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みんみん 2006.06.09

#1301 弱い人ほど結論を出したがる

文末表現により、誤解が先鋭化して社会的な問題なる。この最も端的な例として一神教の問題を取り上げ、とかく文末表現を簡素・簡明にしようという意見に暗にクギを指すような事を書きました。なんで一神教の話を書いたか、と言いますと先週「ダビンチ・コード」なる映画を見たからなんです。原作は読んでません。どうせ出鱈目だとわかってますから。映画を見た二日後「ローマ人の物語14・キリストの勝利」(塩野七生・新潮社)を読みました。ローマ帝国がキリスト教を国教としてしまった経過が書いてあります。「ダビンチ・コード」の全部が嘘だとは言いません。聖堂騎士団やフリーメイソンやイルミナティといった秘密結社の存在や、アリウス派をはじめとする三位一体説を否定する教派が、今のカソリックであるアスタナシウス派より盛んだった事とか、キリストを神と同一視するための無理のある教義(中世のスコラ哲学など、これを否定したのがルネサンス)・・は私はもとより西欧世界でも、まともに歴史・宗教を勉強した人ならみんな知っています。
しかし「ダビンチ・コード」を信じてはいけない、といって政府や教会が大騒ぎになる、ということは、まともに聖書を信じているキリスト教原理主義者が多いと言う事です。
これだから「正義の戦争」がなくならないんだわ、と私思ったんです。
地獄→理想or天国→地獄、はイデオロギーの恐ろしさを教えています。

むろん、文末表現は簡潔にすべき。だけど断定できない事柄には「如是我聞」
つまり「私は・・・と思います」と言わないといけない。言わなくていい場合ってのは論証しようとする命題に対して、何を前提(仮定)として話しているかを明らかにしている場合でしょう。物理学に不確定性原理が、数学に不完全性定理があり、ユークリッド幾何学と矛盾しないロハチェフスキー幾何学(非ユークリッド幾何学)が存在しうるんですから。断定は難しいんですねぇ。
しかしローマ帝国でも末期になると民衆が「簡明な答え」を欲するようになる。
それは東大生がオウム真理教にハマるかの如く。
行松君に言われた言葉「弱い人ほど結論を出したがる」

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hidew 2006.06.10 [1]

「弱い人ほど結論を出したがる」 これは名言ですね。

hidew 2006.06.10 [2]

何がどのように表現されようと、それを解釈する責任は受け手にあります。例えば「明日、世界は滅亡する」という言明に対して「客観的真実ではない。断定するな」と抗議する人はいません。