「がぽ~ん」の前に「ぁっ」が入るところがポイント。 「ぁっ」には「不意に遭遇した」というニュアンスがあるが、いかにも形式的に(短く、高音で)入れる。 昔は経済学部の西田の専売特許だったが、後輩柳田に受け継がれ、1999夏、モノマネをきっかけに大ブレイクした。
仙台の「ハチ公前」。広瀬通りと一番町通りの交差点にある。
仙台の歓楽街「国分町」に近いため、主に飲み会の待ち合わせに多く利用される。ただ、人が多いため、囲碁部内の集まりの時はすぐ近くの「ホテルリッチ前」ということが多いようである。
また、どこかに旅行にいくようなときは「ステンドグラス前(仙台駅構内)」が待ち合わせ場所に指定される。(こちらも人が多い)
賭け碁のこと。とくに実力差がある(と少なくともどちらか一方が思い込んでいる)賭け碁の場合に用いられる。しかし、指導碁のつもりで打っていたら、逆ヨセされることもある。
「指導料」は負けたほうが払うお金のこと。
対戦相手がコロリとイってしまうような、えげつない囲碁戦略(戦術)のこと。ハメ手よりも意味が広い。
関連
誰かが「ハクション!」とくしゃみをした時に小声で「まおぉ~」と続ける。しかし、最近ではただの感嘆の 意を表すようになり、あちらこちらで「まおぉ~」の大合唱が聞こえる。 あまりにも耳障りなので「まおぉ撲滅委員会」(委員長:青田様)が動き出し、一時は沈静化したかに見えたが、すぐに復活。
零眼のこと。
微妙な利かしを打つときに、気合いを入れてこう叫ぶ。
種石をとられた状態のこと。
真っ向勝負を挑むこと。
麻雀をぷれいするところ。東京とは違って広くてきれい。 漢字で書くと「藤(ふじ)」なのだが、なぜか「ふじ(富士)」と発音する。
感心したときに使う。韓信の股くぐりから来た言葉。
読み切って打つときにこう叫ぶ。
白田語録のひとつ。自分の碁を検討するときに、並べながら自画自賛する。
手筋を放ったときこう叫ぶ。藤子不二雄のパロディである。
初めて聞くとハングリーな手と聞こえる。しかし、実は「挑発的な手」のことである。
ミッキー・ローンとジョン・ローン主演の映画、ではない。森田氏(岡山大)が創作。一瞬意味が分からないが、→竜の年→竜年→留年と考えるとようやく意味が分かる。要するに留年のことである。
単に大きく後悔する事。それだけ。
タイの大蔵大臣がタリンというらしい。それにちなんで形勢が悪いときに使う。
三味線を使う人間をこう呼ぶ。中田はシャミール星人と呼ばれる。
サイモン&ガーファンクルの曲であるが、1994年の時の団体戦の時西田が言い出した。ボロボロに相手にやられたとき、「スカスカ、ボロボロになった」と言い、あの悲しいメロディが流れ始めるのである。負けたときのBGMに良かろう。
アメリカ製ロボット。合理的に無駄なく動く。 「手首を圧迫したくない」と時計をベルトに巻いていたが、「持ち上げる労力が無駄だ」といって、今は胸ポケットのボタン穴に巻いている。
岩田の動きはサイボーグだ。対局の際、石を打ち、時計を押し、中指で眼鏡を直し、後頭部をなで、こぶしに息を吹きかける。その動作がサイボーグのように正確に反復される。
堅い手のこと。小説家・田山花袋から。
福島競馬場において熱くなった西田が「そんなオッズ安二郎な馬券は買えない」と言ったことに由来する。世界の小津のパロディである。
ひどい損をしたときに使う。鬼才オーゾン・ウェルズのパロディである。
もともと試験を放棄するときに使われる言葉だったが、石を捨てるときも使われるようになった。
団体戦では他大学の場所を堂々と占領し、大会のレセプションには選手以外の人も参加する東北大は、他大学の人には「迷惑おやじの集団」として認識されているらしい。誤解されているといいたいが、おそらく理解されている。
機敏な手。ケビン・・・・
郡山名物。薄い手を打ったときに使われる。
江嶋のこと。Jリーグ初期の名ゴールキーパー、シジマールが元ネタであるが、後にJFLのブランメル仙台にエジマールという選手がいることが判明。(現在はもういない) 語呂がよいため、部内では名前の後に「~る」をつけて呼ぶことが流行った。(例;しのだ~る、たなか~る)
早見えする西田のこと。感想戦で論破されると引退する。
ひと目でわかる中田のこと、あるいは深田のこと。はやみえ星人より速く答えを出せるが信頼性はやや劣る。
年末の団体戦、東北大が秒読みで粘るのは名物になっている。大会運営部泣かせで有名になった。特に白田の秒読みになった人は白田の終局と同時に全対局が終了するため、もっとも働くことになるらしい(**)白田はすでに団体戦の名物男である。
古くから「大手合システムの改革」と並んで、盛んに行われている論争で、 持ち時間はどれくらいがいいかという問題である。最近のものでは
置き碁を「勝負」と捉えるか「指導」と捉えるかという論争。
となって激論になった。
選抜リーグに明らかに選手にはなれないと分かっている(2桁級の)人間を参加させることの是非についての論争。
R.ドーキンスの『利己的な遺伝子』を肯定するか否定するかという論争である。論点等は省略。お酒を飲みながらやると訳が分からなくなる。
という論争のための論争。
「究極の○○」とはそのサンプル全体の平均値である、と言う理論の賛否両論。この論争に萎えている人も多いので、具体的内容は省略。
四将白田は基本的に攻めの碁風である。彼の言うところの"敵の弱い石"に照準を合わせ攻めるという発想は一瞬良さそうに見えるのであるが、実はそのすぐ傍ら の敵の厚みが視界に入らないのが唯一最大の弱点である。その結果、攻めるつもりが逆に攻められるという様な事は日常茶飯事である。この彼一流の視界の狭さを称して 「白田スコープ」と呼ぶのである。白田スコープは旧日本軍になぞらえて、「白田電探」と呼ばれる事も多い。
三将深田は並の碁会所おやじでは太刀打ちできない程の剛腕である。石を捕獲する事への執念は凄まじく、そのトリカケの仕方は薄いとも剛腕とも味悪とも頑張っているとも何とも言えぬ独特さをもちあわせている。とても殺せそうにない石に食いついて追いかけ回し、遂には取って仕舞うその様が盤上で暴れている様に写る所から「あばれ技」と呼ばれるのである。(尤も本人に依ると「ただ攻めているだけ」らしいのだが・・・)成功率は極めて高く殺傷能力はサリン並である。本シリーズでも通算4回投入して、4回とも成功を収めている。外野にとっては頼もしい技と言えるだろう。
すべてのエンタ-テイメント的要素・感情を排しひらすら「仕事だ」とゴルゴ13の様に機械的に打つ事。普段やると無味乾燥で面白味が無いが、極度の緊張で異常な心理状態の時には極めて有効。この他にひたすら「前へ出るだけです」と一心不乱に打つ「貴乃花打ち」がある。しかし貴乃花打ちすると局後「弱いから負けるんです」という敗者の弁が出る事が多い様だ。
最近では勝負手の事を指す様になっているが、元々は94年度に団体戦補欠を務めた加田の必殺技である。93年度の選抜リーグにおいて、大石をとられた彼が半ばヤケクソになって「まっくすぅ~~~」と叫びながら逆取りカケにむかい、成功を収めた事に端を発している。以来、非勢の時に放つ最強に頑張った勝負手が「まっくす」と呼ばれる様になった。ちなみに「まっくす」は人により様々であるが、創始者加田の元祖まっくすは命中率が極・め・て・低い。 しかし、かなりの怪しさに加えて「負けてもともと」という本物の特攻スピリットを併せ持っている為にくらった人間は盤上に限らず精神まで破壊されてしまう。 その為東北大囲碁部では元祖まっくすを第一級危険物に指定しているのである。
派生語に、オートまっくす、まっくすメロン、まっくすウェルの方程式、まっくすファクターなどがある。
広義では正確で厳しいヨセ、狭義ではP岡のヨセを指す。P岡のヨセは極めて正確で、ピシピシッとヨセられてしまう。彼との対局ではかなりリードしていてもヨセ勝負になるとあっという間に引っ繰り返されてしまう。他大学でも痛い目にあった方は多いのではないだろうか。この様を誰かが「手が千本あるのではないか?」と表現したのであるが、誰かが千手観音を阿修羅と間違えた為に「阿修羅ヨセ」として定着してしまった。勿論本来は「千手観音ヨセ」となるハズだった事は言うまでもない。 「阿修羅ヨセ」が更に進化すると「閻魔ヨセ」になるのではないかというウワサが飛び交う今日この頃である。
副将西田はシノギの碁形を得意としている。徹底的に稼いで後はシノギにかけるというパターンは坂田先生に似ているのであるが、技術面で坂田先生におとる所から 「ニセ坂田」と呼ばれる。西田のニセ物シリーズには他にも加藤定石を真似るニセ加藤、捨て石を使ってキズだらけの外勢を築くニセ梶原などがある。
あまりの形勢の悪さに、もはや坂田先生をもってしてもきれいにシノげない様な窮屈な場所に打ち込まざるを得ない場合に副将西田が使用する。坂田先生でさえシノげないのであるから、ましてや坂田先生のニセ物(ニセ坂田参照)ではどうにもならない。
そこで、「しのいだる!!」というすさまじい気合を持って敵の模様へ望む必要が生じてくる。「しのいだる」はいわば副将西田の特攻兵器である。成功率はあまり高くないが、破壊力は三将深田の「あばれ技」を上回る。似た所でニセ加藤で手に負えない程丈夫な石を取りかける「ころしたる!!」をごくたまに放つことがあるようだ。
ドナドナのメロディにのって歌われる囲碁のテーマ。弘前大の寮に泊めてもらったとき、部外者が部屋の外からもの悲しく歌っていたことに由来する。
西武ライオンズの管理野球に対して西田が編み出した言葉。 年末の団体戦に万全の状態で臨むための、禁酒、禁煙、更には駅までの散歩など徹底した体調管理を言う。団体戦最初の2日間は成功したのだが、3日目の朝、案の定西田の腹は壊れ、彼は正露丸のお世話になっていた。
昨年から認識され始めた加田のヨセの甘さであるが、それをpが競馬に例え「加田は第3コーナーを回ってから後ろへ走り出す」と表したことから、ヨセに入ってから後退する様を「逆走する」と言うようになった。
表:加田のボーリング(1994/03/18)
X | _ | 9 | / | X | X | 9 | / | 9 | / | 8 | / | X | _ | 9 | / | 7 | / | X | ||
20 | 40 | 69 | 89 | 108 | 126 | 146 | 166 | 183 | 203 | |||||||||||
X | X | 3 | / | 8 | / | X | 8 | - | 5 | 3 | X | G | - | 3 | - | |||||
23 | 43 | 61 | 81 | 99 | 107 | 115 | 125 | 125 | 128 |
けんすけ君とはかつて存在した『碁』(1982頃『レッツ碁』と改名)という雑誌に掲載された漫画の登場人物らしいが、詳しいことは西田でないとわからない。 この言葉は清田に対して良く用いられるが、清田とけんすけ君の因果関係は不明である。なお、似た言葉に「こまったよ、ダニエルさん」がある。
太田さんの現在の体重は○○kg。そこで、太田さんはダイエットを決意した。目標は今年中に60kg。だから米俵計画という。でも米は食わないそうだ。
加田の運転のこと。背筋を伸ばして前を見たまま動かない様子がお地蔵様に似ていた所からこう呼ばれるようになった。同乗した西田は加田のことを「おまえ姿勢がいいな」とほめたそうであるが、その後、ただ単に左右を確認していないだけということが判明し、同乗を嫌がる者が急増したようだ。
1993年春、三雲さんが、白番で連戦連敗し「三雲さん結果は?」との問い掛けに「白番でした」と答えたことに端を発した言葉。 すなわち、棋聖秀策の「黒番でした」の対義語である。しかし、秋に入って、選抜リーグの上の3人が最初、白番で全勝だったことから、「深田、結果は?」「白番でした(勝った)」という様に意味が変化した。
加田得意の語末である。どうやら、鴨の鳴き真似らしい。本人も含め全般によく使われている。最近では「です」と「くわぁ」の間にブレスを入れ、タメを効かせて「くわぁ~」と高音で発する場合が多い。また「くわぁ、くわぁ、くわぁ」という連発形もよく使われる。なお「くわぁ~ん」というのは「ガ~ン」との融合形である。
非勢になった西田がマックス囲いを放って、局後「にせ囲い」と称したことにより、うさんくさい手の語頭に「にせ」を付けるようになった。
【用例】にせ筋、にせガカリ
トタン屋根で出来た緑色(編注:途中から青に塗り替えられた)の建物。形がかまぼこ形であるためにそう呼ばれる。正式名称は「川内サークル棟D-1」
もとは米軍の兵舎(馬小屋だと聞いたこともある)だったらしい。
左手にテニスコート、右手に吹奏楽部というあまりよろしからぬ環境下で、テニスボールの直撃やラッパの騒音にもめげず、皆、碁にいそしんでいる。
※1997年、部室移転に伴い、取り壊された。
数々の部員を輩出している囲碁部の牙城。学校から徒歩数分という立地の良さもあって、半分部員のたまり場と化している。飲み会や碁の検討をはじめとして、トランプ、花札、モノポリー、コンピュータゲームなど、麻雀を除く室内ゲームはたいていこなせる。あと、来仙したOBの宿泊場所としても用いられる。囲碁部にとって良いことずくめのこの石川アパートであるが、住人の人権は無きに等しいことを付記しておく。
日本酒と焼き鳥の店。囲碁部でのみに行くとき、一次会はたいていここである。ここの冷や酒で何度修羅場になったことか・・・
東北大学のある川内近辺は、八百屋、定食屋、クリーニング屋はたくさんあるのに、パチンコ、雀荘、カラオケ、喫茶店がない(もちろん飲み屋も)という不思議なところ。そんな川内にこの秋オープンしたのが、茶房「古来家」である。喫茶店とはいいながら定食もあるし、酒も少し置いてあり、座敷が店の半分近くを占めるという不思議な店で、部員には夕食や軽い飲みに利用されている。丼定食やおにぎりセットがボリュームがあり好評。値段に5円が付くのも特徴(285円,555円という風に)。「ご縁がありますように」という意味らしいが、そんな半端な値段を付けなくても、ここ当分は縁が切れることもなさそうである。
※後日、経営者が変わってラーメン屋になった。
仙台を中心にチェーン展開する定食屋。
大学の食堂並に安いため、毎日のように通う学生もいる。豚汁がオススメ。
(北田-たぬき▲戦から)
5(30),9(28),16(17下),27(30)
→ 手順(SGF)
(編注:○30は実際には打たれてない)
妖刀もどきからわけのわからぬ折衝が続いたが、出来上がり図から"ハエハタキ"と部内で話題になった。 実戦は下辺を数匹の黒いハエがうろちょろしていたため、モロにたたかれるハメになった。
(山克▲-有田戦から)
選手選抜2次リーグでのことである。山克は例によって序盤の打ち回しがさえ優勢を築いたが、例によってヨセで追い込まれ、これまた例によって山克はそれと気づかず、圧勝の形勢と思いこんでいた。ところが有田の時間が切れそうなのを見て邪心が起こった山克は、2つ残った半コウをツギツギにせず、コウを2つとも争い、ついに有田の時間が切れてしまった。山克の形勢判断は案の定でたらめで、半コウツギツギにすると、有田の1目半勝ちになる碁であったという。まさに"邪心"の勝利だったのである。半コウを2つとも譲って半目勝ちだった有田は
「『どっちもツイでください』という日本語さえ知っていれば・・・」 という訳の分からぬボヤキ。山克さんも「どうせ勝っているんだから」とウケ狙ったのだろうが。
(山田哲-北田▲戦から)
山口屋杯の5位決定戦。北田が△にツケたところで山田哲はしばし長考の後
「小林のまねをしよう・・・」と言いながら、しかし実際に打たれたのは1~4であった。先の名人戦挑戦手合いで、小林名人(当時)が白A、黒Bをかわってから1~4と打ったのはご記憶の方も多かろう。
「小林さんのまねをしようとしてハマるなんて、まるで山克さんじゃないですか」 と言われて山哲
「ええ、私が"本家"山田ですから・・・」
本大会、渡部は"にぎり"5連敗(?)で、東大戦ではじめて黒番を当てた。 東大戦でチーム連勝が21でストップしたときの我々の弁明。
谷田(副将)は黒番が安定している、
北田(四将)も同様、
渡部(主将)はたたき合いに備えて時計が右側にあった方がよい。
池田(三将)は黒番ではする事がない。
また武田(五将)曰く「白番の方が無責任な布石が打ててありがたい」
で、対東大戦の敗因は、渡部が黒を当てたということだったのである。対京大戦では白を当ててしっかり勝ったようである。
実は、対東大戦のにぎりは、渡部が中田選手に「にぎってください」と言ったところ、中田氏が「いや、上位校がにぎるものでしょう」と、渡部が無理矢理にぎらされてしまったのだという。次の京大戦は、それまで浅井選手がなんとにぎり6連敗だったこともあり、浅井氏の黒番が決まったとき、両チームとも大喜びだったようだ。
ひと頃、部内では自分で白扇に文字を書くのが流行した。
アマ戦の全国大会に渡部高志がこのとんでもない扇子を持っていって活躍したという話を知る人は少ない。またOBの半沢氏も仙台放送杯の決勝戦で人生楽勝扇子を使っていたのだが、TVを見て気づいた人はいなかったらしい。
ある日、渡部が北田に諭して曰く
「北田君、きみも何か扇子作ったら? もっとめでたくならなきゃだめだよ」
浅田が団体戦東北大会で唯一の黒星を喫したのは慢心扇子をなくしたせいだと弁解していた。私もそのうち「言語道断」扇子でも作ってみようかと思っている。
59,60年と2年続けて団体戦で華麗な形勢判断を披露している山克。今年も卒業記念にふさわしいコンピュータぶりを発揮した。武田-葛田戦、終局の場面から、
山克「1目半だよ、1目半。武ちゃんの負け!」
北大「よかったぁー」
武田「よかったぁー」>(異口同音)
東北「よかったぁー」
北大(怪訝そうな顔)
「山克さんがそう言うんだから、きっと違うんですよ」
東北(自信の笑み)
北大(ひきつった笑い)
そうこうするうちに作り終わってみると、見事に武田の1目半勝ちであった。これには東北大、北大ともに「さすがは山克」と一同感心したのであった。
勝つととめどなく勝ち出すが、負けるとこれまたとめどなく負ける。数ある病気の中でもっとも恐ろしい病気。
対局中相手を「チラッ、チラッ」と見る。相手はその視線に負けてしまう。また、このおじさんはコスミの名手で、秀策の生まれ変わりといわれている。
中盤で相手がはまり勝勢になると、ヨセに入ってから1~2度、逆にはまって逆転負けするという恐ろしい病気。団体戦でこの病気が再発し、2位になり損ねた。
対局中、頭に血が上り、突然怒り出す病気。(**) 相手はその迫力にびびってしまい、なすすべなく敗れることが多い。
自分でも何を言っているかわからないまま、「金星、金星」「まぐれでした」「30目足りない」「投了しようかな」など、心にもない言葉が口から溢れ出す不治の病。
局後検討でどんどん脇道にそれていく病気。同じ病気を持つ武田と対局する場合、周りが黙っていると、対局の2~3倍の時間を局後検討にかけている。
十傑戦で十傑入りした2人が、23,24位を争った2人を指導するために(?)発足した研究会。月曜日に集まり、週刊碁を使用しての研究会が開かれ、最盛期には正会員4人、名誉会員5~6人にまで増えたが、負けのこんだYの一言で崩壊した。
同姓の伊東一郎、武がともに好んで裂かれ形を打つことからこう名づけられた。その後、裂かれ形を好んで打つ人全てを伊東兄弟と呼ぶようになり、7~8人まで増えた。
コスミの名手、佐田の打つコスミは囲碁の歴史が何百年続こうとも決して廃れることはないという点で秀策のコスミと並び称されていたが、秀策のコスミと異なる点は、決して好手にならないというところである。
部室での谷田-山田戦で山田の地に味の悪い所が会ったため、谷田はそこが手にならなかったらパチプロになると宣言した。ところが、失着が出て手にならず、パチプロが誕生したと思われたが、うやむやとなり谷田はセミプロのままである。
コンパの席上、歌をせがまれた神田は「来年は必ず全国制覇します。もしできなかったら歌を歌います」とその場しのぎをした。だが、彼の実力では優勝できるはずもなく、結局うやむやとなった。
部室での宮田-藤田戦で(宮田の先コミ5目もらい) 1手目を天元に打って真似碁をして勝とうとした。だが藤田が2手目に1の1に打ったため、喜んで「この碁に負けたら坊主になる」と宣言した。結局実力の差で逆転されたが、これまたうやむやとなった。
去年の仙台市の成人式で、新成人のうち最も成績優秀、容姿端麗、品行方正な人がするという誓いの言葉を宮田が行った。これは仙台七不思議の一つとなった。(市長のコネで選ばれたというもっぱらの噂である)
石田は昨年の冬、大学院受験に専念するため、休部して大会にもでないと宣言した。碁盤と棋書を人に預けるほど徹底していたのだが、いつのまにか毎日のように部室にくるようになり、すべての大会にしっかり出場した。
碁会所でよく見かける棋風。棋理を捨て、自分の薄みを恐れず、大迫力(?)の攻めに賭ける。対策としてはアマシが効果的だが、無理を咎めて逆につぶすのもよい。大差の碁を
「ちょっと足りんな」
「いや~、学生さんはお強い」
と言って投げるのを最終形とする。
それぞれ2種に大別される。
自分の碁に厳しすぎるため | 仮性悲観 | T橋型 |
棋力自体に悲観性があるため | 真性悲観 | N坂型 |
終盤に対する絶大な自信から | 後天楽観 | 神田型 |
人間性から | 先天楽観 | 宮田型 |
影の囲碁部・麻雀班から谷田氏をパイプとして流布した言葉。本来は 一色走りのことだったが、碁に転用され直線的かつ連続的な攻めの形容になった。
ポパイにホウレンソウ、森田君(法大)にドリンク。森田君は対戦前にドリンクを飲むと負けないというジンクスの持っていたそうだが、名人戦決勝三番勝負第3局前には薬局が閉店で買えず、関係者がドリンクを届けてくれた時にはすでに遅く勝敗が決定的になっていた。
「あー、ドリンクは遅かった!」
千田用語のひとつ。思わぬ強手(?)に感動した場合、
「う~ん、ハード至芸だなぁ」ともらす。
(時に笑いが重なることもある)
扇子で自分や相手の石を思い通りの場所に移すこと。
石がまだ打たれていない隅。空き巣のようにこっそり打つことが望ましい。
笑ってごまかす自分の悪手。ネチネチとがめる相手の悪手。
これを研究しても「石の下にも三年」で全然報われないという恐怖の手筋。
大手合で自分より持ち点の少ない者と打ち、相手の点を減らすこと。
置き碁を卒業したばかりの人が帰巣本能に駆られて打つ手。