#1415 日の丸、君が代、愛国心
国旗・国歌で起立・斉唱強制、都教委通達は違憲 : YOMIURI
この種の問題はだいたい真ん中に答えがあるとしたもので、双方が歩み寄れば解決する問題なのだが、右派も左派も真ん中でバランスをとるという発想はないのだろうか。もっとも双方がいがみ合っている限りは、両論併記という形でバランスが保たれるが。
以下、雑感。
- 日の丸
- 血痕を連想させる色が難点だが、世界一シンプルで、比類のないデザイン。間違いなく日本のアイデンティティである。
- 君が代
- 歌詞は抽象的。「君」を「君主」の意味に解釈すれば「皇国史観」(≠軍国主義)になり、Wikipediaの資料にあるとおり「単純な二人称」として解釈すれば、詠っている内容は究極の反戦となる。メロディーは他国歌に比べて、勇猛さ、ポップさに欠けるが、悠久、侘び寂びという日本的な良さがある。
- 日教組
- 日の丸・君が代がダメなら代案(新国旗・新国歌)を出すべき。それとも国旗・国歌は必要ないと考えているのか。気に入らない相手に頭を下げるという演技は、一般市民の日常に満ちあふれている。現実的対応として、とりあえず起立して口パクすればいい。
- 都教委
- 本音のところで邪な考えがあるから「愛国は義務」という奇妙なレトリックになってしまう。愛し方にもいろいろある。日の丸・君が代を強制すれば、むしろ嫌悪感を増幅させる。
ノーブレス・オブリージュという道徳観を天皇だけでなく、政治家や役人が持っていれば、特別な愛国教育、愛国法などなくても、愛国心は自然に湧き上がる(心理学で言う好意の返報性が働く)。財政を徹底的に破壊しておきながら、自分だけは特権を享受する亡国の徒が、一体どの口で「愛国教育」などと言えるのか。国旗を掲揚し、国歌を斉唱すれば愛国心が涵養されるというなら、永田町や霞ヶ関においてこそ、それを徹底しなければならないだろう。
http://elmundo.cocolog-nifty.com/elmundo/2006/09 ..
(via http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50637350.html)
沈みゆく泥船の船長のすべきことは愛国心の強制ではない。まずはその泥船を何とかすることだ。
関連・参考資料
君が代
現代語訳
君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように。解釈の上で問題となるのは「わが君は」「君が代」の「君」である。古語の「君」には
- 単純な二人称
- 君主、王
の二義があり、その先後については古くより議論があってどちらとも容易に定めがたい。王朝和歌の世界においても両様が用いられた。
国旗素材
政治・明仁天皇、国旗・国家は「強制にならないことが望ましい」
東京都教育委員の米長邦雄さんってどんな人?
【日の丸・君が代】天皇発言「強制でないことが望ましい」
天皇の歌でもあり、平和の歌でもある
「君が代」の「君」が天皇を指すという解釈は自然で、単純な二人称に解釈する方がこじつけと思われるのだが、そのへんの解釈は多義的であっていい。奇妙なのは「君=天皇」という解釈を頑なに拒むことである。
「君が代」の「君」が天皇を指すことは問題ではない。それを問題とするのは「天皇制そのものが好ましくない」とする共産系の思想が背景にあるからだ。それならば「歌詞の解釈を歪める」という姑息なやり方をするのではなく、「天皇制反対」「君が代反対」と言う方が本質的ですっきりするだろう。
なぜ、天皇制と平和主義が背反なのか?
すでに相手の土俵の上で転がされているような発想だ。
「君が代」は天皇の歌でもあり、平和の歌でもある。