#1099 清濁併呑
なぜ、泥つき野菜(引用注:汚くて生々しいビジネス案件)ばかりが、経営的意思決定の際に参考にされるのか?
MBAの教科書にのっているようなビジネスモデルや経営手法のうち、参考になるものは本質的な部分でしかない。実際には、本質的な部分で同じビジネスモデルが、具体的なディテールの部分で勝敗を分けてしまうのだ。MBA的な意味での本質は、はずしちゃいけないけど、だからといって、それで条件が満たされるというものでもないのだ。 ソフトウェアシステムと同じで、ビジネスモデルもカオス的性質があり、ディテールの部分に神が宿る。
もう一つの理由はMBAの教科書にでてくるケーススタディーが、きれいごとだからだ。世の中のほとんどの人は「価値あるサービスを消費者に提供できた企業が成功する」と思っているだろう。また、ベンチャーが成功するのは「革新的なサービスを消費者に提供できたからだ」と思っているだろう。これは、完全に間違っているわけではないが正しくもない。少なくとも、そういうナイーブ(世間知らず)な考えで起業すれば、ほぼ間違いなくスッカラカンになる。
定石で参考になるのは本質的な部分でしかない。定石的な意味での本質は、はずしちゃいけないけど、だからと言ってそれで条件が満たされるというものでもないのだ。多くの碁打ちは「形がきれいで、筋の良い手を打てば勝てる」と思っているだろう。これは完全に間違っているわけではないが、正しくもない。そういうナイーブな考えで碁を打てば、ほぼ間違いなく負けてしまう。
基本的には、善良でないと、ビジネスはうまくいかない。しかし、善良にやると、やはり上手くいかないのだ。ビジネスをやっていると、いつもその矛盾に悩み続ける。
基本的には、筋・形が良くないと、碁はうまくいかない。しかし、筋・形よく打つと、やはり上手くいかないのだ。碁を打っていると、いつもその矛盾に悩み続ける。