#1432 臓器移植の違和感
重度の先天性障害をもって生まれてきた子どもが海外で移植手術をするために募金を集めるという話を最近よく聞く。善意の募金によって、めでたく手術が成功した暁には美談として語られるのだが、臓器移植という「神の領域」に足を踏み入れるにしてはあまりに無邪気すぎないだろうか。
例えば「重度の心臓病をもって生まれてきた子どもの心臓以外の臓器を他の人に移植すること」を考えてみる。「どうせ死にゆく命なのだから、他人の役に立った方がいい」と考えるのが何を意味するのか理解できるはずだ。
「これから生きようとする命を救うべきだ」という一見、美しい人道主義のもと、死にゆく命の尊厳が踏みにじられる。この醜悪なエゴイズムこそ臓器移植の正体である。
「寿命が短い人は不幸だから、延長すべきだ」というおめでたい発想も問題である。「生誕の災厄」とか「人生は罰ゲーム」という視点のある人から見れば「寿命が短いことの幸せ」というのも十分に考えられる。生命は「生を全うする」ことが重要であるのに、人間だけが、幸・不幸、寿命の長さを気にして、おかしくなっている。
関連
「声の大きな」身内に恵まれた子供は、他の子を差し置いて助かる権利があるのだろうか、..
なぜ、日本よりも乳幼児死亡率の高い国、特に合州国まで子供を助けに送らなければならないのか .. 現地の貧者の子供の命の値段は、日本の子の命より安いのだろうか。..
外国で乳幼児に移植医療を受けさせるというのは、寄付を使うか否かを抜きにしても、これだけの矛盾を強引にねじ伏せるということを意味する。
「身銭切れ」心臓移植希望の女児支援HP、中傷相次ぐ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
さくらちゃんを救う会
人間から人間への臓器移植ではなくて、ブタなどの家畜の体内に遺伝子操作技術等により、人間の臓器のコピーを作らせて移植するとかいう技術が出てきているようです。ヒトとは何か、を定義し歯止めをかけないといけないと思います。