ。藤沢秀行教や小林光一教も同様である。定石も実は宗教の一種である。

「証明はできないが、なんとなく信仰の対象になる」という広義の宗教は世の中に満ちあふれている。宗教と聞いただけ嫌悪感を示すのは過剰反応(アレルギー)だと思う。

宗教アレルギーの一因となっている邪教については、別に考えるべきである。

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hidew 2008.06.02 [1]

コラム:日本人の宗教嫌い

日本人の宗教嫌いの理由ははっきりしている。ここで言う「宗教」は「カルト宗教」とイコールだからだ。

「無宗教」「宗教嫌い」と称する日本人のほとんどは、宗教の教えは自分にはとうてい受け入れられないバカげた ものだと思っている。

彼らは自分を無宗教だと思っているが、それは「宗教に入る」というアクションをしていないからそう思っているだけで、実際にはじわじわと仏教に染まっていたのだ。特に「唯一絶対のものはない」が仏教の根本理念である。あとのことはそこから導き出されるものだ。だから、これを信じていれば仏教徒だと言っていいだろう。

現代まで生き残ったまっとうな宗教はそれなりにいい事を言っている。