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hidew 2006.04.18

#1224 社会の痛覚としてのデモ

社会の痛覚としてのデモ

デモやストなんてない方がいい

関口宏のサンデーモーニングを見ていたら、
「昔は、「メーデー」とかにもっと盛り上がったし、安保闘争なんてのもあったのに、今はちっともそういうのがなくなった。今の日本はだめだ」
みたいなことをやってました。
..
ストやデモは最終手段。しなくて済む世の中ならその方がいいじゃない。

サンデーモーニングは、年中デモがおきるようなおかしな社会を礼賛しているのではなく、おかしな点を感じたら誰でもすぐに危険信号を発せられる社会が望ましいということを言っているのだと思う。

'デモ=社会的痛覚'

人間の体は何かにつけてすぐ痛くなるが、それは人体にとって極めて重要なことである。鎮痛剤で単純に「痛み」を消すだけの対症療法は、重要な信号を見えなくするもので危険が伴う。

日本社会は手術(改革)嫌いで、鎮痛剤を多用するために、実は深刻な慢性病(官僚腐敗、財政難)に罹っている。痛みを感じない(デモが起きない)ことを健康の証として捉えることはできない。

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